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兵庫から単身赴任で東京に暮らす39歳。趣味は登山とロードバイクとか言いつつも激務にやられロードバイクは部屋のオブジェと化してる今日この頃。もう一度輝きを取り戻したい!!!
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宇津井駅から帰ってきてまずは腹ごしらえ。昼飯の分までたらふく食っていざ出陣。どこへ行くかと言うと僕が昔住んでいた場所である。僕は小学校を出てから今の実家に住んでいたんだがそれまでは広島市の郊外、安佐北区というところに住んでいた。引っ越してからも車で通ったりしてはいたんだが、がっつり歩いて見てまわったりはしていない。一度車でかるくまわったことはあるんだがそれももう10年以上前。久しぶりに懐かしいあの場所に戻ってみたいと思ったのだ。
今日は三江線を撮るまでは時間的なスケジュールを考えていたけどここからは正直言ってノープランだ。行きたいところはたくさんあるけどどこをどうまわってというのは時間では決めていない。とりあえず考えていることは①昔住んでた場所を歩く②延伸開業した可部線に乗る③新白島駅を見る④芸備線を撮影する⑤芸備線を三次まで乗る⑥宇津井駅で三次方面から来た列車を撮影する
まぁ時間的に考えて全部はできない。どれを選択しどれを切るか。それはこの後考えよう。
久々に路線バスに乗りたくなってバスで向かおうとすると弟君が乗せていってやると言ってくれ、おかんも買い物ついでに一緒に行くことになった。
車で走ること40分あまり。スタート地点と考えていた虹山県営住宅のバス停に到着。僕はここから歩いてまわるので弟君たちを別れる。
虹山県営住宅こと虹山県住。略して「ニジケン」
いや~変わった。めちゃくちゃ開けたなぁ。昔は車が見える奥は山だった。


 瑞兆園方面。前はこんな道なかった。車の通れない、自転車やバイクが通れるくらいの山道だったはず。山はどこ行ったんだ???







一度バス停方面に戻り歩き始める。懐かしいなぁ。ここを歩くのは何年振りだ???僕が正式に引っ越したのは中2の春。小学校を出てからの1年間は訳あって今の実家でじいちゃんばあちゃんと暮らしていた。
ということは26年振りか。





昔はこんな公園なかったな。











  公園の横から山道へと下って行く。












あそこで例の瑞兆園への道と合流するのか。









僕は昔の道で瑞兆園を目指す。こんな明るい道じゃなかったと思うんだけどな。いろいろ刈り払ったんだろうな。









この池、農業用なのか防火用水なのかわからんが昔でっかい亀をつかまえたことがある。









瑞兆園。懐かしいなぁ。











この住宅地にもたくさん友達がいた。K本にK笠にF田。みんな元気かねぇ。
K本の家に行ってみた。表札は出ていなかった。ちなみにこのK本君、中学に入ってグレにグレまくり立派なヤンキーに成長。卒業アルバムもなんか金髪モヒカンみたいな感じだったような気がする・・・。ん???どこでその卒アル見たんだっけ???僕はこの学区の中学には行っていない。誰かに見せてもらったんだろうな。さらに言うとこのK本君の兄ちゃんもドヤンキーだった。



寿屋。すっかり古びてしまってるけどまだあったんだな。







例の池の横を行く。










おぉ~!!!亀だ!!!











ミドリガメことミシシッピアカミミガメ。大きさはあれくらいだったと思うけど僕が捕まえたのはクサガメだった。ちなみにこの辺の地名は亀山南。
  
  
  
  
  
  
  
  
昔の道はあっという間に途切れアスファルト道へと出る。バス停の時刻を見ていたら「祝JR可部線延伸」ののぼりを発見。あき亀山はここからだって近いからな。めでたい!!!
    
  
  
  
  
  
  
  
  ここからはるか遠くに見える











あの茶色い建物群。安佐市民病院があき亀山駅の近くに移転してくる模様。この辺の人からしたら便利になるな。ちなみに市民病院の左に見えるのは文教女子大。そろばんの検定試験でよく行った。
  
  
  
  
  
  
  
  再びニジケンに戻る。今車が停まってるところも昔は県営住宅(県住)が建ってた・・・ような気がする。昔は虹山県営住宅のバス停のところで納涼大会とかいう名前で夏祭りや盆踊りをしていた 。で、地元民はこのバス停のところを「ロータリー」と呼んでいた。全盛期はこの県住だけで千人単位の住民がいたと思う。



 この階段を上ったところにある










46号館にK島君という友達がいた。それ以外にもこの県営住宅には大勢同級生や友達がいた。







 
   でもあれから約30年。壁を塗り替えたりはしてるけどやっぱり古めかしさは隠せない。僕が住んでた時だって決して新しくはなかったからな。ぽつぽつ空き家もあったし。
  
  
  
  
   
   
   
   
   ここの県住の前に来ると思い出す。小4か5年のことだったと思う。僕はこの前でシカを見たのだ。









 
  シカはこの向こうから走ってきた。最初は「え?ウマ?でっかい犬?」がこちらに向かって突進してくるように見え 大いにビビった。






そして立ちすくむ僕には目もくれずシカはこの山へと走り去っていった。急いで家へと戻り同じブロックの県住の友達たちに「シカじゃ!シカがおった!!!9号館の方から走ってきて7号館とこの山ん中に走って行った!!!」と興奮して話したんだが「ウソじゃろ」「シカなんかおるわけないじゃろ」と信じてもらえなかった。でも確かに僕はシカを見たのだ。



6号館。ここにも友達がいた。てっちゃん、N藤君・・・あの頃は楽しかったなぁ。









今はフェンスが張られてるけど(前もあったか?あっても破れてたな)昔あの向こうの斜面に秘密基地を作っていた。洋酒の瓶とか持ち込んで並べてた。すぐ横には山からの水が流れていて小さな沢みたいになってた気がする。






そしてここが僕が住んでいたブロック。建物が取り壊されて駐車場になっている。










「兵どもが夢のあと」って感じだ。










ちなみにこのどん付きのガードレールを越えて










この斜面を登ると6号館にワープできる・・・まぁまともに歩いても2,3分で着くんだが。
 
 
 
 
 
 
 
 
   この駐車場になっているところが昔1号館と2号館があったところ。奥の戸建てが建ってる辺りが僕が住んでいた3号館があった場所だ。その奥に4号館と5号館があったんだがそこにも戸建ての住宅が建っている。昔はここのブロックには子供が多くて学年を越えて中学生とも一緒になって遊んでいた。みんなで野球をやったり花火をやったり缶けりをしたり。近所付き合いも非常に密で非常に人と人のつながりが濃い地域だった。ここへ来る前はここから徒歩5,6分のところの戸建ての借家に1年半ほど住んでいたんだが、引っ越してきてすぐに仲間に入れてもらってとても楽しい小学生時代を過ごすことができた。ちなみに今となってはこんなに狭く見える道路でみんなで野球をやっていた。電信柱があるところが1塁ベース。ボールがすぐに右側の斜面に上がっちゃったけどこの壁をよじ登ってボールをとりに行った。中学生なんかは勢いをつけてこの壁に向かって走って行きその勢いで壁を登っていた。
ここでやる野球は「大きい野球」といって一番面白かった。ちなみにもっと狭い場所でや「小さい野球」というのもあった。





そのころの人達は今はみんなバラバラのところで暮らしている。実家のおかんからたまに誰々がどうしたみたいな話を聞くくらいで僕自身はもう誰ともつながっていない。なんともせつない気持ちになりながらも思い出探しを続けた。
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