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8時39分、千代田インターから高速バスに乗る。備北交通のバスがやって来た。しかし僕が乗るのはこの広島行きではなく
後ろに付いてる庄原行き。僕が乗る三江線の石見川本行きは10時02分発。なので次の9時18分のバス便でも机上の予定では間に合うんだがそれだと三次駅着が9時54分。さすがにこれでは心もとないし三江線が座れないかもしれないので余裕をもって1本早い便に乗った。
9時15分、時刻表通りに三次駅に到着。久々の三次駅。前回の様子はこちら
キハ40系が停車中。
駅横のトイレで朝の生理現象解消タイムを済ませいざ改札の向こうへ。
すると三江線が到着。おぉ~けっこう乗ってんな。どう見てもお別れ乗車の人々って感じだな。
列車にに乗り込み座席を確保してから撮影タイム。
キハ120形。Nゲージで売ってたな。高山線、関西線、木次線、三江線、津山線の120形シリーズ。
向かいのホームのタラコ。
キハ120形とキハ47だか48だかのツーショット。
もうすぐ見納めと思うと・・・つーか現物を見るのは今日で最後となると思うと感慨深い。
三次。次はいつ来るんだろうか。中高時代には三次出身の友達はいっぱいいた。大親友のナオトも三次の出身だ。
跨線橋を渡り
改札に戻ってみどりの窓口で本日のサンライズのキャンセルを確認。今の寝台は喫煙室なので禁煙室の空きを確認したがやはり満席のままだった。
構内を散歩。留置線には単行の列車たちがお休み中。
こういうのを見るとこの町は交通の要衝、列車の運行上の基地という感じがする。
いや~いいね。のんびりしたゆったりとした時間が流れていく。
こちらは芸備線の塩町方面。まっすぐ伸びる線路。列車来ねーかな。いい感じの写真がとれそうだ。
跨線橋の上から広島方面を望む。入り組んだ線路が見てとれる。しかし「ん~???」
昔、三江線を乗り通したときは三次を発車した後芸備線と並走した記憶がある。でも今の配線では不可能だ。左側の途中で途切れている線路、あれが昔は本線とつながっていたんだろうか?つーかつながってたんだな。そうじゃないと無理だもん。
あと数分で広島からの列車が入線する。9時57分着の広島発三次行きの列車だ。
おっ、来たぞ!!!
しかし悲しいかな手ぶれである。手ぶれ防止がオフになってたのか???
右に左に車体を揺らしながら列車が近づく。
しかし昨日からタラコばっかりだな。広島色はほぼ全滅か???
山をてっぺんまで入れみた。手ブレじゃなくてピンボケだなこりゃ。もう少し絞らねば。
というわけで芸備線が入線。
ほぉ~快速でしたか・・・と思ったらこれは折り返しが快速広島行きとなる。つーか芸備線に快速か。
もうみよしもちどりもたいしゃくもなくなったからね。急行は全滅だ。
今となっては快速が芸備線の唯一の速達便。でも三次からだと高速バスの方が分があるな。なんてったって本数が多い。あちらは毎時2本はあるけどこちらは毎時1本という感じ。所要時間も広島駅ならば芸備線の快速の方が多少早いが紙屋町に行くなら高速バスの方が早い。こりゃ急行は勝てんわな。これに急行料金出すとは思えん。各駅停車なら広島まで高速バスよりも確実に遅い・・・。
広島方面からの乗り換え客が乗り込んでくる前に急いで三江線の列車に戻る。すると「な、なに~!!!」
同じホームの向かい側に列車が入ってきた。芸備線の下り列車である・・・と思ったら福塩線の下り列車であった。府中発の三次行き。三次着9時58分の列車である。くそぉ~こんなのもあったのか。だったらさっきの塩町方面のアングルで撮影できたではないか!!!しくじったなぁ~。正直三江線の発車時刻しか調べてないからなぁ。僕が乗ってるこの江津からの折り返し列車も三次着の時間を把握していれば撮影できたのに。こんなんトイレなんか行ってる場合じゃなかったな。つーかよく考えたら三次という駅は三江線、芸備線、福塩線という3つの路線が乗り入れる立派なターミナル駅である。まぁどれもこれも一級品のローカル路線だがそれでもこんな中国山地のど真ん中の町によくもまぁ集まったもんだと思う。ただもうすぐ三江線は無くなってしまうけど・・・。
しかし三江線と福塩線は撮っときたかったなぁ~。2度しくじったという気分にうちひしがれながら列車は石見川本へと出発した。
17時38分、列車は留置線へと引き上げていった。
駅名表を入れてみる。
ここだけ見ると地下駅のようだ。実際にはただの通路の下。
新幹線の改札。変わったねぇ。
ほんと変わった。つーか知らんかったけど広島駅は橋上駅に変わるらしい。岡山駅は随分と前に橋上化されたが・・・。
昔のままで変わってほしくないという気持ちは正直ある。時代の流れとはいえ自分の中の思い出の景色が変わるってのは寂しい。
ホントここだけ見ると地下みたいだ。
どこぞの大都市の地下駅みたいだ。
久々の広島駅。
うわ~変わったなぁ。前はこんなんなかったぞ
前は基町クレドくらいしか高い建物がなかった。広島駅の周りって何にもなかったんだけどねぇ。駅前の再開発がやっとこさ進んで広島の駅前もだいぶ立派になった。
広電の電停にも久々に足を運ぶ。この車両懐かしいな。僕が中学生のころから走ってるよ。まぁ広電は走る博物館とか言われてるからこんな車両はまだ新しい方か。
夕方の大渋滞。後ろに建ってるのはエールエール。これも僕が広島を離れてから再開発の一環でできた建物。
駅前大橋方面。きれいになったなぁ。
新しいグリーンムーバーか???
