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で、自分の部屋へ。パンツ写ってますな。すんません。
今日は人が多いので早くシャワーを浴びねばということでシャワーに向かう。
その道すがら。これ、下段の部屋への階段。
のびのび座席。家族連れでにぎわってる。
先客がいたのでラウンジで待機。
そうしている間に宍道に到着。木次線の分岐駅である。
シャワーを浴びる。寝台列車でのシャワーは5年前の北斗星以来だ。
シャワーを浴びたあと清掃ボタンみたいなのを押さねばならんのだがそれを押したら「ブシャオォォォォ~」と文字で表現しにくい音とともにものすごい勢いで空気が噴き出してきた。マジでびっくりした。
シャワーから出ると列車は松江に到着していた。
鳥取とか松江とか福井とかなんか新幹線の駅みたいだ。
部屋に戻ってビールで乾杯。
背後へと流れていく駅の明かりを眺めながら飲むビールはとってもうまい。
安来節の安来に停車しそのあとはこの辺りで一番でかい駅である
米子に到着!!!
山陰線、境線、戸籍上は伯耆大山が終点だけど伯備線の全列車がここまで乗り入れる。実質3路線が乗り入れるターミナルである。
米子を出発し伯耆大山から伯備線に入る。どこの駅だか忘れたけどやくもとの行き違いで運転停車。その後先行の列車がシカとぶつかった影響で遅れているとの車内アナウンスが。
まぁ少々遅れるくらい僕的には全く問題がないので部屋でのんびり過ごす。気がつけば外は雨が降っていた。
新見、高梁、倉敷と停車し22時56分、列車は岡山に到着。
20分以上遅れての到着だ。最終新幹線への乗り継ぎ客のための車内アナウンスが流れる。新幹線を待たせているらしい。
岡山を出ると目を閉じた。今日は一日長かった。三江線を乗り通し、山陰線を江津から出雲市まで。正確に言えばサンライズに乗ってから伯耆大山まで乗ってるから江津から伯耆大山まで。サンライズを始発から終点まで乗り通すという夢のような乗り鉄旅。明日の仕事は気が重いが夢のような三連休だった。可部線の復活部分の訪問、子供のころ住んでた場所の訪問、三江線、芸備線の撮影。久々に歩いた広島の街。いい旅だった。
翌朝。遅れを取り戻した列車は定刻通りに東京駅に到着。
おっ、あのおじさんもサンライズに乗ってたのか。お姿を見たのは石見川本からだったけど、おそらく三次からずっと同じ列車で旅してきたわけだ。
奥さんの方は写真を撮るのに忙しそう。
僕はというとここから会社に直行。いつもより早い時間の出社となった。
いや~今回もいい旅だった。楽しかったわ。
おしまい
出雲市に到着。ひとまず改札を抜けこれから乗るサンライズの乗車券を購入。ここでも禁煙の寝台の空きを確認したけどダメだった。
駅舎。今日、これまでに通ってきた中で一番立派な駅舎である。
全国的にも有名な場所だしね。出雲と聞いてたら大体の人が「あの出雲大社の?」ってことにあると思う。
こちらは一畑電鉄の電鉄出雲市駅。
映画「RAILWAYS」の一畑電車である。
おととし富山の地鉄の駅を訪ねたけど今回は初代のRAILWAYSの舞台にやってきた。
と言ってもここは映画に出てこないけど・・・。
駅前を散策し飯を食えるところを探してみるも適当なところがない。で、駅に戻ってきた。
しかしまぁさすがに出雲の国の出雲市駅。風格があるというか重厚というか。とにかく立派。
駅のコンビニで飯、酒、つまみを買い込み
改札へ。
ちょうど列車が到着したところなのか改札は人でいっぱい。岡山からのやくもが到着したのかな???
改札をくぐりホームに上がる。
サンライズの発車までまだ30分ほどある。
やくもに乗って東京に帰るという手もなきにしもあらずなんだがここまで来たらやっぱサンライズでしょ。なかなか始発から終点まで乗りとおす機会なんてないもの。
こちらは遅れている浜田からの米子行き普通列車。
発車を待つやくも。
向かいのホームには岡山からのやくもが到着。ということは先ほどの改札の混雑は八雲じゃなかったんだな。
終点出雲市にとうちゃこ。
やくもが出た後には各駅停車が到着。キハ40は見ないな。だいぶ入れ替えが進んでいるのか???今日は乗れてラッキーだったな。
そして東京行き、サンライズ出雲が入線。去年の六甲全縦以来の乗車である。
今回は始発から終点まで乗り通すことができる。前回は大阪から東京までの乗車。はっきり言って寝ただけである。前回の模様はこれ
これから12時間余りの旅である。とはいえゆったりできるのは大阪くらいまでかな。
そしてこの旅最後の列車、サンライズ出雲に乗り込んだ。
三江線からも 見えた橋。
10年以上ぶりにここに来たけどあの煙突、記憶にあるわ。
きれいな砂浜。これで天気がよかったらね。
こういうのが延々と続く。
おぉ~風車だ。
最近いたるところで見るよな。
いいねぇ。日本海側っぽい景色。富山あたりのかつての北陸線とかでもありそうな景色だ。
漁村と入江。
温泉津。温泉津温泉の温泉津である。
ここで列車行き違いのためしばらく停車。定時運行であれば21分停車だ。
いいねぇ。各駅停車ののんびり旅だ。
キハ40系のタラコ。列車種別のところに行き先入ってるけどこれが「普通」とかの方がよかった。でも山陰線では結構前からこれ。
ここで対向列車が接近。
スーパーおきである。
キハ187系。
キハ181系時代からしたらかなりスタイリッシュになった。
新旧・・・と言っても登場から10年くらいは経ってるか。
ドアが閉まって発車の準備。
お気をつけて~。
駅舎。
件のおっちゃん。絵になるねぇ。
2本目の行き違いの列車。
温泉津を出発し再び海を眺めながらの移動。
こういう景色が好きだ。
マジすか~!?
ここでも列車交換。下りのスーパーおきが入線。
黄色好き的にはかっこよく見える。いいねぇ187系
そして一駅進んで
仁万に到着。ここでも定時運行なら9分停車と長く停まる。
いいねぇ。
旅してるって感じがするわ。
キハ40系をバシバシ撮影。
ここでは列車の交換なしで出発。再びきれいな海岸を眺めながら移動。
日本海側だなぁと思う景色。
五十猛。ここでも4分停車。なんか一駅ごとに停車時間が長い。
こんな感じの駅。周囲は広々してる。
五十猛で普通列車と行き違いをして列車は進む。そして・・・
進行方向右手に特徴的な山が!!!あれは名峰三瓶山ではないか!!!ん???おぉ~狙ったわけじゃないのに手前に三瓶山の文字が!!!今気づいて自分でもびっくりしてる。走る列車の中から撮った奇跡の一枚だ。
この辺りの人からしたらふるさとの山って感じなんだろうな。
二百名山。あの田中陽希も登っている。僕も登ってみたい。
そして列車は大田市に到着。ここでも7分停車。さっきまでは「旅してるなぁ~」とか言ってたけどまぁ~一駅ごとによく停まるものよ。距離の割にめっちゃ時間がかかる。
今はどうだか知らんが昔は実家の前をJRの特急バスが通っていた。
世界遺産、石見銀山の駅だ。
対向列車が到着。
大田市を出発。再び列車は海沿いを走る。
いいねぇ。
なんか寂しげな感じがいい
太平洋とは感じが違う。
けっこう高いところを走る。海岸を見下ろす。
天気はこんなんだし夕暮れが迫ってるし日本海側ってなんとも渋いねぇって感じる。
こういう鄙びた海沿いの町っていいなぁ。
さっきも言ったけど富山の元北陸線っぽい雰囲気が漂う。一昨年の撮り鉄の旅を思い出した。こちら
いいねぇ。
船泊。
江南で4分停車。スーパーおきの通過待ち。
出雲神西をでてしばらくすると前方の景色に「おぉぉぉぉ~!!!」
サンライズだ!!!
こんなところに車両基地があるんだな。
何にもないところに突如として姿を現した。
線路を少ないけどだだっ広い。
急ににこんなのが出てきたもんだから
不意を突かれた感じだ。
今夜はあれに乗るのだ。
また後で~。
西出雲。次は終点の出雲市だ。
西出雲を出るとこんなだだっ広い空き地が広がり
その向こうに街並みが見える。
その街の中に入ると
17時33分、終点の出雲市に到着。
なかなか楽しかったよ、キハ40系の山陰本線。
というわけで短いような長いような山陰線の旅がひとまずは終わった。
上りのホームはこんな感じ。15時06分発の出雲行きを待つ。
いやいやあのおっちゃん、ほんと画になるな。
改札を出たところ。なんかえらい低いところに電光掲示板があるな。山陰線の上下と三江線。近い時間に各々が旅立って行く。
もうすぐこれも無くなってしまうんだろう。
あと1年でこの風景も過去のものとなる。
しかし久々にきた江津駅。なんか昭和っぽいというか国鉄のにおいがプンプンする駅だ。いいねぇ。こういうのは大好きだ。
出雲市方面を望む。
こちらは浜田方面。
発車を待つ三江線。
4分ほど遅れて益田行きのアクアライナーがやって来た。
山陰線にもJR型の気動車が投入されている。
つい20年前までDD51が引くブルートレイン出雲が浜田まで走っていたというのに・・・。
まぁ20年だもんね。その間に新幹線は北海道から鹿児島までつながった。大学生だった僕も今年40歳になる。
そして出雲行きの列車も5分遅れて入線。
対照的にこちらはキハ40系の国鉄色だ。僕はこっちの方がいい。
そして列車は5分遅れて出雲市へ向け出発した。
道の駅も隣接しておりわりかし町の中にあるというようなイメージの因原。2000年の大学卒業時に宗谷岬から佐多岬まで日本縦断の旅をしたんだが九州をからの帰りに最後に降りた駅がこの因原駅だ。ムーンライト九州で岡山まで戻って伯備線で米子へ。そこから山陰線で江津へ行き三江線でこの駅まで。バスの時間まで近くの川でこれからのことを考えながら過ごした記憶がある。2000年の4月1日の土曜日の事だった。
これが物思いにふけっていた川。
そしてあそこが昨日の朝、列車を撮影した八重山神社こと因原児童公園。そう、今僕は昨日の撮影地の鉄橋を渡っている。
おっ、車が停まってる。
そして撮る人。
鹿賀。
例のおっちゃん、いい味出してんな~。ほんと明治の旅人みたいだ。これがSLだったら最高だったのに。
石見川越。
なんか気に入って撮った民家。
田津。
桜かなんかわからんけど咲いていた。
川戸。
とにかく江の川と寄り添って走る。
川平。
本当にのんびりした、心が癒される車窓の風景。ポカポカした昼下がりにはこの列車で昼寝しながら旅したら最高だろうな。ただいまは最後の車窓を目に焼き付ける・・・とまでは行かんけどゆったりした気持ちで眺める。
千金。
車窓には河口に近づくにつれ川幅が広がる江の川・・・ん???
うわぁぁぁしくじったー!!!この景色、僕の座ってる進行方向左側から見えるものだと思い込んでいたけど完全に勘違いだったー!!!
船とか停まってて海みたいな川。この風景を自分の座ってる側から見たかったのに。
満を持して間違えてしまった。
この川幅とこの水量。川幅だけ広い川ならほかにもあるけどこの豊かな水量。雄大なんだが如何せん通路を挟んで向こう側の景色。うまく写真に撮れん。
入り江のようなこの景色。ぜひとも僕も窓側から見たかった。
そして江津本町に到着。この駅の横の雄大な流れの江の川が脳裏に焼き付いていたんだが・・・。一生の不覚だ。
そして川にかかる橋の横を通過する。
こんなでっかい橋が線路沿いの細い道路とTの字になっててなんか珍しい。
そしてとうとう列車はここまでやって来た。
終点の江津である。これまで山の中の小駅ばかり続いていたのでここはなんだか本線の威厳あふれる駅に見える。
停車時間も含めて三次から4時間52分の旅。楽しかったよ、三江線。
ありがとう。そしてさようなら。
次の列車は13時45分発・・・といいつつも列車番号が変わるだけでこれまで乗ってきた列車がそのまま江津行きになる。
実質1時間27分停車みたいなもんだ。最近の列車ではなかなかこういうのはない。ここまで乗ってきた人たちも各々思い思いに過ごす。
駅前の観光案内所に行く人も多数。
駅舎の軒下で売られている鴨だしそばを買い求める人も多数。
で、僕も買った。うちを出るときにおにぎりの弁当を作ってもらったんだがそれプラス鴨だしそば。うまし!!!