新旧が並んだな。
こっちの方が見ててなんか落ち着くわ。
おぉ~またなんか違うのが来た。なんか新しいのばっかだな。
昔の各地の市電達はもう引退してんのか???なんか超低床車がバンバン入ってきてかっこいいぞ。近未来っていうか都会っぽいというか。
知らんまに時の流れと相応に街も変わっていくな。
ここ、昔はダイエーだったんだよね。もう全く面影もない。
路面電車には乗らず、かつ広島駅からバスには乗らずバスセンターまで歩くことにする。久々の広島見物だ。あの建物、昔は代ゼミだったはず。僕は河合塾だったので世話にはならなかったが弟君は代ゼミに通ってた。
久しぶりだなぁ。
夕焼け。
広島は川の街だ。
市内を6つの川が流れる。デルタ(三角州)の上に出来た街。
地盤が緩くて水分が多いから地下鉄ができない。つーか作ろうとすると莫大なお金がかかるからできないって言われてた。まぁアストラムラインがちょこっとだけ地下に潜っていたりするけど。昔は「地下鉄できんかな~」って思ってたけど今となってはそんなものはいらんと思う。これだけ路面電車が充実してたら地下鉄なんかいらんしこっちの方が個性的でいいと思う。
女学院の前を通り幟町中学の前を歩く。
三越が見えてきた。
なんか見たくれが川西の西友をグレードアップしたような感じだな。正直あんま高級感がない・・・。
その横には流川のゲートが。
広島最大の歓楽街である。
ここら辺から紙屋町までが広島のメインストリートである。
八丁堀の電停。記憶があいまいなだけかもしれんがこんなに長かったけ???なんかグレードアップしたような気がする。
広島を離れて21年。都会から田舎までいろんなところをみて回ったけど広島はまだまだ都会の方だ。東京は言わずもがな関西と比べても田舎な感じはする。でも全国津々浦々巡って思うことは上から数えた方が早いくらいの都会ってことだ。
今東京に住んでるけど東京と比べたら大阪だって随分と田舎だ。ぶっちゃけ東京以外は全部田舎。でもそれを言ったらおしまいなので広島くらいの街は都会の部類に入れないと日本全国全部田舎になってしまう。
街の中心を路面電車が走る大都市ってなくはない。札幌だって大阪だって走ってはいるけど広島ほど存在感が圧倒的な街はないと思う。
鹿児島とか松山もこういう景色はあるけど
でも街の活気は広島にはかなわない。
ずっと広島にいたら「都会に出たい~」と思うかもしれんけど
一度離れてみると1周して「あーこういうのもありだな」って思う。
でもこれは一度広島から都会に出てみないとわからないと思う。
特に東京に住んだりなんかするともう都会とか田舎とかどうでもよくなって「広島がいい。」ってなるんじゃないかと思う。
特に年をとったら。
今や全国区のカープもあるしね。
大阪ほどなんでもそろってるわけじゃない。
名古屋よりもさらにそろってないものはあるけど
贅沢を言わなければ困らない程度のそこそこの街だと思う。
ハンズもパルコもビックカメラもあるしね。
「テレ東が映らん」という人がいるけど
別にテレ東いらんしね。
それ以外のキー局があればいいでしょって思う。
今時BSもCSもあるから僕なんかあんまり地上波見なくなったもんね。
というわけで僕的に広島のど中心に近づいてきた。
紙屋町、広島バスセンター。
僕的にはここが広島のど中心だと思う。
お、こんなところにモンベルが。いいとこ建ってんな。
日本の三大都市圏に住んだけど
子供のころのインパクトがあるから僕的にはここが一番都会に感じる。
車の免許をとって名古屋で普通に乗り回してた時も
ここを初めて車で通った時はなんか緊張した。栄とかを走るよりもよっぽど緊張した。広島といえば紙屋町、そごう、バスセンターだ。
バス乗り場に上がる。
広電バスがやって来た。
三次小学校行き。その後バスは中国山地を目指して北上する。広島高速なるところを走りあっという間に西風新都へ。いまやあっという間に沼田まで突き抜ける。時代は変わったな。そして家族の待つ実家へと戻った。
現場に向かう途中の踏切にて。可愛い花だ。
すぐわきには太田川。奥の方には先ほど通った可部線の太田川鉄橋が見える。あとで列車の写真も撮ろう。
現場に到着。いや~素晴らしい。とはいえここの存在を僕は知らなかった。何度か乗ってる区間なんだがネットで調べて「こんなとこあるんだ」ってことでやって来た。ただ前回乗った時に「あ~ここ線路に道に近くて障害物もないし写真撮るのにいいな」とは思っていた。ただここのトンネルとはまったくリンクしていなかった。
縦位置。いいねぇ、単線非電化。邪魔な架線もないしいい感じだ。
ここが現場。すぐ先に八丈踏切がある。昨今のJR西日本、特に関西ではここ最近いたるところで線路沿いに有刺鉄線付きのフェンスが張られてお立ち台が潰されている。うちの近所の福知山線にもお気に入りだった撮影ポイントにフェンスが張られてしまった。そんな中、芸備線は全般的にむき出しでありがたい。都市部でこんな線路脇まで行けるところなかなかないぞ。しかし同じJR西日本なのでいつまでもこの姿で残されるのか不安はある。
可部線、通らねーなぁ。20分間隔での運行なので単純に10分待ったら1本くるって感じなんだが・・・。
玖村発16時15分発の列車を待ち構える。ここも有名なお立ち台だと思うんだがだーれもいない。自由に動けるし気楽でいい。三江線も誰もいなかったしよかったよかった。
16時13分、列車がやって来た。
縦位置で。
一つ目の トンネルを抜けたところでパチリ。
二つ目のトンネルに入って
抜けたところでパチリ。
3つ目のトンネルに入る。
トンネルの中の列車を撮ることってあんまりないな。なかなか新鮮。
でてきた!!!
いいねぇ国鉄色のキハ47形。
ケツ撃ち。いいねぇ。可部線も好きだけどやっぱキハ40系の走る芸備線はワクワクする。同じ安佐北区民でも可部側の小学生だった僕はこの芸備線になんか異国感的なものを感じていた。この辺りは学区というものが決められていて小学生は子供らだけで学区を出ることはだめという決まりがあった。とはいえ病院に行ったり塾に行ったりと学区外に行くことはあったんだが、友達とサイクリングで高陽町から八木に抜けるこの学区外のルートを走るのはとても楽しかった。見慣れた可部線でない芸備線の車両を見るのも楽しみだった。当時は可部線の非電化区間も健在だったんだが如何せん本数が少なくてほとんど見かけることはなかった。
なんかホッとするわ芸備線。架線もないからすっきりしてる。
さぁ次はここで三次方面の列車を待つ。
にしても可部線通らないなぁ・・・。
16時24分、広島色のキハ47が来た。
トミックスからNゲージも出ている。
パチリ。広島近辺の227系以外の電車は真っ黄っ黄に塗られてるのに何で気動車はそのままなんだろう???今後はタラコが増えてきたりするのかな???って調べてみたら今後はすべてタラコ一色となりこの広島色は絶滅する模様。マジか・・・。大好きだった車両なのでショックすぎる。Nゲージの世界でこの思い出とともに生きていこう。
お次は玖村発16時35分発の列車を撮影。この時点で三次まで乗車することはあきらめた。もうすぐ日が暮れるから真っ暗な中を乗ったって楽しくない。残りの時間はすべて撮影にささげよう。
一つ目のトンネルを抜けた。しかしここはいいお立ち台だ。
みんなでマナーを守って
今後もフェンスとか張られないように
これからもずっとずっとここで撮影できことを
本当に切に願う。
いや~、キハ40系。ほんとに大好きだ。僕が幼稚園のころにはすでに走っていた車両だ。老朽化が進み全国でも続々と引退している。JR東海ではすでに全滅。北海道でもこれから淘汰が進む模様。東北だってそろそろ危ないぞ。九州だって安泰じゃない。つーか寿命的にもう減って行く一方だ。
お次はアングルを変えてみる。
次はこれでいってみよう。
玖村発16時45分の三次行きを撮影してふと可部線方面を眺めると
おぉ!!!いた!!!
105系でも113系でもなく227系だ。
つ ーか105系はどこ行った???それは置いといて右上に見えるの南原ダムだな。ここからでも見えるんだ。
そしてトンネルに向けてカメラを構える。次の列車は玖村発16時55分の広島行き。今回はこれで最後にしようと思う。そろそろ帰る準備をしないと夕飯の団欒に間に合わん。今日は出づっぱりだったから夕飯くらいはみんなで食わねば。
列車がやって来た。
木々の影が正面に映る。
しかしまぁこんな短いトンネルが連続する区間なんて他にないよな。
3連続でしかも入口から三つ向こうのトンネルの出口が見えてるんだもんね。
広島はいいわ。可部線もあるし芸備線もある。足を延ばせば木次線も。なくなっちゃうけど三江線もある。
40歳を迎えるにあたり仕事のきつさとかなんかもろもろ嫌なことが多くなってくるとなんか昔の楽しかった頃の思い出に浸りたくなる。昔は広島は田舎だから都会に出たいと思ってた。でも名古屋にも関西にも東京にも住んだし正直もう田舎とか都会とかどうでもよくなった。故郷の広島がよくなってきた。
でも家族は川西にいるからね。家も建てたし。なかなか難しいわ。
駅に向かいがてら最後の最後の列車を撮影すべくカメラを構える。このまま駅に向かっても三次方面の列車の後に広島行きの列車が来る。道路をアンダークロスするあのポイントが行くか行くまいか迷っていたポイントだ。でもあっちじゃなくてこっちに専念してよかった。あっちに行ってたら1本トンネル側の列車を撮り損ねていたかもしれん。
そして列車がやって来た。
ところでこれから家に帰る方法なんだが、高瀬堰を渡って梅林からバスで帰るか最後に可部線に乗って可部からバスに乗るか。
高瀬堰を渡って梅林までは行ってみたい。昔サイクリングだったり玖村から可部線に乗り換えるためだったりでよく通った思い出のある道だ。
でも家に帰る直通のバスは本数が少ない。時刻もわからん。となると広島北インター入口で高速バスに乗り換えだ。
だったらいっそのことバスセンターからダイレクトに千代田インターまで行ってやろう。久々に広島の街を歩いてみようと思った・・・なんてことをこの写真を撮る前にはすでに決めていた。トンネルの写真を撮りながら。だから17時15分発の列車で広島に向かう。
あらためていいなぁ。キハ40系。
次はいつ来れるのか。
枯れ草がちょっと邪魔だけどこの場所はホントいいところだ。
また来たいねぇ。
また来たい。
そして玖村駅。今も昔も無人駅だ。ここからほど近いところにある高陽高校に行くつもりだったんだがいろいろ事情があってやめた。高校受験もしたのにそのまま中学校の附設の高校に上がった。
17時15分。西日を受けて列車が入ってきた。
今日は芸備線の列車を乗ったものも含めて8本見たけど広島色は1本のみ。しかも2両目はタラコ。次に来るころには全部がタラコになってるんだろうな。真っ黄っ黄の105系すらなくなり広島色のキハ40系も消え三江線も地図から消える。時代の流れかねぇ。ここ20年くらい変わらなかったものが次々と消えていく。寂しいわ。
そんな思いを抱きながら広島行きの列車に乗り込んだ。
昔はただ線路が通ってるだけ。列車に乗りたければ河戸まで歩くしかなかった。
全景。史上初のJRの廃線復活区間の終点である。
駅の前はこんな感じ。
何?梅?桃?