停車中の列車のドアも開く様子がないしぷらぷらするか。
廃線が決まってなかったら「乗ろう乗ろう!!!」となるんだが今となってはむなしいばかり・・・。
そして駅前の観光案内所へ。
三江線の風景が写真がずらり。
これ、八重山神社のところから撮ったやつか???多分そうだ。
観光案内所をあとにしぷらぷらする。いいねぇ。なんかゆっくり時間が流れる感じ。昔の夜行快速なんかではこういう時間が結構あったな。ミッドナイトの長万部とかムーンライト九州の岡山とか。ムーンライトながらの浜松も時間は短かったけどこういう時間はあった。
駅周辺をぶらっとして改札に戻る。まだ列車に並ぶ姿は無い。
待合室でのんびりと。室内でくつろぐ人とホームの人々。
残された時間を惜しみつつ最後に駅前をもう一回り。すると・・・
「げげっ!!!」
なんかえらい行列になっとるやないかい!!!早よ戻らねば!!!
というわけで駅に戻る。荷物で順番とっといて撮影。
自分の列に戻る。最前線の人、いい感じの恰好しとんな。なんか明治のおしゃれな紳士みたいだ 。
列車のドアが開き自分の席を確保。江津本町あたりの大きく河口に開けた江の川を見るべく、ここまでとは反対の進行方向左側の座席に陣取る。
そして発車までは撮影タイム。跨線橋の上から。
向かい側のホームから。ん???ホームに人がいるな。対向列車が来るのかな???
まぁそれは置いといて江津行きをパシャ。いいねぇ。これ、前にトミックスからNゲージでてたけどその時は全然興味がわかなかった。でも今こうしてみると「欲しいな」って思う。
さらば!石見川本駅。もう来ることは・・・というより次に来るときにはもうこの駅はない・・・。
時刻表を見ると反対方向の列車は14時発。この先のどこかですれ違うんだろう。
石見川本→江津。こういうのを見るとこの線も立派な山陰本線への連絡線なんだなと思う。
おぉ~窓の向こうにはこの景色。このトンネルと列車の写真が駅前の案内所にあった。いいなぁ、これと思ったけどこんな近くにあったのか。
と思ってたらなんと前方から列車が来るではないか!!!14時まで時間があるけどここで列車交換をするのだ。
まさかの展開に必死でシャッターを切る。
いや~ラッキーラッキー。
しかし悲しいかなこの写真、ブログ用に画質を落としていたのだ。う~む、しくったなー・・・。
そして列車は無事に行き違いを終え我が列車は江津へと出発した。
8時39分、千代田インターから高速バスに乗る。備北交通のバスがやって来た。しかし僕が乗るのはこの広島行きではなく
後ろに付いてる庄原行き。僕が乗る三江線の石見川本行きは10時02分発。なので次の9時18分のバス便でも机上の予定では間に合うんだがそれだと三次駅着が9時54分。さすがにこれでは心もとないし三江線が座れないかもしれないので余裕をもって1本早い便に乗った。
9時15分、時刻表通りに三次駅に到着。久々の三次駅。前回の様子はこちら
キハ40系が停車中。
駅横のトイレで朝の生理現象解消タイムを済ませいざ改札の向こうへ。
すると三江線が到着。おぉ~けっこう乗ってんな。どう見てもお別れ乗車の人々って感じだな。
列車にに乗り込み座席を確保してから撮影タイム。
キハ120形。Nゲージで売ってたな。高山線、関西線、木次線、三江線、津山線の120形シリーズ。
向かいのホームのタラコ。
キハ120形とキハ47だか48だかのツーショット。
もうすぐ見納めと思うと・・・つーか現物を見るのは今日で最後となると思うと感慨深い。
三次。次はいつ来るんだろうか。中高時代には三次出身の友達はいっぱいいた。大親友のナオトも三次の出身だ。
跨線橋を渡り
改札に戻ってみどりの窓口で本日のサンライズのキャンセルを確認。今の寝台は喫煙室なので禁煙室の空きを確認したがやはり満席のままだった。
構内を散歩。留置線には単行の列車たちがお休み中。
こういうのを見るとこの町は交通の要衝、列車の運行上の基地という感じがする。
いや~いいね。のんびりしたゆったりとした時間が流れていく。
こちらは芸備線の塩町方面。まっすぐ伸びる線路。列車来ねーかな。いい感じの写真がとれそうだ。
跨線橋の上から広島方面を望む。入り組んだ線路が見てとれる。しかし「ん~???」
昔、三江線を乗り通したときは三次を発車した後芸備線と並走した記憶がある。でも今の配線では不可能だ。左側の途中で途切れている線路、あれが昔は本線とつながっていたんだろうか?つーかつながってたんだな。そうじゃないと無理だもん。
あと数分で広島からの列車が入線する。9時57分着の広島発三次行きの列車だ。
おっ、来たぞ!!!
しかし悲しいかな手ぶれである。手ぶれ防止がオフになってたのか???
右に左に車体を揺らしながら列車が近づく。
しかし昨日からタラコばっかりだな。広島色はほぼ全滅か???
山をてっぺんまで入れみた。手ブレじゃなくてピンボケだなこりゃ。もう少し絞らねば。
というわけで芸備線が入線。
ほぉ~快速でしたか・・・と思ったらこれは折り返しが快速広島行きとなる。つーか芸備線に快速か。
もうみよしもちどりもたいしゃくもなくなったからね。急行は全滅だ。
今となっては快速が芸備線の唯一の速達便。でも三次からだと高速バスの方が分があるな。なんてったって本数が多い。あちらは毎時2本はあるけどこちらは毎時1本という感じ。所要時間も広島駅ならば芸備線の快速の方が多少早いが紙屋町に行くなら高速バスの方が早い。こりゃ急行は勝てんわな。これに急行料金出すとは思えん。各駅停車なら広島まで高速バスよりも確実に遅い・・・。
広島方面からの乗り換え客が乗り込んでくる前に急いで三江線の列車に戻る。すると「な、なに~!!!」
同じホームの向かい側に列車が入ってきた。芸備線の下り列車である・・・と思ったら福塩線の下り列車であった。府中発の三次行き。三次着9時58分の列車である。くそぉ~こんなのもあったのか。だったらさっきの塩町方面のアングルで撮影できたではないか!!!しくじったなぁ~。正直三江線の発車時刻しか調べてないからなぁ。僕が乗ってるこの江津からの折り返し列車も三次着の時間を把握していれば撮影できたのに。こんなんトイレなんか行ってる場合じゃなかったな。つーかよく考えたら三次という駅は三江線、芸備線、福塩線という3つの路線が乗り入れる立派なターミナル駅である。まぁどれもこれも一級品のローカル路線だがそれでもこんな中国山地のど真ん中の町によくもまぁ集まったもんだと思う。ただもうすぐ三江線は無くなってしまうけど・・・。
しかし三江線と福塩線は撮っときたかったなぁ~。2度しくじったという気分にうちひしがれながら列車は石見川本へと出発した。
17時38分、列車は留置線へと引き上げていった。
駅名表を入れてみる。
ここだけ見ると地下駅のようだ。実際にはただの通路の下。
新幹線の改札。変わったねぇ。
ほんと変わった。つーか知らんかったけど広島駅は橋上駅に変わるらしい。岡山駅は随分と前に橋上化されたが・・・。
昔のままで変わってほしくないという気持ちは正直ある。時代の流れとはいえ自分の中の思い出の景色が変わるってのは寂しい。
ホントここだけ見ると地下みたいだ。
どこぞの大都市の地下駅みたいだ。
久々の広島駅。
うわ~変わったなぁ。前はこんなんなかったぞ
前は基町クレドくらいしか高い建物がなかった。広島駅の周りって何にもなかったんだけどねぇ。駅前の再開発がやっとこさ進んで広島の駅前もだいぶ立派になった。
広電の電停にも久々に足を運ぶ。この車両懐かしいな。僕が中学生のころから走ってるよ。まぁ広電は走る博物館とか言われてるからこんな車両はまだ新しい方か。
夕方の大渋滞。後ろに建ってるのはエールエール。これも僕が広島を離れてから再開発の一環でできた建物。
駅前大橋方面。きれいになったなぁ。
新しいグリーンムーバーか???
新旧が並んだな。
こっちの方が見ててなんか落ち着くわ。
おぉ~またなんか違うのが来た。なんか新しいのばっかだな。
昔の各地の市電達はもう引退してんのか???なんか超低床車がバンバン入ってきてかっこいいぞ。近未来っていうか都会っぽいというか。
知らんまに時の流れと相応に街も変わっていくな。
ここ、昔はダイエーだったんだよね。もう全く面影もない。
路面電車には乗らず、かつ広島駅からバスには乗らずバスセンターまで歩くことにする。久々の広島見物だ。あの建物、昔は代ゼミだったはず。僕は河合塾だったので世話にはならなかったが弟君は代ゼミに通ってた。
久しぶりだなぁ。
夕焼け。
広島は川の街だ。
市内を6つの川が流れる。デルタ(三角州)の上に出来た街。
地盤が緩くて水分が多いから地下鉄ができない。つーか作ろうとすると莫大なお金がかかるからできないって言われてた。まぁアストラムラインがちょこっとだけ地下に潜っていたりするけど。昔は「地下鉄できんかな~」って思ってたけど今となってはそんなものはいらんと思う。これだけ路面電車が充実してたら地下鉄なんかいらんしこっちの方が個性的でいいと思う。
女学院の前を通り幟町中学の前を歩く。
三越が見えてきた。
なんか見たくれが川西の西友をグレードアップしたような感じだな。正直あんま高級感がない・・・。
その横には流川のゲートが。
広島最大の歓楽街である。
ここら辺から紙屋町までが広島のメインストリートである。
八丁堀の電停。記憶があいまいなだけかもしれんがこんなに長かったけ???なんかグレードアップしたような気がする。
広島を離れて21年。都会から田舎までいろんなところをみて回ったけど広島はまだまだ都会の方だ。東京は言わずもがな関西と比べても田舎な感じはする。でも全国津々浦々巡って思うことは上から数えた方が早いくらいの都会ってことだ。
今東京に住んでるけど東京と比べたら大阪だって随分と田舎だ。ぶっちゃけ東京以外は全部田舎。でもそれを言ったらおしまいなので広島くらいの街は都会の部類に入れないと日本全国全部田舎になってしまう。
街の中心を路面電車が走る大都市ってなくはない。札幌だって大阪だって走ってはいるけど広島ほど存在感が圧倒的な街はないと思う。
鹿児島とか松山もこういう景色はあるけど
でも街の活気は広島にはかなわない。
ずっと広島にいたら「都会に出たい~」と思うかもしれんけど
一度離れてみると1周して「あーこういうのもありだな」って思う。
でもこれは一度広島から都会に出てみないとわからないと思う。
特に東京に住んだりなんかするともう都会とか田舎とかどうでもよくなって「広島がいい。」ってなるんじゃないかと思う。
特に年をとったら。
今や全国区のカープもあるしね。
大阪ほどなんでもそろってるわけじゃない。
名古屋よりもさらにそろってないものはあるけど
贅沢を言わなければ困らない程度のそこそこの街だと思う。
ハンズもパルコもビックカメラもあるしね。
「テレ東が映らん」という人がいるけど
別にテレ東いらんしね。
それ以外のキー局があればいいでしょって思う。
今時BSもCSもあるから僕なんかあんまり地上波見なくなったもんね。
というわけで僕的に広島のど中心に近づいてきた。
紙屋町、広島バスセンター。
僕的にはここが広島のど中心だと思う。
お、こんなところにモンベルが。いいとこ建ってんな。
日本の三大都市圏に住んだけど
子供のころのインパクトがあるから僕的にはここが一番都会に感じる。
車の免許をとって名古屋で普通に乗り回してた時も
ここを初めて車で通った時はなんか緊張した。栄とかを走るよりもよっぽど緊張した。広島といえば紙屋町、そごう、バスセンターだ。
バス乗り場に上がる。
広電バスがやって来た。
三次小学校行き。その後バスは中国山地を目指して北上する。広島高速なるところを走りあっという間に西風新都へ。いまやあっという間に沼田まで突き抜ける。時代は変わったな。そして家族の待つ実家へと戻った。
現場に向かう途中の踏切にて。可愛い花だ。
すぐわきには太田川。奥の方には先ほど通った可部線の太田川鉄橋が見える。あとで列車の写真も撮ろう。
現場に到着。いや~素晴らしい。とはいえここの存在を僕は知らなかった。何度か乗ってる区間なんだがネットで調べて「こんなとこあるんだ」ってことでやって来た。ただ前回乗った時に「あ~ここ線路に道に近くて障害物もないし写真撮るのにいいな」とは思っていた。ただここのトンネルとはまったくリンクしていなかった。
縦位置。いいねぇ、単線非電化。邪魔な架線もないしいい感じだ。
ここが現場。すぐ先に八丈踏切がある。昨今のJR西日本、特に関西ではここ最近いたるところで線路沿いに有刺鉄線付きのフェンスが張られてお立ち台が潰されている。うちの近所の福知山線にもお気に入りだった撮影ポイントにフェンスが張られてしまった。そんな中、芸備線は全般的にむき出しでありがたい。都市部でこんな線路脇まで行けるところなかなかないぞ。しかし同じJR西日本なのでいつまでもこの姿で残されるのか不安はある。
可部線、通らねーなぁ。20分間隔での運行なので単純に10分待ったら1本くるって感じなんだが・・・。
玖村発16時15分発の列車を待ち構える。ここも有名なお立ち台だと思うんだがだーれもいない。自由に動けるし気楽でいい。三江線も誰もいなかったしよかったよかった。
16時13分、列車がやって来た。
縦位置で。
一つ目の トンネルを抜けたところでパチリ。
二つ目のトンネルに入って
抜けたところでパチリ。
3つ目のトンネルに入る。
トンネルの中の列車を撮ることってあんまりないな。なかなか新鮮。
でてきた!!!