全景はこんな感じ。昔はこの向こう側に荒下県住という長屋風の県営住宅がいっぱい建っていた。
駅の入口の前に陣取りこれからの予定を考える。やりたいことは色々ある。しかし時刻は14時半をまわった。全部やるには時間的に無理だ。ひとつづつ検証する。まずは三江線の宇都井駅で撮影。これをやるには今すぐここで引き返さねばならん。よって却下。続いて芸備線での撮影。中山隧道とネットでよく出ている戸坂の踏切。これも時間がないので却下。しかし玖村ー下深川間の3連のトンネルの写真は撮りたい。安芸矢口方面の道路をアンダークロスするポイントは現場に着いてから行くか行かんか考えよう。お次は玖村にどうアクセスするか。気持ち的には梅林で降りて高瀬堰を渡って向いたい。あのあたりには色々思い出があって今回行かなければ次にいつ歩けるかわからない。しかしそうするとまだ見たことのない新白島の駅に行けなくなる。時間が許せばこの時間からでも三次まで芸備線を乗ってみたいという気持ちがあるのでそうなれば玖村から乗ることになり新白島には行けなくなる。まぁこれは電車に乗ってからどうするか決めよう。
改札をくぐる。目前には227系、レッドウィングが停車中。可部線にこういう電車が走る日が来るとはねぇ。昔、115系が乗り入れるようになった頃は「可部線も都会になったのぉ」と感動したもんだが。
車止めを入れて正面から。新しい227系もいいんだが正直105系に乗りたかった。それがダメなら115系。久しぶりにこの2つの車内のにおいをかぎたかった。
座席を確保し、発車までの時間を利用して先頭車両をパチリ。発車待ちでホームに出ていた運転士氏に「どこから来ちゃったんですか?」と話しかけられ少し話をした。「東京からです。」と答えると「おぉ~」と驚かれた。「この上の小学校の卒業生なんです。」と言うと「じゃあ地元ですね。さっきはサンフレッチェの電車が走っちょったんですよ。」と返ってきた。へぇ~サンフレッチェね。つーか「ちょったんですよ」???ん???この方、広島の人じゃないんかな???広島の人なら「さっきサンフレッチェの電車が走りよったんですよ。」というと思うんだが。「ちょった」ともいうんかな?広島を離れて21年。細かいことは忘れたわ。
14時43分、列車は広島に向けて走り始めた。懐かしい風景と見覚えのない新しい家々の並ぶ風景を眺めながら久々の可部線、僕自身は14年ぶりとなる「元」旧非電化区間の旅が始まった。
ガタンゴトンとのんびり走りまもなく河戸帆待川に到着。以前の河戸駅よりもずいぶんと可部駅に近いところにある。
そして列車は可部に到着。全列車があき亀山まで乗り入れるためにこれまでの始発・終着駅から完全にただの中間駅になってしまった。
国道54号線側は随分と立派になった。バスターミナルとかもできている。延伸に伴ってホームも新設され構内の配線も変わっている。ちなみにここに来るのは2年4か月ぶりだ。ちなみに以前の模様はこれ→2013 広島の旅
可部を出発した列車は中島を過ぎ太田川にさしかかる。
川底まで見える。意外にきれいだ。
これまでの疲労が出てきてうつらうつらしながら目が覚めると
緑井に到着。いや~発展したよね。僕が高校生の頃は何もない小さな駅だった。八木も緑井もバイパス沿いは見違えるほどに発展した。今じゃ副都心とか言われとるらしい。
列車は三滝に到着。川の向こうに広島の中心部が見えてくる。
対向列車の真っ黄っ黄の115系が接近中。
三滝を出発し再び太田川を渡る。今はどうだか知らんが昔ここの河川敷からあほほどハゼが釣れた。もう25年以上昔の話だ。
列車は横川に到着。僕の中では横川は都会だった。この駅は可部線と山陽線が乗り入れていて横には新幹線も走り、さらに駅前には広電の路面電車も乗り入れておりバスのターミナルもあり商店街もある。小学生の頃はほんとに都会に見えた。中学生の頃は広大の大学病院で手術をしてその絡みでこの駅から大学病院行きのバスに何度も乗ったもんだった。ここの駅前も可部みたいにきれいに整備され昔とは雰囲気が変わってきれいになった。広電の電停が若干鹿児島駅前に似ていると思うのは僕だけか???