いいねぇ国鉄色のキハ47形。
ケツ撃ち。いいねぇ。可部線も好きだけどやっぱキハ40系の走る芸備線はワクワクする。同じ安佐北区民でも可部側の小学生だった僕はこの芸備線になんか異国感的なものを感じていた。この辺りは学区というものが決められていて小学生は子供らだけで学区を出ることはだめという決まりがあった。とはいえ病院に行ったり塾に行ったりと学区外に行くことはあったんだが、友達とサイクリングで高陽町から八木に抜けるこの学区外のルートを走るのはとても楽しかった。見慣れた可部線でない芸備線の車両を見るのも楽しみだった。当時は可部線の非電化区間も健在だったんだが如何せん本数が少なくてほとんど見かけることはなかった。
なんかホッとするわ芸備線。架線もないからすっきりしてる。
さぁ次はここで三次方面の列車を待つ。
にしても可部線通らないなぁ・・・。
16時24分、広島色のキハ47が来た。
トミックスからNゲージも出ている。
パチリ。広島近辺の227系以外の電車は真っ黄っ黄に塗られてるのに何で気動車はそのままなんだろう???今後はタラコが増えてきたりするのかな???って調べてみたら今後はすべてタラコ一色となりこの広島色は絶滅する模様。マジか・・・。大好きだった車両なのでショックすぎる。Nゲージの世界でこの思い出とともに生きていこう。
お次は玖村発16時35分発の列車を撮影。この時点で三次まで乗車することはあきらめた。もうすぐ日が暮れるから真っ暗な中を乗ったって楽しくない。残りの時間はすべて撮影にささげよう。
一つ目のトンネルを抜けた。しかしここはいいお立ち台だ。
みんなでマナーを守って
今後もフェンスとか張られないように
これからもずっとずっとここで撮影できことを
本当に切に願う。
いや~、キハ40系。ほんとに大好きだ。僕が幼稚園のころにはすでに走っていた車両だ。老朽化が進み全国でも続々と引退している。JR東海ではすでに全滅。北海道でもこれから淘汰が進む模様。東北だってそろそろ危ないぞ。九州だって安泰じゃない。つーか寿命的にもう減って行く一方だ。
お次はアングルを変えてみる。
次はこれでいってみよう。
玖村発16時45分の三次行きを撮影してふと可部線方面を眺めると
おぉ!!!いた!!!
105系でも113系でもなく227系だ。
つ ーか105系はどこ行った???それは置いといて右上に見えるの南原ダムだな。ここからでも見えるんだ。
そしてトンネルに向けてカメラを構える。次の列車は玖村発16時55分の広島行き。今回はこれで最後にしようと思う。そろそろ帰る準備をしないと夕飯の団欒に間に合わん。今日は出づっぱりだったから夕飯くらいはみんなで食わねば。
列車がやって来た。
木々の影が正面に映る。
しかしまぁこんな短いトンネルが連続する区間なんて他にないよな。
3連続でしかも入口から三つ向こうのトンネルの出口が見えてるんだもんね。
広島はいいわ。可部線もあるし芸備線もある。足を延ばせば木次線も。なくなっちゃうけど三江線もある。
40歳を迎えるにあたり仕事のきつさとかなんかもろもろ嫌なことが多くなってくるとなんか昔の楽しかった頃の思い出に浸りたくなる。昔は広島は田舎だから都会に出たいと思ってた。でも名古屋にも関西にも東京にも住んだし正直もう田舎とか都会とかどうでもよくなった。故郷の広島がよくなってきた。
でも家族は川西にいるからね。家も建てたし。なかなか難しいわ。
駅に向かいがてら最後の最後の列車を撮影すべくカメラを構える。このまま駅に向かっても三次方面の列車の後に広島行きの列車が来る。道路をアンダークロスするあのポイントが行くか行くまいか迷っていたポイントだ。でもあっちじゃなくてこっちに専念してよかった。あっちに行ってたら1本トンネル側の列車を撮り損ねていたかもしれん。
そして列車がやって来た。
ところでこれから家に帰る方法なんだが、高瀬堰を渡って梅林からバスで帰るか最後に可部線に乗って可部からバスに乗るか。
高瀬堰を渡って梅林までは行ってみたい。昔サイクリングだったり玖村から可部線に乗り換えるためだったりでよく通った思い出のある道だ。
でも家に帰る直通のバスは本数が少ない。時刻もわからん。となると広島北インター入口で高速バスに乗り換えだ。
だったらいっそのことバスセンターからダイレクトに千代田インターまで行ってやろう。久々に広島の街を歩いてみようと思った・・・なんてことをこの写真を撮る前にはすでに決めていた。トンネルの写真を撮りながら。だから17時15分発の列車で広島に向かう。
あらためていいなぁ。キハ40系。
次はいつ来れるのか。
枯れ草がちょっと邪魔だけどこの場所はホントいいところだ。
また来たいねぇ。
また来たい。
そして玖村駅。今も昔も無人駅だ。ここからほど近いところにある高陽高校に行くつもりだったんだがいろいろ事情があってやめた。高校受験もしたのにそのまま中学校の附設の高校に上がった。
17時15分。西日を受けて列車が入ってきた。
今日は芸備線の列車を乗ったものも含めて8本見たけど広島色は1本のみ。しかも2両目はタラコ。次に来るころには全部がタラコになってるんだろうな。真っ黄っ黄の105系すらなくなり広島色のキハ40系も消え三江線も地図から消える。時代の流れかねぇ。ここ20年くらい変わらなかったものが次々と消えていく。寂しいわ。
そんな思いを抱きながら広島行きの列車に乗り込んだ。
昔はただ線路が通ってるだけ。列車に乗りたければ河戸まで歩くしかなかった。
全景。史上初のJRの廃線復活区間の終点である。
駅の前はこんな感じ。
何?梅?桃?
全景はこんな感じ。昔はこの向こう側に荒下県住という長屋風の県営住宅がいっぱい建っていた。
駅の入口の前に陣取りこれからの予定を考える。やりたいことは色々ある。しかし時刻は14時半をまわった。全部やるには時間的に無理だ。ひとつづつ検証する。まずは三江線の宇都井駅で撮影。これをやるには今すぐここで引き返さねばならん。よって却下。続いて芸備線での撮影。中山隧道とネットでよく出ている戸坂の踏切。これも時間がないので却下。しかし玖村ー下深川間の3連のトンネルの写真は撮りたい。安芸矢口方面の道路をアンダークロスするポイントは現場に着いてから行くか行かんか考えよう。お次は玖村にどうアクセスするか。気持ち的には梅林で降りて高瀬堰を渡って向いたい。あのあたりには色々思い出があって今回行かなければ次にいつ歩けるかわからない。しかしそうするとまだ見たことのない新白島の駅に行けなくなる。時間が許せばこの時間からでも三次まで芸備線を乗ってみたいという気持ちがあるのでそうなれば玖村から乗ることになり新白島には行けなくなる。まぁこれは電車に乗ってからどうするか決めよう。
改札をくぐる。目前には227系、レッドウィングが停車中。可部線にこういう電車が走る日が来るとはねぇ。昔、115系が乗り入れるようになった頃は「可部線も都会になったのぉ」と感動したもんだが。
車止めを入れて正面から。新しい227系もいいんだが正直105系に乗りたかった。それがダメなら115系。久しぶりにこの2つの車内のにおいをかぎたかった。
座席を確保し、発車までの時間を利用して先頭車両をパチリ。発車待ちでホームに出ていた運転士氏に「どこから来ちゃったんですか?」と話しかけられ少し話をした。「東京からです。」と答えると「おぉ~」と驚かれた。「この上の小学校の卒業生なんです。」と言うと「じゃあ地元ですね。さっきはサンフレッチェの電車が走っちょったんですよ。」と返ってきた。へぇ~サンフレッチェね。つーか「ちょったんですよ」???ん???この方、広島の人じゃないんかな???広島の人なら「さっきサンフレッチェの電車が走りよったんですよ。」というと思うんだが。「ちょった」ともいうんかな?広島を離れて21年。細かいことは忘れたわ。
14時43分、列車は広島に向けて走り始めた。懐かしい風景と見覚えのない新しい家々の並ぶ風景を眺めながら久々の可部線、僕自身は14年ぶりとなる「元」旧非電化区間の旅が始まった。
ガタンゴトンとのんびり走りまもなく河戸帆待川に到着。以前の河戸駅よりもずいぶんと可部駅に近いところにある。
そして列車は可部に到着。全列車があき亀山まで乗り入れるためにこれまでの始発・終着駅から完全にただの中間駅になってしまった。
国道54号線側は随分と立派になった。バスターミナルとかもできている。延伸に伴ってホームも新設され構内の配線も変わっている。ちなみにここに来るのは2年4か月ぶりだ。ちなみに以前の模様はこれ→2013 広島の旅
可部を出発した列車は中島を過ぎ太田川にさしかかる。
川底まで見える。意外にきれいだ。
これまでの疲労が出てきてうつらうつらしながら目が覚めると
緑井に到着。いや~発展したよね。僕が高校生の頃は何もない小さな駅だった。八木も緑井もバイパス沿いは見違えるほどに発展した。今じゃ副都心とか言われとるらしい。
列車は三滝に到着。川の向こうに広島の中心部が見えてくる。
対向列車の真っ黄っ黄の115系が接近中。
三滝を出発し再び太田川を渡る。今はどうだか知らんが昔ここの河川敷からあほほどハゼが釣れた。もう25年以上昔の話だ。
列車は横川に到着。僕の中では横川は都会だった。この駅は可部線と山陽線が乗り入れていて横には新幹線も走り、さらに駅前には広電の路面電車も乗り入れておりバスのターミナルもあり商店街もある。小学生の頃はほんとに都会に見えた。中学生の頃は広大の大学病院で手術をしてその絡みでこの駅から大学病院行きのバスに何度も乗ったもんだった。ここの駅前も可部みたいにきれいに整備され昔とは雰囲気が変わってきれいになった。広電の電停が若干鹿児島駅前に似ていると思うのは僕だけか???
その横側を出発すると・・・
新白島に到着。アストラムラインとクロスする線路上に無理やり造った感じかなと思ったけどそこまで違和感はなかった。ここではアストラムラインに乗り換えれば本通りまでスムーズに行ける。
改札はこんな感じ。
そして列車は終点広島駅へ。
いや~久しぶりだ。なんか跨線橋の幅が広くなってなんか地下の駅にいるみたい。ホームもきれいになった。
引きで撮ってみる。
向こう側の国鉄色のキハ40系がこれから乗り込む芸備線。
昔より幅が広がったしお店とかできてる。以前はただの通路だった。
で、15時35分発の狩留家行きに乗り込む。
おぉ~広島もラインカラーを取り入れたんだな。つーか芸備線は紫か。つーかなんでこの色・・・。サンフレッチェのイメージか???山陽線の上りが緑で下りがオレンジの模様。
そして列車は狩留家に向け出発。発車間際だけど芸備線だから大丈夫かなと思ったけどどうしてどうして。なかなかの乗車率である。ボックス席を独占できるかと思ったらとんでもなかった。今じゃ芸備線も20分ヘッドの運行である。僕からしたら「あの芸備線が!?」って感じである。札沼線が電化された現在、日田彦山線と並びキハ40系が走る貴重な大都市区間である。
しばらく山陽線・呉線と並走するとマツダスタジアムが見えてくる。
まだ行ったことないんだよね。一度行ってみたいとは常々思っている。ちなみに大人になってから甲子園もプロ野球では行っていない。京セラドームは交流戦を見に行ったけど。今年は東京でカープ戦を見に行ってみよう。ドームか神宮かハマスタか。やっぱドームかなぁ。
けっこう混み合っているのでのんびり車窓が眺められない。ちなみに僕が座れたのはボックス席の通路側だ。
思うように車窓を楽しめないまま列車は玖村に到着。久々だなぁ。この芸備線の駅の持つ雰囲気、大好きだ。というわけでお立ち台へと向かう。 続く
その西宮のちびっ子広場に到着。ここでも野球とかして遊んだ思い出がある。
ここの扉を出て
この斜面をよじ登ると
小学校の前、給食センターの横にワープできる。(あの鉄塔は給食センター)
普通の道を歩くよりも断然早い。5,6分は変わると思う。
今回はその近道は使わずに小学校方面に向かう。
そして
「ん???」
ここにもあるのか~。
ほのぼの動物園。なんだろか、これ。当然雨とか降っても野ざらしなわけだな。
で、再びこの道と合流。小学校はもう目と鼻の先なんだがここはやりたいことがあってもう一度先ほどの道を逆流する。
おぉ~ここからでもニジケンが見えるんだな。あれ6号館かな?手前の木は多分南公園の木だ。
アップ。ニジケンってここからでも結構近かったんだなぁ。子供のころはとても広く感じていたけど大人となった今では結構狭いエリアだったんだなと思う。実際色々歩き回ったけど思ったよりはどこもすぐに到着できた。
南公園に向けて歩いていく。ここも昔は田んぼだったと思うんだけど・・・。まぁそれはおいといて春だなぁ。
この坂を登れば南公園。
そして先ほど温存した通学路に到着。当時の登校時を再現するためにこの道を下って小学校へと向かう。ここも変わった。あの家の建ってるところなんか山だったんだけどね。ガードレールのところも普通に山道だった。
ここの空き地でご夫婦がよくキャッチボールをしていたのを思い出した。
さぁ行こう。
左手はゴルフの打ちっぱなしだった。さっきも言った通り今は戸建ての住宅が立ち並んでいる。
おぉ~あれは
両延神社の裏手の階段。ここからも見えたんだな。
ところでこの地点、今は草ぼうぼうだけど小学生の頃は下校時にここから斜面を登ってコンクリートの壁の上を通って帰ったりしてた。今見ればけっこう高いなぁって思う。7歳とか8歳でよくあんなとこ歩いてたなぁって思った。
下り坂も終わりが見え始めたところで我が母校の姿が見える。
下りきったところにほのぼの動物園。さっきも書いたけどここは上畠、西宮、ニジケン方面からの合流点である。
で、母校を目指して登り坂にさしかかる。まず現れるのがここ。亀山中学。僕は私立に行ったのでここには通ってない。イレギュラーで剣道の練習がここになってその時に中に入ったことぐらい。でも今思えばこっちに通ってた方が楽しい中学時代が過ごせたかもしれん。
で、隣に建ってる我が母校を目指す。
懐かしいな。この眺め。
懐かしの学び舎。まじまじ見るのは何年振りだろう。
フェンス越しにこれまた懐かしいものが見えた。
そして正門に到着。
僕の母校、広島市立亀山南小学校。
思いがけず門が開いている。中に入ってみたい、校内を歩きたい・・・という衝動がむくむくと湧き上がってきたが何とか思いとどまった。正直ちょっとくらい入ったってかまわんだろうとも思ったんだが最近はいろいろうるさいからのぉ。「変なおっさんが校舎に侵入であえなく御用」とかは勘弁だ。
道を挟んで反対側にあるのが給食センター。給食を食うのが遅い奴は自分でここまで食器を持って行かされた・・・ような気がする。ちなみに西宮のちびっ子広場から見えてた鉄塔はこれだ。
その給食センターの脇からちびっ子広場を見下ろす。
ひとしきり小学校の正門を堪能し長井。荒下方面へと進む。
前方にはテニスコートとその奥には見えにくいけど太田川。このテニスコートは中学生が部活で使ってた記憶がある。今日は休みだからかな。おっちゃん達がテニスに興じている。
プール越しに再度振り返る。さよなら僕達の小学校。
荒下の風景。ここに安佐市民病院が移転する。周囲はまだ農地が残っている。なんかホッとするねぇ。ちなみに幼稚園のころこの近所の牛を飼ってるところへ絵を描きに来た。なんかいろんなことを思い出すわ。
伊勢社。小学校の裏門から続く坂道を下りきったところにある神社。変わらずここに建っていてくれた。
ここにも㊗JR可部線殿下延伸開業の幟が。
ん????
こ、これは~!!!!!
なんと河戸駅がここへ移設されてるではないか!!!伊勢社の横っちょにこんなものができていた!!!
なんだかよくわからんがとにかくともに祝おう。
いや~こんなことになってたのか。全然知らんかった。ちなみにここまで来るとどう見ても同業の人達がちらほらと写真を撮っていた。新しいあき亀山はこの辺のはずだ。大体「あそこだろうなぁ~」ってのは目星がついている。
あそこらへんだと思っていたら
おぉ~看板が出ている。やっぱここかぁ~。
おぉ~駅舎だ!!!駅舎だよぉ~!!!ついにやってきたぞ、あき亀山駅!!!
おぉ~227系の姿が!!!
今にも発車しそうだけどここは見送ることにする。せっかく来たんだ。ゆっくりと堪能したい。そして列車は広島に向けて出発していった。
それでも表札で名前が確認できたりすると「あぁまだここにいるんだ」とうれしいようなホッとするような何とも言えない気持ちになる。まぁ本人がいるかはわからんけどね。みんな世帯とか持ってるだろうから親しか住んでないかもしれん。
そして中央公園まで戻る。北公園まで行こうかとも思ったけどこの後の行程を考えると厳しいので割愛した。ところでこの中央公園、周りが坂道なのでホームランとか打ったあかつきには転がるボールを追いかけて坂道を走って行かねばならぬ。まぁそれはこの公園だけの話ではなく山を削って作られたこの団地の空き地全般に当てはまるんだが。
おぉ~ここにも㊗可部線延伸開業の幟が。ちなみに県信の横っちょである。
こんな感じの坂道ばっかり。さっきの続きだけど道路にボールが出たら大変だ。
歩いていたら前方から亀山中の生徒たちがやってきた。すれ違いざまに「こんにちわ~」と挨拶してきたのでこちらも「ちわ~」と挨拶。いや~気持ちがいいね。そういや僕も小学生の頃は学校帰りに出会った人には「ただいま帰りました~」って挨拶してたな。自分がされる側になって「あぁこんな感じなんだな」って初めてわかった。
友達の家を巡りつつぜひとも行きたかった場所へと向かう。ところで今思えば小学校の頃ってめちゃくちゃ友達多かったな。その子等の家の場所もだいたい覚えている。一方で中・高・大と進むにつれて友達の数自体は減っていった。中高なんかは半分くらいが寮とか下宿だったからそいつらの家とか全然知らんし・・・。
話を戻してぜひとも行きたかった場所とは・・・
両延神社。ここで行われる秋祭りはめちゃくちゃワクワクしたし懐かしい思い出だ。写生大会でも来たような気もする。本堂まで行こうと思ったけどダイブ時間が押してきた。このころには夕方の三江線の撮影はあきらめた。しかし芸備線で三次までは行きたい。というわけで残念だけど本堂はあきらめた。
両延神社の階段を下ったところにある公園。ここも懐かしい。昔から変わらずここにあってくれてなんかうれしい。
そしてこの空き地。ここには昔、何かの官舎があった。県住じゃなかったと思うから何かの公務員官舎だったのかなぁ。ここにもK川君やY本君といった友達がいた。ちなみにK川君とは後に僕の母校の高校入試で出会った。うちの学校に来るのかと思ったら実は滑り止めで受けに来てただけで彼は別の高校に進学。で、大学は阪大に行ったらしい。他にも広大にいった奴や九大にいった奴もおる。僕とはえらい違いだ・・・。
そして目の前の大毛寺川に向う
大毛寺川。僕らが近所の子等と釣りや魚取りに行くとすればいつもこの川だった。
生まれて初めて魚を釣ったポイントに行ってみる。ちなみに初めて釣った魚はアブラハヤ。
う~む、なんかえらいすっきりしたように感じる。昔、ここは砂利道で草とかも生えてたように記憶が・・・。
それになんか笹薮みたいなところから川に降りたような記憶があるんだが・・・
この川のほとりの用水路は記憶にある。しかしポイントがわからない。なんか落ち込みみたいな場所があったと思うんだが・・・。
しばし歩いて振り返ってみてもしっくりこない。そもそも笹薮がない・・・。伐採されちゃったのかな???
つーかよくこんな川で遊んどったな。水量も少ないし決してきれいじゃない。昔と変わっちゃったのかな???昔は確かにここで釣りとか魚とりとかしてたんだが。
そんなことを思ってたんだがそれでも橋の下で遊んでる2人の男の子がいた。
ポイントを探しつつ川沿いを折るいていたら川の中で波紋が広がっている。目を凝らすと「お~ヌーだ。」
ヌートリアが泳いでいた。ここにもいるんだな。
ところでこんなの前からいたんだろうか???子供のころは全く見たことがない。初めて見たのは確か13年前。伊丹の小屋池公園にて。鳥の写真を撮りに行っててふと池の中に目をやるとそこにヌーが泳いでいた。こんなのが日本にいるなんて知らなかったしその姿から「おぉぉぉぉぉ~!!!!!ビーバーじゃ!!!!ビーバーが泳いどる!!!」と興奮しながら銀塩カメラで写真を撮りまくっていた。今思えば銀塩カメラとはなんと金のかかるカメラかと思う。フィルム代に現像代にプリント代。しかも現像するまでどう映ってるのかわからんなど何ともリスキーなカメラだったな。「デジカメなんかおもちゃじゃわい!」とけっこう銀塩で粘ったけど今となっては「そんな時代もあったな」って感じである。
途中の道路を渡ってさらに川沿いを歩く。すると「ん???」
前方に笹薮が見えてきた。
ん~ここか???でも水量も少ないし昔のイメージとは違う。でもこの笹薮は記憶の中にあるのと重なるんだよなぁ~。
結局行きたかったポイントがどこだったのか判然としないまま大毛寺川をあとにした。
おぉ~ここ舗装されたのか。しかもガードレールまでついている。昔は未舗装の土の道だった。
おぉ~懐かしい景色だ。
昔はここの用水路にコイとか飼ってたちっこいいけすみたいなのがあった。
ここは田んぼだったんだけどね。オタマジャクシやらカエルやらを捕まえてた。
ここの道を通ってちびっ子広場とか向こう側に続く道に行ってたんだが今見たら完全に個人のお宅の私道みたいな感じだ。通ろうかなと思ったけどそこのお宅の方が外に出られていたのでやめた。
昔この用水路でカニとか捕まえてたポイントがあってそこを探したんだけどいまいちわからなかった。たまにヘビとかもいた。なんか同時に2匹とかいることもあってけっこうビビった。
ゴルフの打ちっぱなし場だった方面に歩く。変わったなぁ。当たり前だけど昔はこんな公園なかった。今じゃ完全に住宅地だ。
でもここの溝がオレンジなのは変わらない。何が流れたらこんな色になるんだろうな。
おぉ、ここにも㊗可部線延伸開業の幟が。
ここで小学校への通学路3方面と合流。
僕はこちら側の坂道を通って通ってた。ニジケンと虹山団地の南公園方面はこちらが通学路。
こちらは西宮方面
ん???
なんじゃこれ???以前は林だったところが切り開かれてこんなんができてる。ほのぼの動物園ですか。ほのぼのはするけど何でこんなん作ったんだろ???