その横側を出発すると・・・
新白島に到着。アストラムラインとクロスする線路上に無理やり造った感じかなと思ったけどそこまで違和感はなかった。ここではアストラムラインに乗り換えれば本通りまでスムーズに行ける。
改札はこんな感じ。
そして列車は終点広島駅へ。
いや~久しぶりだ。なんか跨線橋の幅が広くなってなんか地下の駅にいるみたい。ホームもきれいになった。
引きで撮ってみる。
向こう側の国鉄色のキハ40系がこれから乗り込む芸備線。
昔より幅が広がったしお店とかできてる。以前はただの通路だった。
で、15時35分発の狩留家行きに乗り込む。
おぉ~広島もラインカラーを取り入れたんだな。つーか芸備線は紫か。つーかなんでこの色・・・。サンフレッチェのイメージか???山陽線の上りが緑で下りがオレンジの模様。
そして列車は狩留家に向け出発。発車間際だけど芸備線だから大丈夫かなと思ったけどどうしてどうして。なかなかの乗車率である。ボックス席を独占できるかと思ったらとんでもなかった。今じゃ芸備線も20分ヘッドの運行である。僕からしたら「あの芸備線が!?」って感じである。札沼線が電化された現在、日田彦山線と並びキハ40系が走る貴重な大都市区間である。
しばらく山陽線・呉線と並走するとマツダスタジアムが見えてくる。
まだ行ったことないんだよね。一度行ってみたいとは常々思っている。ちなみに大人になってから甲子園もプロ野球では行っていない。京セラドームは交流戦を見に行ったけど。今年は東京でカープ戦を見に行ってみよう。ドームか神宮かハマスタか。やっぱドームかなぁ。
けっこう混み合っているのでのんびり車窓が眺められない。ちなみに僕が座れたのはボックス席の通路側だ。
思うように車窓を楽しめないまま列車は玖村に到着。久々だなぁ。この芸備線の駅の持つ雰囲気、大好きだ。というわけでお立ち台へと向かう。 続く
その西宮のちびっ子広場に到着。ここでも野球とかして遊んだ思い出がある。
ここの扉を出て
この斜面をよじ登ると
小学校の前、給食センターの横にワープできる。(あの鉄塔は給食センター)
普通の道を歩くよりも断然早い。5,6分は変わると思う。
今回はその近道は使わずに小学校方面に向かう。
そして
「ん???」
ここにもあるのか~。
ほのぼの動物園。なんだろか、これ。当然雨とか降っても野ざらしなわけだな。
で、再びこの道と合流。小学校はもう目と鼻の先なんだがここはやりたいことがあってもう一度先ほどの道を逆流する。
おぉ~ここからでもニジケンが見えるんだな。あれ6号館かな?手前の木は多分南公園の木だ。
アップ。ニジケンってここからでも結構近かったんだなぁ。子供のころはとても広く感じていたけど大人となった今では結構狭いエリアだったんだなと思う。実際色々歩き回ったけど思ったよりはどこもすぐに到着できた。
南公園に向けて歩いていく。ここも昔は田んぼだったと思うんだけど・・・。まぁそれはおいといて春だなぁ。
この坂を登れば南公園。
そして先ほど温存した通学路に到着。当時の登校時を再現するためにこの道を下って小学校へと向かう。ここも変わった。あの家の建ってるところなんか山だったんだけどね。ガードレールのところも普通に山道だった。
ここの空き地でご夫婦がよくキャッチボールをしていたのを思い出した。
さぁ行こう。
左手はゴルフの打ちっぱなしだった。さっきも言った通り今は戸建ての住宅が立ち並んでいる。
おぉ~あれは
両延神社の裏手の階段。ここからも見えたんだな。
ところでこの地点、今は草ぼうぼうだけど小学生の頃は下校時にここから斜面を登ってコンクリートの壁の上を通って帰ったりしてた。今見ればけっこう高いなぁって思う。7歳とか8歳でよくあんなとこ歩いてたなぁって思った。
下り坂も終わりが見え始めたところで我が母校の姿が見える。
下りきったところにほのぼの動物園。さっきも書いたけどここは上畠、西宮、ニジケン方面からの合流点である。
で、母校を目指して登り坂にさしかかる。まず現れるのがここ。亀山中学。僕は私立に行ったのでここには通ってない。イレギュラーで剣道の練習がここになってその時に中に入ったことぐらい。でも今思えばこっちに通ってた方が楽しい中学時代が過ごせたかもしれん。
で、隣に建ってる我が母校を目指す。
懐かしいな。この眺め。
懐かしの学び舎。まじまじ見るのは何年振りだろう。
フェンス越しにこれまた懐かしいものが見えた。
そして正門に到着。
僕の母校、広島市立亀山南小学校。
思いがけず門が開いている。中に入ってみたい、校内を歩きたい・・・という衝動がむくむくと湧き上がってきたが何とか思いとどまった。正直ちょっとくらい入ったってかまわんだろうとも思ったんだが最近はいろいろうるさいからのぉ。「変なおっさんが校舎に侵入であえなく御用」とかは勘弁だ。
道を挟んで反対側にあるのが給食センター。給食を食うのが遅い奴は自分でここまで食器を持って行かされた・・・ような気がする。ちなみに西宮のちびっ子広場から見えてた鉄塔はこれだ。
その給食センターの脇からちびっ子広場を見下ろす。
ひとしきり小学校の正門を堪能し長井。荒下方面へと進む。
前方にはテニスコートとその奥には見えにくいけど太田川。このテニスコートは中学生が部活で使ってた記憶がある。今日は休みだからかな。おっちゃん達がテニスに興じている。
プール越しに再度振り返る。さよなら僕達の小学校。
荒下の風景。ここに安佐市民病院が移転する。周囲はまだ農地が残っている。なんかホッとするねぇ。ちなみに幼稚園のころこの近所の牛を飼ってるところへ絵を描きに来た。なんかいろんなことを思い出すわ。
伊勢社。小学校の裏門から続く坂道を下りきったところにある神社。変わらずここに建っていてくれた。
ここにも㊗JR可部線殿下延伸開業の幟が。
ん????