お次のポイント向かおうと今来た道を引き返そうとすると・・・
「やめんさい!」って言われたらやめにゃぁいけんよのぅ。なんか方言でいわれたら余計に従わねばならん気がする。
元ゴルフの打ちっぱなし場方面。
小学生の頃はまったく気にしなかったけど螺山はこの辺りのシンボルだな。
この辺の感じは変わらないなぁ。
昔はここは未舗装で空き地だったんだけどね。駐車場になってるわ。
ここも前は田んぼだったんだけど。田んぼははやらないのかねぇ。周囲には昔からの家と新しい家が混在している。時代の流れを感じる。
ここの坂道を登ると
この看板が。この幼稚園、僕が卒園した幼稚園だ。半年しか通ってないけどあの頃の半年ってめちゃくちゃ中身が濃い。半年とはいえ色々思い出もある。
この坂の途中に
僕の幼稚園がある。神戸で1年半通った幼稚園もここも僕にとっては同じくらい思い出深い場所だ。先日、うちのチビも幼稚園を卒園した。何年たってもいい思い出として記憶にとどめておいてほしい。
その後も思い出の場所を徘徊する。ここは上から三枚目の写真のところを見下ろす場所だ。ここの景色は変わらない。なんかホッとするわ。
前方に見えてきたのは県教委の官舎。ここにもたくさん友達がいた。ちなみにそのうちの一人が今伊丹に住んでいることが判明。その子はビーチバレーの選手だったようでなんかネットで知ってびっくらこいた。ちなみに春高バレーで全国大会にも出たんだけどその時僕の小学校時代の塾の友達も同じチームで出ていた。これにはびっくりしたと同時に「すげーなー」と感心した。
さらに先を進む。昔はこの坂道がホントに嫌いだった。今となっては別にどうってことないけど小学生的にはなかなかしんどい坂道だった。
お次に見えてきたのは県警の官舎。ここにも友達がいた。中学は別々になったけど高校まではなんだかんだでつき合いもあったけど大学以降は疎遠になってしまった。
ふと横を見れば中央公園が。ここ虹山団地には先ほどの南公園、そしてこの中央公園、そしてもう一つ北公園というのがある。その他ちびっ子広場などの小さい公園もあるけどこの3つがメジャーな公園だ。ちなみに南→中央→北の順にでかくなる。
住宅地の坂道を登って行く。この先に僕が通っていたそろばん教室がある。あれからもう27年。ちょっとドキドキしていた。その時先生は50歳くらいだったと思う。とすれば結構もういい御年である。不謹慎なのは百も承知だが「もしかして・・・」という不安は正直ぬぐいきれない。恐る恐る表札を見ると「おぉ~!!!」
ちゃんとフルネームで表札が出ていた。よかった~。ホッとした。
続く。
今日は三江線を撮るまでは時間的なスケジュールを考えていたけどここからは正直言ってノープランだ。行きたいところはたくさんあるけどどこをどうまわってというのは時間では決めていない。とりあえず考えていることは①昔住んでた場所を歩く②延伸開業した可部線に乗る③新白島駅を見る④芸備線を撮影する⑤芸備線を三次まで乗る⑥宇津井駅で三次方面から来た列車を撮影する
まぁ時間的に考えて全部はできない。どれを選択しどれを切るか。それはこの後考えよう。
久々に路線バスに乗りたくなってバスで向かおうとすると弟君が乗せていってやると言ってくれ、おかんも買い物ついでに一緒に行くことになった。
車で走ること40分あまり。スタート地点と考えていた虹山県営住宅のバス停に到着。僕はここから歩いてまわるので弟君たちを別れる。
虹山県営住宅こと虹山県住。略して「ニジケン」
いや~変わった。めちゃくちゃ開けたなぁ。昔は車が見える奥は山だった。
瑞兆園方面。前はこんな道なかった。車の通れない、自転車やバイクが通れるくらいの山道だったはず。山はどこ行ったんだ???
一度バス停方面に戻り歩き始める。懐かしいなぁ。ここを歩くのは何年振りだ???僕が正式に引っ越したのは中2の春。小学校を出てからの1年間は訳あって今の実家でじいちゃんばあちゃんと暮らしていた。
ということは26年振りか。
昔はこんな公園なかったな。
公園の横から山道へと下って行く。
あそこで例の瑞兆園への道と合流するのか。
僕は昔の道で瑞兆園を目指す。こんな明るい道じゃなかったと思うんだけどな。いろいろ刈り払ったんだろうな。
この池、農業用なのか防火用水なのかわからんが昔でっかい亀をつかまえたことがある。
瑞兆園。懐かしいなぁ。
この住宅地にもたくさん友達がいた。K本にK笠にF田。みんな元気かねぇ。
K本の家に行ってみた。表札は出ていなかった。ちなみにこのK本君、中学に入ってグレにグレまくり立派なヤンキーに成長。卒業アルバムもなんか金髪モヒカンみたいな感じだったような気がする・・・。ん???どこでその卒アル見たんだっけ???僕はこの学区の中学には行っていない。誰かに見せてもらったんだろうな。さらに言うとこのK本君の兄ちゃんもドヤンキーだった。
寿屋。すっかり古びてしまってるけどまだあったんだな。
例の池の横を行く。
おぉ~!!!亀だ!!!
ミドリガメことミシシッピアカミミガメ。大きさはあれくらいだったと思うけど僕が捕まえたのはクサガメだった。ちなみにこの辺の地名は亀山南。
昔の道はあっという間に途切れアスファルト道へと出る。バス停の時刻を見ていたら「祝JR可部線延伸」ののぼりを発見。あき亀山はここからだって近いからな。めでたい!!!
ここからはるか遠くに見える
あの茶色い建物群。安佐市民病院があき亀山駅の近くに移転してくる模様。この辺の人からしたら便利になるな。ちなみに市民病院の左に見えるのは文教女子大。そろばんの検定試験でよく行った。
再びニジケンに戻る。今車が停まってるところも昔は県営住宅(県住)が建ってた・・・ような気がする。昔は虹山県営住宅のバス停のところで納涼大会とかいう名前で夏祭りや盆踊りをしていた 。で、地元民はこのバス停のところを「ロータリー」と呼んでいた。全盛期はこの県住だけで千人単位の住民がいたと思う。
この階段を上ったところにある
46号館にK島君という友達がいた。それ以外にもこの県営住宅には大勢同級生や友達がいた。
でもあれから約30年。壁を塗り替えたりはしてるけどやっぱり古めかしさは隠せない。僕が住んでた時だって決して新しくはなかったからな。ぽつぽつ空き家もあったし。
ここの県住の前に来ると思い出す。小4か5年のことだったと思う。僕はこの前でシカを見たのだ。
シカはこの向こうから走ってきた。最初は「え?ウマ?でっかい犬?」がこちらに向かって突進してくるように見え 大いにビビった。
そして立ちすくむ僕には目もくれずシカはこの山へと走り去っていった。急いで家へと戻り同じブロックの県住の友達たちに「シカじゃ!シカがおった!!!9号館の方から走ってきて7号館とこの山ん中に走って行った!!!」と興奮して話したんだが「ウソじゃろ」「シカなんかおるわけないじゃろ」と信じてもらえなかった。でも確かに僕はシカを見たのだ。
6号館。ここにも友達がいた。てっちゃん、N藤君・・・あの頃は楽しかったなぁ。
今はフェンスが張られてるけど(前もあったか?あっても破れてたな)昔あの向こうの斜面に秘密基地を作っていた。洋酒の瓶とか持ち込んで並べてた。すぐ横には山からの水が流れていて小さな沢みたいになってた気がする。
そしてここが僕が住んでいたブロック。建物が取り壊されて駐車場になっている。
「兵どもが夢のあと」って感じだ。
ちなみにこのどん付きのガードレールを越えて
この斜面を登ると6号館にワープできる・・・まぁまともに歩いても2,3分で着くんだが。
この駐車場になっているところが昔1号館と2号館があったところ。奥の戸建てが建ってる辺りが僕が住んでいた3号館があった場所だ。その奥に4号館と5号館があったんだがそこにも戸建ての住宅が建っている。昔はここのブロックには子供が多くて学年を越えて中学生とも一緒になって遊んでいた。みんなで野球をやったり花火をやったり缶けりをしたり。近所付き合いも非常に密で非常に人と人のつながりが濃い地域だった。ここへ来る前はここから徒歩5,6分のところの戸建ての借家に1年半ほど住んでいたんだが、引っ越してきてすぐに仲間に入れてもらってとても楽しい小学生時代を過ごすことができた。ちなみに今となってはこんなに狭く見える道路でみんなで野球をやっていた。電信柱があるところが1塁ベース。ボールがすぐに右側の斜面に上がっちゃったけどこの壁をよじ登ってボールをとりに行った。中学生なんかは勢いをつけてこの壁に向かって走って行きその勢いで壁を登っていた。
ここでやる野球は「大きい野球」といって一番面白かった。ちなみにもっと狭い場所でや「小さい野球」というのもあった。
そのころの人達は今はみんなバラバラのところで暮らしている。実家のおかんからたまに誰々がどうしたみたいな話を聞くくらいで僕自身はもう誰ともつながっていない。なんともせつない気持ちになりながらも思い出探しを続けた。
国道261号線を離れ一路宇津井駅へ。
7時46分、走り始めて30分余りで前方に宇津井駅が現れた。
おぉ~ホームには人の姿が。三次行きに乗るのかな???
なんかすごいとこに建ってるな。ちょっと違うけど山陰線の余部鉄橋を思い出した。
ところで近辺に駐車している車はない。あの人たちはここまでどうやって来たのだ???5時38分発の三次からの列車でやってきたんだろうか???それなら約1時間の待ち時間で江津からの三次行きがやってくる。駅のをのんびり楽しむにはちょうどいい時間だ。
裏側から。ひとまず駅を通過しお立ち台へと急ぐ。
7時52分、お立ち台に到着。今度こそは撮り鉄軍団がぎっしりかと思いきやここもだーれもいない。連休中だし廃止まであと1年あるとはいえもうちょっと盛り上がってもいいんじゃないかと思ったけど好きなところから好きなだけアングルを考えられるのはいい。
こういうのもいいかねぇ。あれこれ考えた結果・・・
こうなった。あえて川の部分を全部切り取ってもよかったな。
こんな感じで。(トリミングしてみた。)
結局ここもあとから小学生の子を連れた親子が来ただけでほぼ独り占め状態だった。
そして宇都井駅に戻る。
こういう駅があるというのは高校生の時から何となく知っていた。しかし当時は三江線というものにはまったく縁がなく、どこら辺を走っているのかというのもよく知らなかった。
三江線が意外と実家の近くを走っていたと知ったのは自動車学校に通うようになってから。僕は島根の自動車学校に通ったんだが教習で何度かこの線路沿いを走った。その時は「へぇ~こんなところを走ってるんだ」とちょっと感動したもんだ。その後、一度三次から江津まで乗り通した。多分大学2年に上がる春だったと思う。その時は乗り換えなしで三次から江津まで行けたからそういうダイヤだったんだなぁ。今は朝5時38分発の列車以外に三次から直通する列車はない。ちなみにその時は江津から山陰線をえっちらおっちら乗り継いで鳥取まで行き、そこから今は亡き夜行の急行だいせんで大阪まで行ったような気がする・・・けど記憶がおぼろげだ。当時の写真を引っ張り出せばはっきりするだろうけど今は手元にない・・・。
空きスペースに車を停め駅へと入る。う~むこの入口、昔住んでた近所の県営住宅を彷彿とさせる。
ほぉ~三江線の説明ですか。ここにも鉄道むすめ的な萌え萌えキャラがいるんですな。
というわけで天空の駅へと登り始める。
登山で鍛えたこの足でぇ~
えっちらおっちら登るのさぁ~
だけど近頃お山にはぁ~
とんとご無沙汰行ってなぃ~
おっと「あと56段」を飛ばしてしまった・・・
気を取り直してあと36段
つーか過保護なまでにバリアフリー化が進んだ現代において
ここの駅は稀有な存在だ。
足腰が立たなくなったら
もう乗れなくなっちゃうな。ってことで待合室までやってきた。
駅ノートもちゃんとある。
へぇ~。かつてはここを7連の列車が走ったこともあったのか。
そしてホームに出る。
ホームからの眺め。高い建物がないのでいい眺め。
ホームの端、トンネルの手前まで行ってみる。
各駅にこういうのがあるみたい。
先ほどの場所から横位置で。眼下の家々から見たらここはほんとに天空の駅だな。
農作業中のトラクターを見下ろす。けっこう高度感もある。
反対側のトンネル。こちらから出てきたところをパチリとやりたい。
ひとしきり満足して宇津井駅をあとにする。ここで列車を迎えてみたいんだがこれから予定がある。その予定を途中で切りあげないともうここへは来れないな。次の列車は11時09分発の江津行き。これを待っていてはこれからの予定が潰れてしまうし・・・。
実家に向けて帰る途中、行きにも見たけどまだこの辺りには雪がある。もう3月も下旬なんだが恐るべし中国山地。途中でガソリンを注ぎ今日開幕のセンバツ高校野球を聞きながら家へと帰った。
もう四月は目前だというのにめちゃくちゃ寒い。弟君の愛車カローラフィールダーに乗り込みエンジンをかけると「な、なにぃ~!!!」
なんともう春に片足を突っ込んだ時期というにもかかわらずなんとフロントガラスもリアガラスも凍り付いているのである。車内の温度計では外気は氷点下1度と表示されていた。恐るべし中国山地である。
爪でガラスをがりがりしても全然追いつかないのでエアコンで曇り除去モード(正式名称がわからん)でじっくり溶かす。で、ナビに行き先を登録しようとするも使い方がよくわからんので寝ている弟をたたき起こし使い方を教えてもらう。ロケハンをしたいので5時30分には出発したかったんだが結局5時40分をまわってからの出発となってしまった。
懐かしの通学路を一路因原を目指し走って行く。今回の撮影は弟君が帰省しなければ実現できなかったことだ。実家の車は僕が運転すると保険がきかないのだ。いかに田舎道とはいえ保険なしの状態(自賠責は当然入っているんだが)では怖くてとても運転できない。その点、弟君の車はだれが運転しても保険がきくので非常に助かる。走りながら道端の気温計の表示を見るとなんと氷点下4度。地面が濡れてないからいいものの濡れてたら凍結してるだろう。40~50分くらいかかるかと思ったら30分足らずであっけなく目的地の八重山神社に到着。ロケハンのためそのまま川沿いの細い道を進む。対向するのにも苦労しそうな細い道だ。あらかじめ三次行きはここで撮ろうという目星をつけておいた場所を実際に確認し、今度はメインの撮影となる浜田行きの撮影地、八重山神社へと向かう。車を停め、踏切横の道から丘の上へと登って行く。すぐ横の民家のワンちゃんにえらい剣幕で吠えられまくる。周囲はまだ薄暗くまったくひと気もないので少々気味が悪い。しかしそんなことは言ってられないので我慢して上へ上へと登って行った。
そしてポイントに到着。
とりあえずこのアングルで決まりだな。(木の枝入ってるけど・・・)
ネットとかでもよく見るアングルだ。しかし・・・「ん???」
なんか赤い看板があるぞ。
「なにぃ~!!!」
ドラッグストアのウェルネスではないか!!!ネットの画像にはあんなもんなかったぞ。うぉ~なんというところに看板を立ててるんだ。ついでに店舗も。邪魔だ。向こうからすりゃ知ったこっちゃないかもしれんが邪魔過ぎる!!!つーかなんだこの破壊力!!!雰囲気がぶち壊しではないか!!!