こ、これは~!!!!!
なんと河戸駅がここへ移設されてるではないか!!!伊勢社の横っちょにこんなものができていた!!!
なんだかよくわからんがとにかくともに祝おう。
いや~こんなことになってたのか。全然知らんかった。ちなみにここまで来るとどう見ても同業の人達がちらほらと写真を撮っていた。新しいあき亀山はこの辺のはずだ。大体「あそこだろうなぁ~」ってのは目星がついている。
あそこらへんだと思っていたら
おぉ~看板が出ている。やっぱここかぁ~。
おぉ~駅舎だ!!!駅舎だよぉ~!!!ついにやってきたぞ、あき亀山駅!!!
おぉ~227系の姿が!!!
今にも発車しそうだけどここは見送ることにする。せっかく来たんだ。ゆっくりと堪能したい。そして列車は広島に向けて出発していった。
それでも表札で名前が確認できたりすると「あぁまだここにいるんだ」とうれしいようなホッとするような何とも言えない気持ちになる。まぁ本人がいるかはわからんけどね。みんな世帯とか持ってるだろうから親しか住んでないかもしれん。
そして中央公園まで戻る。北公園まで行こうかとも思ったけどこの後の行程を考えると厳しいので割愛した。ところでこの中央公園、周りが坂道なのでホームランとか打ったあかつきには転がるボールを追いかけて坂道を走って行かねばならぬ。まぁそれはこの公園だけの話ではなく山を削って作られたこの団地の空き地全般に当てはまるんだが。
おぉ~ここにも㊗可部線延伸開業の幟が。ちなみに県信の横っちょである。
こんな感じの坂道ばっかり。さっきの続きだけど道路にボールが出たら大変だ。
歩いていたら前方から亀山中の生徒たちがやってきた。すれ違いざまに「こんにちわ~」と挨拶してきたのでこちらも「ちわ~」と挨拶。いや~気持ちがいいね。そういや僕も小学生の頃は学校帰りに出会った人には「ただいま帰りました~」って挨拶してたな。自分がされる側になって「あぁこんな感じなんだな」って初めてわかった。
友達の家を巡りつつぜひとも行きたかった場所へと向かう。ところで今思えば小学校の頃ってめちゃくちゃ友達多かったな。その子等の家の場所もだいたい覚えている。一方で中・高・大と進むにつれて友達の数自体は減っていった。中高なんかは半分くらいが寮とか下宿だったからそいつらの家とか全然知らんし・・・。
話を戻してぜひとも行きたかった場所とは・・・
両延神社。ここで行われる秋祭りはめちゃくちゃワクワクしたし懐かしい思い出だ。写生大会でも来たような気もする。本堂まで行こうと思ったけどダイブ時間が押してきた。このころには夕方の三江線の撮影はあきらめた。しかし芸備線で三次までは行きたい。というわけで残念だけど本堂はあきらめた。
両延神社の階段を下ったところにある公園。ここも懐かしい。昔から変わらずここにあってくれてなんかうれしい。
そしてこの空き地。ここには昔、何かの官舎があった。県住じゃなかったと思うから何かの公務員官舎だったのかなぁ。ここにもK川君やY本君といった友達がいた。ちなみにK川君とは後に僕の母校の高校入試で出会った。うちの学校に来るのかと思ったら実は滑り止めで受けに来てただけで彼は別の高校に進学。で、大学は阪大に行ったらしい。他にも広大にいった奴や九大にいった奴もおる。僕とはえらい違いだ・・・。
そして目の前の大毛寺川に向う
大毛寺川。僕らが近所の子等と釣りや魚取りに行くとすればいつもこの川だった。
生まれて初めて魚を釣ったポイントに行ってみる。ちなみに初めて釣った魚はアブラハヤ。
う~む、なんかえらいすっきりしたように感じる。昔、ここは砂利道で草とかも生えてたように記憶が・・・。
それになんか笹薮みたいなところから川に降りたような記憶があるんだが・・・
この川のほとりの用水路は記憶にある。しかしポイントがわからない。なんか落ち込みみたいな場所があったと思うんだが・・・。
しばし歩いて振り返ってみてもしっくりこない。そもそも笹薮がない・・・。伐採されちゃったのかな???
つーかよくこんな川で遊んどったな。水量も少ないし決してきれいじゃない。昔と変わっちゃったのかな???昔は確かにここで釣りとか魚とりとかしてたんだが。
そんなことを思ってたんだがそれでも橋の下で遊んでる2人の男の子がいた。
ポイントを探しつつ川沿いを折るいていたら川の中で波紋が広がっている。目を凝らすと「お~ヌーだ。」
ヌートリアが泳いでいた。ここにもいるんだな。
ところでこんなの前からいたんだろうか???子供のころは全く見たことがない。初めて見たのは確か13年前。伊丹の小屋池公園にて。鳥の写真を撮りに行っててふと池の中に目をやるとそこにヌーが泳いでいた。こんなのが日本にいるなんて知らなかったしその姿から「おぉぉぉぉぉ~!!!!!ビーバーじゃ!!!!ビーバーが泳いどる!!!」と興奮しながら銀塩カメラで写真を撮りまくっていた。今思えば銀塩カメラとはなんと金のかかるカメラかと思う。フィルム代に現像代にプリント代。しかも現像するまでどう映ってるのかわからんなど何ともリスキーなカメラだったな。「デジカメなんかおもちゃじゃわい!」とけっこう銀塩で粘ったけど今となっては「そんな時代もあったな」って感じである。
途中の道路を渡ってさらに川沿いを歩く。すると「ん???」
前方に笹薮が見えてきた。
ん~ここか???でも水量も少ないし昔のイメージとは違う。でもこの笹薮は記憶の中にあるのと重なるんだよなぁ~。
結局行きたかったポイントがどこだったのか判然としないまま大毛寺川をあとにした。
おぉ~ここ舗装されたのか。しかもガードレールまでついている。昔は未舗装の土の道だった。
おぉ~懐かしい景色だ。
昔はここの用水路にコイとか飼ってたちっこいいけすみたいなのがあった。
ここは田んぼだったんだけどね。オタマジャクシやらカエルやらを捕まえてた。
ここの道を通ってちびっ子広場とか向こう側に続く道に行ってたんだが今見たら完全に個人のお宅の私道みたいな感じだ。通ろうかなと思ったけどそこのお宅の方が外に出られていたのでやめた。
昔この用水路でカニとか捕まえてたポイントがあってそこを探したんだけどいまいちわからなかった。たまにヘビとかもいた。なんか同時に2匹とかいることもあってけっこうビビった。
ゴルフの打ちっぱなし場だった方面に歩く。変わったなぁ。当たり前だけど昔はこんな公園なかった。今じゃ完全に住宅地だ。
でもここの溝がオレンジなのは変わらない。何が流れたらこんな色になるんだろうな。
おぉ、ここにも㊗可部線延伸開業の幟が。
ここで小学校への通学路3方面と合流。
僕はこちら側の坂道を通って通ってた。ニジケンと虹山団地の南公園方面はこちらが通学路。
こちらは西宮方面
ん???
なんじゃこれ???以前は林だったところが切り開かれてこんなんができてる。ほのぼの動物園ですか。ほのぼのはするけど何でこんなん作ったんだろ???
お次のポイント向かおうと今来た道を引き返そうとすると・・・
「やめんさい!」って言われたらやめにゃぁいけんよのぅ。なんか方言でいわれたら余計に従わねばならん気がする。
元ゴルフの打ちっぱなし場方面。
小学生の頃はまったく気にしなかったけど螺山はこの辺りのシンボルだな。
この辺の感じは変わらないなぁ。
昔はここは未舗装で空き地だったんだけどね。駐車場になってるわ。
ここも前は田んぼだったんだけど。田んぼははやらないのかねぇ。周囲には昔からの家と新しい家が混在している。時代の流れを感じる。
ここの坂道を登ると
この看板が。この幼稚園、僕が卒園した幼稚園だ。半年しか通ってないけどあの頃の半年ってめちゃくちゃ中身が濃い。半年とはいえ色々思い出もある。
この坂の途中に
僕の幼稚園がある。神戸で1年半通った幼稚園もここも僕にとっては同じくらい思い出深い場所だ。先日、うちのチビも幼稚園を卒園した。何年たってもいい思い出として記憶にとどめておいてほしい。
その後も思い出の場所を徘徊する。ここは上から三枚目の写真のところを見下ろす場所だ。ここの景色は変わらない。なんかホッとするわ。
前方に見えてきたのは県教委の官舎。ここにもたくさん友達がいた。ちなみにそのうちの一人が今伊丹に住んでいることが判明。その子はビーチバレーの選手だったようでなんかネットで知ってびっくらこいた。ちなみに春高バレーで全国大会にも出たんだけどその時僕の小学校時代の塾の友達も同じチームで出ていた。これにはびっくりしたと同時に「すげーなー」と感心した。
さらに先を進む。昔はこの坂道がホントに嫌いだった。今となっては別にどうってことないけど小学生的にはなかなかしんどい坂道だった。
お次に見えてきたのは県警の官舎。ここにも友達がいた。中学は別々になったけど高校まではなんだかんだでつき合いもあったけど大学以降は疎遠になってしまった。
ふと横を見れば中央公園が。ここ虹山団地には先ほどの南公園、そしてこの中央公園、そしてもう一つ北公園というのがある。その他ちびっ子広場などの小さい公園もあるけどこの3つがメジャーな公園だ。ちなみに南→中央→北の順にでかくなる。
住宅地の坂道を登って行く。この先に僕が通っていたそろばん教室がある。あれからもう27年。ちょっとドキドキしていた。その時先生は50歳くらいだったと思う。とすれば結構もういい御年である。不謹慎なのは百も承知だが「もしかして・・・」という不安は正直ぬぐいきれない。恐る恐る表札を見ると「おぉ~!!!」
ちゃんとフルネームで表札が出ていた。よかった~。ホッとした。
続く。
次に向かったのはこの公園。