う~む、これができちゃったせいでこのお立ち台、終わっちゃったなぁ~。
下りの階段の途中でもパチリ。これだと赤い看板は残るけど店舗は見えなくなる。しかし今度は電線が・・・。
ちなみにこれが階段を降りてきたところ。八重山神社というよりも因原児童公園なのかもしれん。
気を取り直して三次行きの撮影ポイントに向かう。
まずはここで正面を押さえた後、
これでケツ撃ちを狙う。
最後は望遠でこれ。ヘッドライトに幻惑されてオートフォーカスでシャッターがおりないと困るのでマニュアルで。特に一発勝負だからそんな凡ミスは許されない。
春休みの3連休だしそれなりに有名なお立ち台だと思っていたので同志が大勢詰めかけてるかもと思っていたんだが人の姿は皆無。正式に廃止の発表もされたからちょっとビビりながら来たんだがまったくもって自由に撮りまくれそうだ。
列車の通過までまだ15分ほどあるので車に戻る。この様子じゃ僕以外にはここへはこないだろ。来たって場所取りに困るようなことはない。カーナビでこの後の宇津井駅までのルートを検索。こういう時にナビは便利だ。
いいころ合いで車外に出てカメラを構える。今回は手持ちだ。う~む、やっぱり三脚持ってくりゃよかったな。
そして6時52分、列車がやってきた。
ぱちり!!!
ん???この状況はもしや・・・
運転席の横にかぶりついてる鉄ちゃんの姿が。少し予想はしたけどそのもしやが当たっている模様。来年3月での廃止が発表されたこの三江線。廃止までのカウントダウンが始まったこの路線を乗りたいと思っている鉄ちゃんは大勢いるだろう。しかも春休みの学生は関係ないのかもしれんが18きっぷの使える時期での3連休。社会人の鉄ちゃん的には絶好のチャンスである。僕だってその一人だ。
その列車が目の前を通過。2連の車内には大勢の鉄分たっぷりの人達が・・・
逆かぶりつきもこの通り。
この列車の江津発は5時53分。この人たちが全員江津や浜田の人達なはずがない。とすればこの列車に乗ろうとすれば江津や浜田で前泊となる。昨日も休みなので芸備線や木次線なんかを周って江津入りした人達もいるだろう。前日も三次方面から三江線でやってきた人もいるかもしれん。三江線を全線走破するには途中駅での乗り換え便も含めて上下で各々3本しかない。さらに江津から三次を目指す場合、明るい時間帯を走るのはこの江津からの一番列車しかないのである。
その列車に乗るために集まってきたこの人たちの熱き鉄ちゃん魂に、僕は敬意を表して見送った。
車に戻り次のお立ち台、八重山神社こと因原児童公園に戻る。
先ほどよりもだいぶ明るくなったがだーれもいない。ここがあまりに山深すぎて誰も来れないのかはたまた例の赤い看板のせいで見切られたのかはわからんが自由に動き回れて気が楽だ。
あれこれアングルを考えていると・・・「ん???」
おぉ~あんなところに人がいる!!!線路内をウロウロしたりあそこへ上がったりあちらもいろいろアングルを考えてるようだがいや~そこからいくか・・・。今日は僕しかいないがもしここに大勢の鉄ちゃんがいれば確実に「邪魔!!!」の声が出ただろう。まぁこういうのは譲り合いの心をもってやらねばならんので一方的には言えんのだがまさかの同志の出現にちょっと「う~む」な気分である。おっちゃん、とりあえず線路内での撮影だけはやめてくれよ。撮影うんぬんの問題ではなくなっちゃうから。
7時10分、列車が因原駅を出発。木の陰で見えにくいが・・・
ここでお顔が見えた。
まずは望遠でぱちり!!!昨日の東海道線の中ではこの赤い看板&店舗がまだ建っていない頃の素朴な石州瓦の家々をバックに走る写真を見ていただけに「残念!!!」の一言。完全にこちらサイドの自己中な恨み言になってしまうが言わせてもらおう!!!ウェルネスさん、何てことしてくれたんだ!!!ついでに見切れてるおっちゃん、あんたもだ。
画面からウェルネスもおっちゃんも排除するとこういう画になる。上の画と比べると窮屈な感じは否めない・・・。無念・・・。
気を取り直して今回のメインの画を撮影。ここまで引くとおっちゃんの姿は無いに等しいがやはりウェルネスさんは気になる。元々こうなんだと思えば気にならんかもしれんがあの看板と建物がない画をみてここへ来ることに決めたのでどうにもこうにもちょっとショックだ。まぁウェルネスさんは悪くないんだけどね。仕方がない・・・仕方がない・・・。
若干残念な気持ちを引きずりながらお立ち台をあとにする。ここまで30分くらいだから明日も来ようかな。その後の行程が忙しくなりそうだけど。そんなことを考えながら車へと戻って行った。
品川では5時10分発の小田原行きに乗り換え。
こんな時間だけどそれなりの人々がすでに動き出している。車内もそれなりに乗車率は高い。
6時21分、小田原到着。1分乗り換えで熱海行きに乗り移る。何とか席は確保できた。
根府川付近。太陽がまぶしい。
6時45分、熱海に到着。向かいのホームの浜松行きに乗り換えるべくエスカレーターを下り
地下通路を走り
ホームに上がって列車に乗り込む。またもやなんとか席を確保できた。
6時49分 、列車は浜松に向け列車は出発。眠いので基本的には目を閉じている。ふと目を開けると・・・
おぉ~富士山だ。
先日の入笠山以来のご対面だ。
富士山も見えなくなりうつらうつらしていると県都静岡に到着。東海道線と新幹線だけのシンプルな駅。よく考えたら県庁所在地の駅で在来線が1本だけってあんまりないよな~・・・って思ったら山口、松江、松山と意外とすらすら出てきた。神戸、大津・・・けっこうあるな。
9時19分、浜松に到着。9時23分発の豊橋行きに向かって階段ダッシュ。なんとか席に座れた。ここまでは一応座席を確保できている。
9時56分、豊橋に到着。10時03分発の大垣行きの新快速に乗り込む。
寝たりネットをしたりしているうちに金山を通過。名古屋の手前で新幹線と並走した。
11時31分、列車は終点の大垣に到着。大勢の人が列車から吐き出され跨線橋を渡る。
乗り継ぐ米原行きの列車は11時42分発。おそらく4両編成。座るの厳しそうだなぁ。
エスカレーターを下るとホームはこの状態。
ダメだこりゃ。完全に諦めた。
諦めて周囲を撮影。おっ、樽見鉄道が入線。
EF65形の貨物列車が通過。このカラーリング、ブルトレを思い出すなぁ。
米原行きの列車が入線。大垣ダッシュをしようにもあんだけ詰まってたらダッシュできんがな。そういや本家本元のムーンライトながらからの大垣ダッシュは米原行きの車両の数が4両から8両になったため座席の確保の面では多少マシになった。その代わりと言うべきかそれまでの5分乗り換えを2分乗り換えに変更したJR東海の鬼軍曹ぶりには苦笑いだ。
12時17分、米原に到着。12両編成の姫路行きに乗り換える。先頭車両まで移動してやっとこさ窓側の席を確保。
12時20分。列車は姫路に向け出発。12時19分発の近江鉄道を左に分け軽快に走る。列車は一駅ごとに人々が乗りこんできて程なくして僕の座るボックス席もすべての席が埋まった。
そして14時06分、三ノ宮に到着。
久しぶりの三ノ宮駅。ルミナリエも車で来たからほんとに久しぶり。去年の全縦以来である。
駅前で弟君の車に乗り込みいざ広島を目指す。阪神高速から第2神明、加古川バイパス、姫路バイパスと走り姫路西ICから山陽道へ。18時半には着くかなと話していたところ岡山JCと倉敷JCの間で事故が発生しこの区間が通行止めとの情報が。そこに行くまでに通行止めが解除されることを祈っていたんだが結局解除される前に到着してしまった。仕方がないので吉備のスマートICで高速を降り倉敷ICまで迂回することにしたんだがこれがまた渋滞でなかなか前に進まない。そうこうするうちに山側を走る高速道路を見ると車が行き来しているではないか。う~む、あのまま待っとけばもうすいすい走れてたわけだな。まぁこれは結果論だから仕方がない。大幅に時間をロスして倉敷ICに突入。その後は休憩をとりつつ広島道、中国道と乗り継いで実家には20時過ぎに到着。その夜はたらふく飯を食い少し酒を飲み、そして語らい長い一日が終わった。
この3連休で広島に帰った。ほんとは子供らも連れて家族ともども帰りたいんだがいろいろあってなかなか帰れない。というわけで帰ったのは僕だけだ。
計画段階では色々あった。当初は成田からLCCの飛行機で帰るつもりだった。土曜の朝に広島空港に着いて芸備線に乗ったり撮ったりして翌日は可部線。最終日は三江線に乗って東京に戻ろうと思っていた。乗ろうとしてた飛行機は朝7時過ぎのフライト。田町から始発の電車に乗っても成田に着くのは6時半。これはぎりぎりだ。というわけで金曜日の夜にバスで成田に向かうことにした。大崎を1時くらいに出て成田に2時半ごろ着く便があるのである。ほぼ徹夜だがまぁ仕事をするわけではないので大丈夫だろ・・・って思ってたんだが困ったことが起きた。ネットで飛行機を押さえたと思ったら代理店から電話しろというメールが来た。電話してみると予約した座席はすでに無くなっており他の席だと1万7千円ほどになるというのである。これなら新幹線と大して変わらん。というわけで飛行機の線は断線した。しかし新幹線→芸備線→三江線→山陰線からの最後はサンライズで帰京という線は思いのほか金がかかるので一時は帰省すること自体を断念した。しかしせっかくの3連休。延伸・復活した可部線にも乗りたいし芸備線にも乗りたい。三江線にもお別れ乗車したいしサンライズにも乗りたい。それよりも何よりも親に顔を見せたい。うちの親も67歳と64歳。離れて暮らしているのでなかなか会えない。生きてるうちに会えるだけ会っておきたい。というわけでやっぱり帰ることにした。しかし節約のため18きっぷでの帰省である。田町から東海道・山陽線をひたすら西へと進む旅である。東海道線は正直つまらんが久々の山陽線はちょっと楽しみだ。ゴールの可部線あき亀山には20時半ごろ到着する。片道16時間、移動距離900キロ余りのロングランである。
しかしまたまた予定が変わった。神戸に住む弟君が、僕が帰るなら車で自分も帰るから神戸から乗せてやると言ってくれた。久々の鉄道の旅を楽しみたい気持ちもあるが車ならうちに着く時間が3時間くらい早くなる。あき亀山駅の夜の様子を撮影しようと思ったが親孝行のためにも神戸で列車を降りることにした。
※トワイライトに乗った時の模様はこちら→ http://ponpokosmile.blog.shinobi.jp/%E6%97%85/%E5%B9%B4%E6%9C%AB%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%80%802012%E3%80%80%E5%85%B6%E3%81%AE4
さっそくレストランに朝食に向かう。下のチビはリンゴジュースが飲めるのでご機嫌だ。
さすがに昨日みたいに刺身はないけどそれでもおいしいおかずがいっぱいだ。元を取るべく腹いっぱいおいしくいただいた。大満足の朝食であった。
寝台で寝るという上のチビをおいて下のチビと船内を散歩。
波もすごく穏やかで揺れも少ない。
ガチで荒れ狂う日本海も体験しているのでホントに穏やかだ。念のためみんなで酔い止めを飲んでいるけど今回に関してはなくても大丈夫だった。
遥か向こうには貨物船と宮城のどこぞの街が見える。
浴室のコインランドリー横にある展望窓。ベンチに寝転がってこういう景色を堪能できる。つーか船の中にコインランドリーがあったんだな。知らんかった。
その後ゲームコーナーとかで遊んで寝台に戻る。そしてごろごろしてたらあっという間に昼になり、ご飯を食べたら下船の放送が始まる。乗船時間は19時間ちょっとで小樽ー舞鶴とあんまり変わらないけどこちらの方がなんか忙しなく到着するように感じる。
下船の準備をして寝台でゴロゴロして過ごす。そして船は定刻に大洗港に到着。いや~ちゃんと時間通りに着いてよかった。
快適に過ごせた船に別れを告げ
タラップを渡り
本州に上陸。
さんふらわあふらの。楽しい船旅だった。
ここを渡ったら現実の世界に帰ってきてしまうんだな・・・。
フェリーターミナルを出るとものすごい数の行列ができていた。「これ、大洗駅行きの行列ですか?」と聞くと「水戸行きです」との答えが。そんなバスもあったのか。調査不足だ。だとすれば僕らが乗る大洗駅行きのバスはどこから出るんだ???フェリーターミナルの案内所で聞いてみるも例の行列だと教えられる。水戸行きと大洗駅行きの2つの行列がごっちゃになってるんだな。しかしこんなに並んでたら座れないかもしれない。僕はいいとして特に下のチビは厳しそうだ。というわけで目の前に停まっていたタクシーに大洗駅までどれくらい(お値段)かかるか聞いてみると「720円」とのお答えが。おぉなんだ、ワンメーターで行けるのか。というわけでタクシーで大洗駅に向かうことにした。
タクシーに乗ること10分ほど。鹿島臨海鉄道の大洗駅に到着。鹿島臨海鉄道には今回初めて乗車する。
待合室で時間をつぶす。発車時間が近づいてから改札を抜ける。自動改札が当たり前の時代にこの光景は懐かしい。
大洗。名前は知ってたけど初めて来たぞ。大洗のイメージはアンコウ。あと釣り。以上。
ホーム上はかなりの混雑。「これ座るの無理だな~」と思っていたら列車が入線。
カラーリングはNゲージで見たのと同じだったんだが何やら車体にお絵かきが。
えらい萌え萌えしてんな。
なんじゃこれ?ここらは何かのアニメの聖地か?そういや駅の前にもこれ関係のボードみたいなのがあったな。そっち系のオタクっぽい奴らが集合しとったし。
まぁアニメのことはとんとわからんので気にせず列車に乗り込む。単行なら激混みだったろうけど2両編成で来たので座れはしなかったけど普通に乗れた。
列車は水戸に向けて出発。周囲は広々とした農地が広がる。田んぼ???には何やら文字が書かれていたけど何が書いてあるのかよくわからなかった。
しかし広いねぇ。
列車に揺られること30分余り。終点の水戸駅に到着。ここから常磐線の特急日立に乗り継ぐ。同じホームの向かい側に入線する。
そして15時26分、いわきからのひたち18号が入線。田町ではいつも通過するこの列車を眺めていたが、本日初めて乗車する。この列車、水戸を出ると次は上野まで停まらない。実に70分以上ノンストップで走り続ける。対して常磐線のもう一つの特急「ときわ」は途中駅にもちょこちょこ停まる。
車窓からの眺め。これ、レンコンの田んぼかな?
列車には80分ほど乗るし上野だろうが東京だろうが何だったら終点の品川でも好きなところで降りればいいので気が楽だ。しかし確実に現実世界へと戻る旅である。明日は会社だ。また「今年」が始まる。今はチビどもが一緒にいて楽しい時間を過ごしているので例年ほどではないけどやっぱり少し気が重い。
車窓をボーっと眺めていたら・・・
スカイツリーが見えてきた。
「あ~とうとう帰ってきてしまった・・・。」
そして列車は上野に到着。僕らは次の東京で降りる・・・予定だったけどめんどくさくなって終点の品川まで乗り通すことにした。品川で降りても、ちいバスで100円で帰れる。そして16時53分、列車は終点の品川に到着。あ~ほんとに終わってしまった。あっという間の5日間だった。名古屋に迎えに行った時から数えたら6日か。楽しかったなぁ。今年も正月休みは終わりだ。また明日から「今年」が始まる。年々、立場的にも厳しくなっていく会社。出世とかどうでもいいから穏やかに過ごしたいものだ。
記念にもらった今回の乗車券。去年の北海道&東日本パスほどではないけど下車印でなかなかの貫禄が出ている。いつか下車印で文字が見えなくなるほどの長旅をしてみたいもんだ。
終わり
腹ペコでレストランへと向かう。肉も刺身も食べ放題だ。
レストランの様子はこんな感じ。
腹ペコに任せて手あたり次第のせてやった。全然おいしそうに見えないけどめちゃくちゃおいしかった。チビどもも好きなものを好きなだけ食べる。しかし下のチビの食欲がすごい。シーフードグラタンを何回も何回もおかわりする。6歳児ながら体重は25キロくらいあるらしい。そのあとアイスも食べて、僕もチビどもも大満足でレストランをあとにした。
一度寝台に戻り下のチビと船内を探検する。甲板に出たり色々歩き回る。船はすでに港を離れ周囲は真っ暗。街の明かりは見えない。その後売店やチャイルドルームなどを周って再び寝台に戻る。寝台に戻ると上のチビが映画を見たいというのでシアタールームに向かう。インディージョーンズ(だったかな?)を見るも途中で寝てしまった。最終的には途中でみんなで退場し寝台へと戻った。その後風呂に向かうもチビどもの小競り合いが始まり下のチビが上のチビに殴りかかる。これは下のチビが悪いと引き離しにかかった時に僕の小指が下のチビの顔をひっかいてしまった。すると下のチビは大きな声で泣き出した。顔を見ると目の下が傷になっていた。わざとではないにしろ「しまった」と思い謝って謝って謝り倒した。かわいそうなことをしてしまったとととてつもなく後悔する。そうしているうちにも入浴時間のリミットである22時半が迫ってくる。とりあえず風呂には入れて寝かさねばならんので風呂場に行くとなんと入口に本日終了的な看板が出てた。しかしまだ22時半には数分ある。ということで無理くり中に入った。時間がないのでぐずるチビをなだめて浴室に入ると中にはまだ数人の人達が入浴中。時間がないのでさっさと体を洗おうと腰を掛けるとなんと隣の人の背中に桜吹雪が舞っているではないか。「あちゃ~よりによって変なとこ座っちゃったな~」と思いながらも下のチビの体を洗う。しみるので痛いというけど謝りながらなだめながら体を洗い湯船にざぶんとつかり風呂を出る。外には清掃の方が掃除を始めていたけど「すんません」と謝りながら急いで服を着せる。清掃の方の「慌てなくてもいいですよ」って言葉がホントにありがたかった。その後寝台に戻って子供らを寝かせた。その後は一人でぷらぷらしようかとも思ったけど僕も疲れてしまってなんだかんだですぐ寝てしまった。
バス停には行列が。バスはもう着いているのになかなか行列は前に進まない。つーかこりゃ座れないなぁ。下のチビがぐずり始めたのでちょっと困る。上のチビとも喧嘩を初めて仲裁するのに苦労する。疲れてきて機嫌が悪くなってきたようだ。
列に並ぶと前の人に「これ、フェリーターミナル行きのバスですよね?」と聞くも「これは札幌からの便だから予約してないと乗れない」との答えが。だからみんな乗らないんだな。程なくして僕が乗る路線バスのフェリーターミナル行きのやってきた。列の後ろの方に並んでいたので立つことも覚悟したけどチビどもは座らせたい。というわけで最後部の空席に二人を押し込んだ。その前の席になんだかんだで僕も座った。車内はぎゅうぎゅう詰め。こんな中でチビどもを立たせるのは本当に厳しい。いやー危ないとこだった。
そしてバスはフェリーターミナルに到着。この直前に下のチビが疲れて寝てしまった。寝ないように声を掛けたり手を握ったりしたんだがどうにもダメ。最後は起こしたんだがとてつもなく機嫌が悪い。しかもちょっとしたことで上のチビに殴りかかったりするので上のチビまで機嫌が悪くなってしまった。
とりあえずなだめながらターミナルの中に入る。電光掲示板を見るとしっかりと大洗行きの文字を確認できる。まずは土産物屋に向かいチビどもを和ませる。そして乗船手続きをするためにカウンターへと向かう。上のチビは売店に残るというので下のチビと地下のカウンターに向かうと・・・
うわぁぁぁぁ~!!!もう大行列である。これ、売店に戻るのに何分くらいかかるんだろうか?
30分以上並んでもまだカウンターにたどり着かない。上のチビに電話するも電源が入っていない。もー何やってるんだあいつは。これじゃケータイの意味がないじゃないか。これはもう向こうからの電話を待つしかない。そのうち下のチビも「にいに大丈夫かな」と心配し始めた。とにかく今ここを離れるわけにはいかないし向こうも不安になったら電話をかけてくると信じるしかないと思っているとなんと上のチビが降りてきた。「お前電話は?」と聞くと「電源が切れてた」というではないか。おいおいマジか。充電しとけと言ってたのに。しかしよくここがわかったなと聞くと「放送で地下って言ってた」と言う。こういう風に動けるようになったんだな。知らない間に大きくなったんだなとちょっと感慨深くなった。
やっとのことで手続きを済ませる。その後売店に行きお土産や食料を調達。チビどもはお土産で2人そろってまりもを購入。さらに上のチビはあれこれ迷いながら嫁へのお土産も選んだ。
お土産も食料も買ったのでいざ乗船。レジがめちゃくちゃ混んでいたのでカウンターでいわれていた時間ぎりぎりになってしまった。
ターミナルビルから通路を通り
左手にこれから乗り込むさんふらわあふらのを眺めながら
タラップを渡る。
ここを渡るとついに北海道ともお別れだ。あっという間の4日間だったな。今年はチビどもと過ごせてよかった。タラップを渡りエスカレーターでロビーへと上がった。
とりあえず予定通りに14時発のスーパーカムイに乗れた。
上に着ているものを2枚脱ぐんだが各々がこれらを脱ぐと結構なボリュームとなってそれなりに座席が散らかる。背負ったザックからもちょいちょい荷物を出したりするので下車する10分くらい前から降りる準備をするんだが今回は落ち着かない。 旭川から岩見沢までは約60分。これくらいの乗車時間だと正直心の底からはのんびりできない。通勤電車で1時間なら寝ようかなという気にもなるんだがでかい荷物をもって且つチビが2人もいるので落ち着かない。
函館線は雪が深い。
滝川に到着。
保線の方々のおかげで我々は旅ができる。
深川→滝川→砂川→美唄と停まりあっという間に岩見沢に着いた。
向かいのホームには乗り継ぐ室蘭線のキハ40が停車中。
久々の室蘭線だ。岩見沢を発着する室蘭線は上下線で1日各々7本。天下の室蘭線も岩見沢ー苫小牧の非電化区間に関しては完全なるローカル線である。
時刻は15時02分。まずはチビどもを列車に乗せ座席を確保。それから僕だけがダッシュで駅のスタンプを押しに改札の外へ出る。
大急ぎでスタンプを押し再び列車に戻る。席に着くと同時に列車は苫小牧に向け出発した。
室蘭線のこの区間、乗り通すのは何年振りだろうか???前に乗ろうとした時には大雪で運休となってしまった。今回乗る機会に恵まれたのはラッキーだ。通常の僕の鉄道旅ならこの区間を組み込むことはあまりない。
そして列車は最初の停車駅、志文に到着。ここが志文か。乗車券に手書きが書かれたこの駅名に困惑させられたがとうとうここまでやってきた。
上のチビは爆睡してるし下のチビはiPadで動画ばかりなので車窓を楽しむ。
この路線も先日の「単独で維持困難」な路線の1つとして発表された。僕が次に乗る日は来るのだろうか?もしかしたらこれがお別れ乗車になってしまうかもしれない。
周囲に建物が増えてきたら・・・
追分に到着。2日ぶりに帰ってきた。行きは通過だったけど。
ここで僕の持っている乗車券は役目を終える。下車印がいっぱい押されて貫禄たっぷりだ。「あ~終わっちゃったなー」と感慨深い。僕とチビどもの旅も終わりが近づいてきたと少し寂しくなる。
ここからは釧路で乗変した追分ー苫小牧の切符の登場となる。とはいえこいつで途中下車することはなくすぐに苫小牧で役目を終えるんだが・・・。
ここから先は正直消化試合みたいな感じになってしまった。はっきり言ってしまえば思い入れのある区間でもなく、乗ってくる人も増えてきた車内もそこそこ混んできた。なんか旅が終わったなぁと感じる。そうしているうちに沼ノ端で千歳線と合流しあっけなく苫小牧に到着。
製紙工場の煙突からもうもうと煙が上がる。今は室蘭線、千歳線、日高線が集まるターミナルだけど将来は日高線と岩見沢までの室蘭線がなくなるかもしれない。特に日高線が厳しい。そうなると路線図上はただの中間駅となってしまう。寂しいねぇ。昔は北海道中に線路が敷かれていた。それが年を追うごとに線路がめくられ国鉄からJRになるあたりで大きく路線が廃止された。 その後は多少落ち着いたけどそれでも僕が記憶にあるだけでも函館線の上砂川支線、深名線、ふるさと銀河線、江差線の木古内ー江差間、留萌線の留萌ー増毛間が消えた。ここ数年でさらに大きく路線が減る可能性も高い。あと数年したら今回のルートで再び旅をすることはできなくなっているかもしれない。いろいろあったけど今回はチビどもと北海道を旅することができてよかった。心残りはコッタロ湿原だけだな。あの湿原はこれからも残るだろうからいつかチビどもが大きくなったら再訪したい。というわけで北海道の鉄道旅は終わった。
バスの発車時刻が迫る。駅近でよかった。
この降りっぷり。傘をもってくりゃ良かったな。余計な出費だ。
時刻は8時35分。バスは8時40分の出発だ。しかしこんなでかいザックを担いで動物園をウロウロするのは嫌なのでコインロッカーに預けなくてはならない。ホントはもっと早く来てバス停で並んでるはずだったんだがすでに発車間際である。これじゃ座れんかもしれんなぁ。前回来た時にはここからタクシーで向かった。でもバスなら何百円、タクシーなら何千円だ。だから今回はバスの一択だ。しかし前回は帰りはバスにしたんだがこれがもうぎゅーぎゅー詰めで上のチビは疲れて立ったまま寝る始末。それを支えるのも大変だった。
運よく開いていた600円のコインロッカーに僕とチビのザックをぶち込みバス乗り場に急ぐ。乗り遅れたら1時間待ちだ。
バス停に着くとちょうどバスが到着したところだった。しかし行列ができていた。僕らもその最後尾に並びバスに乗り込む。するとうまい具合に3人分の席が空いていた。横並びのが2人分と離れたところに1人分。僕はチビどもを並んで座らせ、自分は離れたところに座る。すると下のチビが心細いのか「パパ~」と声を掛けてきた。すると下のチビの隣に座っていた東南アジア系の女性が席を替わってくれるという。言葉はわからんがジェスチャーで分かった。いや~ほんとにありがたい。僕は何語でしゃべっていいのかわからんので(つーか何語もしゃべれんので)日本語でお礼を言って替わってもらった。言葉はわからんでも親切心というのは世界共通なんだな。
バスは動物園に向けて出発した。ぎゅーぎゅー詰めではないけど立ってる人もいるほどの乗車率。車内はほとんどが外国人だ。外国人にも旭山動物園は知られてるんだな。ここ数年で日本に来る外国人は激増したとほんとに感じる。僕が高校生だった頃は全然こんな時代が来るとは思ってなかった。正直こじれはすでに産業として成り立ってるわ。外国人相手の観光業。日本もこのままじゃ先細りなんでこういう変化も必要だ。つーかすでにこの人たちに日本の経済は支えられてるわ。
バスは動物園に到着。「休園中」というのは昨日の話。日付は変わって今日は開園日なんだがそのままになっている。
正門前の広場では職員の方が雪かき中。チビどもは遠くの雪山目指してきゃーきゃー言いながら走って行った。
しかしまぁここまで来るとまったく雪は降っていない。旭川の駅前のあの光景は何だったんだと唖然くらうほどの平和っぷりである。結果論だからしょうがないけど「傘買って損したー」と心の底から悔やんだ。
ところで時刻は9時20分なんだが開園は10時30分である。1時間余り待ち時間があるんだが次のバスで来ると到着は1時間後。それでも間に合うんだがぎりぎりにくるともし激混みしてた場合に困るので安全策で早いバスで来た。今のところは全然ガラガラである。
辺りを観察しているとこういうものが目に入った。おぉ~一番メイン所ではないか!!!というわけでこちら側に移動する。それでもまだまだ時間はあるのでチビどもは雪遊びに勤しむ。昨日は塘路駅のストーブの前から動かなかったというのにえらい違いである。ちなみに気温は0℃。おぉ~昨日より20℃も高いではないか。風もないので0℃でも正直暖かく感じる。しかし氷点下20℃の破壊力は子供の遊びたい気持ちすらぶち壊す破壊力があるってことだな。すごいわ。
けっこうな人が並んでいるので10時半になるまえに開門。しかし門をくぐったところで待機。あくまでもスタートは10時半の模様。その間にあとからあとから人々が入ってくる。
そして10時半。各自思い思いの場所へと走る。僕らはまずはアザラシ館へと向かった。
写真には撮り忘れたけど筒状の通路を下から上にアザラシが泳いでいく。5年ぶりの再訪だけど見ていて楽しい。見せ方がうまいなぁって思う。
2人そろってアザラシを観察。
お次はホッキョクグマ館。初めはあのガラスに張り付いてみてたtけど実際は後ろから見た方が見やすい。特に下のチビなんかは小さいのでここからの方が見やすかった。
その後はオオカミとか昨日間近で見れなかったエゾジカとかヘビとかカエルとかレッサーパンダとか地味なものを見てから本日のメインイベント、ペンギンの散歩を見に行く。
前回来た時には時間的に見れなかった。確か前回は2回これがあったのかな?初めのやつは時間的に間に合わず2回目のは時間的にそこまで園に残ると札幌からの北斗星に乗れなくなるということで泣く泣く断念したのを覚えている。
今回はこれが見れた。そして最後はペンギンたちの後ろを歩いてついていった。上のチビも下のチビも楽しそうでよかった。
その後はその流れでペンギン館へ。
これが一番よかったと思う。
映画にもなったからね。
さすがだなって思う。
これぞ旭山動物園!!!
その後は北海道の動物を集めたエリアに向かい最後はチンパンジー館。13時のバスに乗らねばならないので12時35分でタイムアップにした。前回はライオンを見に行ったりヒョウだかトラだかを下からお腹を見上げるというのも見たけど今回はそれはパス。その代りペンギンの散歩が見れたからいいや 。
出口に向かう途中チビどもがお土産を買うというのでお土産屋に入る。下のチビにはペンギンのぬいぐるみを買ってやり上のチビにはオオカミのステッカーみたいなのを買ってやった。しかし前回の帰りのバスが激混みだったのでちんたらするわけにはいかない。焦りながら門を出てバス停に向かうと
うわぁぁぁぁ~!!!大行列だよ!!!これはどう見ても座れるか座れんかというよりも乗れるか乗れんかという問題だ。
遅ればせながら列の最後尾に並ぶ。いや~これ乗れないだろ。周囲を見てもタクシーの姿はない。このバスに乗り遅れたら14時のスーパーカムイに乗れなくなる。これに乗れないと予定通りに苫小牧に着けない。それはすなわちフェリーに乗り遅れるということである。不安になりながら運転手氏に「これ全員乗れるんですか?」と聞くと「この後に臨時を出しますのでそれに乗ってください」とのこと。その臨時がいつ出るのかわからんが状況的に非常にやばい。13時に定期の便が出るとすぐさま臨時がやってきた。それに乗り込み座席を確保。この臨時便もみんなが乗ったらすぐに出発。「よかった~」と思うと同時に「渋滞してたらまずいな~」とも思う。さっきの定期便がまともに走って旭川駅着が13時41分。遅れは10分までだな。
結局旭川の駅には13時48分に到着。何とか間に合った~。そして急いでコインロッカーから荷物を取出しスーパーカムイの待つホームへと駆け上がった。
長時間停車を利用して外に出るというのはなんか楽しい。先ほどの遠軽もそうだし他にも音威子府や帯広でもこの手の楽しみはある。毎年楽しみにしてた落合は今年は不通区間だ。このまま廃止されるのだろうか・・・。
車内に戻る。この旅初のリボンナポリンである。初めて北海道に来て以来、滞在中に必ず1本は飲む。上のチビに飲ませたら「うまい」。上のチビは炭酸飲料は苦手だがこれは飲めた。下のチビは「うまいうまい」と言って残りをほとんど飲んでしまった。
残りの時間は恒例の撮影タイム。
跨線橋の上から。
反対側のホームから。
18時53分、列車は旭川に向け出発した。例年だとここまで来ると正直消化試合のような気分になってくる。気持ち的には半分旭川に足を突っ込んだように感じる。「あ~正月休みも終わりだな~。あとはこのまま現実世界へと戻って行くだけだなぁ~」と。今年は一人でなくお供が2人いるからかもしれんがまだ楽しい気持ちでいられる。明日は旭山動物園で夜はフェリーだ。久々の船旅も楽しみである。
車内では先ほど買ったもので夕食とする。下のチビはどうもスパゲティが好きなようで一人でペロッと食べきってしまった。その後は将棋をしたりなんかして過ごしているうちにあっという間に終点の旭川に到着した。
8時間の旅を終え回送列車となるキハ40。本州ではどんどん廃車に追い込まれている。たぶん北海道が最後まで残るのだろうと思っているんだが少しでも長く残ってほしい。終焉間近になると乗客が殺到したりしてこれまでのような旅は楽しめなくなるかもしれんが・・・。
駅のスタンプを押した後、iPadで宿の場所を調べる。しかしWi-Fiがなぜか圏外でネットにつなげない。そこで運よく近くにいたおまわりさんに今宵のお宿の場所を聞き宿へと向かった。
今日も買物公園はきらびやかだ。
駅方面を振り返る。
そしてここが今宵のお宿、旭川ビジネスホテルだ。チェックインを済ませ部屋へと向かう。建物自体、歴史を感じるなぁ。まぁ値段が値段なので文句は言えん。ただ風呂に入って寝るだけなら十分だ。
荷物を整理して洗濯をしようとすると「ん???」
コインランドリーはどこだろう???どうにもこうにも見当たらない。フロント氏に確認するとこのホテルにはコインランドリーはないとのこと。また街の中にもないとのことだった。う~む、困った。明日のフェリーの中にはコインランドリーはない。今日、ここで洗濯できると思っていたのでそれができないとなるとチビどもの服が足らなくなる。なんとかせねばとやりくりして何とか目途を立たせ風呂に入る。明日は7時起きだ。この二日間、一昨日は6時過ぎで今日は5時過ぎだ。明日はちょっとだけ長く寝れるな。というわけでいろいろあった2017年の元旦が幕を閉じた。