へぇ~。亀山南第二公園っていうのか。
僕らはそんな呼び方では呼んでいなかった。代わりに僕らはこう呼んでいた。
「電話公園」
電話があるから電話公園。昔は電話の位置はここではなく先ほどの入り口付近にあった。
この公園での思い出はI田君という1学年上の子と軟式ボールで野球をしてた時の事。今思えばこんな狭い公園でよくそんなことやってたなと思うんだがそれは今は置いておく。僕はピッチャーで「そりゃ~!!!」と本気で
投げたボールがI田君の頭に「ぽこ~ん!!!」と当たってしまったのだ。「あいたぁ~!!!」とのたうち回るI田君を見て腹を抱えて爆笑したのを覚えている。軟球なので怪我もなく小学生の投げるボールなので大して速くもないんだが痛がるI田君の姿が面白すぎて大笑いしてしまった。30年近く経ってしまったけど今更ながら謝ります。I田君、ごめんなさい。
そしてまた歩き始める。昔文房具屋があった場所に行ってみると普通の戸建てになっていた。ここの文房具屋には店先にゲーム機とかが置いてあって1回20円とかそこらで遊べた。その数軒隣のH兼君の家にも行ってみたが表札は別の名前に変わっていた。
さらにその隣にあるお店、名前をショッピングニューユカリ、略してユカリと呼んでいたんだがそこはもうなくなっていた。あとには別のお店が入っていたが今日は閉まっていた。学校から帰るとき近道でこのお店の中を通りぬけて帰った。このお店は地域のちょっと大きめの個人商店みたいな感じだったんだがガチャガチャがあったり夏にはカブトムシを売ったり駄菓子が色々あったり小学生の僕的にはとてもわくわくするお店だった。ビックリマンやプロ野球チップスやジャンプをよく買いに行ったもんだ。
次に向かったのは酒屋の昭和屋さん。建物は変わったもののここはまだ残っていた。ここの自販機でジュースを買ったりおとんのお使いでタバコとか買いに来てた。タスポとかなかったからね。当時の小学生はおとんのタバコをお使いでよく買いに行ってたもんだ。
そして僕がニジケンに引っ越すまで1年半暮らした家に向かう。
神戸の垂水から年長の9月というタイミングで広島に引っ越してきた。当時、昆虫大好き少年だった僕は図鑑でしか見たことのない昆虫がいっぱいいてめちゃくちゃうれしかったのを覚えている。その時の家は今でも建っていたんだがさすがに今は別の個人が住まわれているので画像は出さない。でもとても懐かしい気持ちになった。
ここは通学路。この坂道を下って小学校に通った。今はまだ通らない。また後で通る。
南公園の防火用水。ここにはコイとかフナとか亀とかいっぱいいて中学生が釣りとかしてた。
背後にそびえるのが螺山(にしやま)。母校の小学校の校歌にも出てくる山だ。(た~かくそーびーえーる~にーしーやーまの~♪♪♪)
山を切り開いてこの住宅団地を造ったんだがその際にネーミングを「にしやま」をもじって「虹山」にしたものと思われる。ちなみに小学生の時は校歌の「螺山」のことをずっと「西山」だと思っていた。虹山に関しては螺山とまったくリンクしていなかった。
お次はこの公園。
南公園だ。
この公園には非常に多くの思い出がある。生えている木を揺すればカナブンとかがぼとぼと落ちてきた。僕は捕まえたことはなかったがクワガタもいた。ニジケンに行くまではここで夏休みのラジオ体操もやった。
ブランコと滑り台は変わってしまったけど鉄棒はそのままだ。
砂場も。しかし・・・
公園からの景色が一変している。以前はここからの景色はゴルフの打ちっぱなしだった。それが眼下に広がるのは同じようなつくりをした戸建ての住宅だ。しかも以前はこんなスカスカではなくもっといっぱい木が生えていた。僕がよく登っていたお気に入りの木は無くなっていた。なんか妙にすっきりしたというかなんというか。これはちょっとショックというかさみしかった。
そんな気持ちでふと周囲を眺めると
おぉ~このトラ、まだおったのか。懐かしいなぁ。またがったり花火の火花を当てたりして随分と可愛がったもんだ。
思い出探しの旅はまだまだ続く。
今日は三江線を撮るまでは時間的なスケジュールを考えていたけどここからは正直言ってノープランだ。行きたいところはたくさんあるけどどこをどうまわってというのは時間では決めていない。とりあえず考えていることは①昔住んでた場所を歩く②延伸開業した可部線に乗る③新白島駅を見る④芸備線を撮影する⑤芸備線を三次まで乗る⑥宇津井駅で三次方面から来た列車を撮影する
まぁ時間的に考えて全部はできない。どれを選択しどれを切るか。それはこの後考えよう。
久々に路線バスに乗りたくなってバスで向かおうとすると弟君が乗せていってやると言ってくれ、おかんも買い物ついでに一緒に行くことになった。
車で走ること40分あまり。スタート地点と考えていた虹山県営住宅のバス停に到着。僕はここから歩いてまわるので弟君たちを別れる。
虹山県営住宅こと虹山県住。略して「ニジケン」
いや~変わった。めちゃくちゃ開けたなぁ。昔は車が見える奥は山だった。
瑞兆園方面。前はこんな道なかった。車の通れない、自転車やバイクが通れるくらいの山道だったはず。山はどこ行ったんだ???
一度バス停方面に戻り歩き始める。懐かしいなぁ。ここを歩くのは何年振りだ???僕が正式に引っ越したのは中2の春。小学校を出てからの1年間は訳あって今の実家でじいちゃんばあちゃんと暮らしていた。
ということは26年振りか。
昔はこんな公園なかったな。
公園の横から山道へと下って行く。
あそこで例の瑞兆園への道と合流するのか。
僕は昔の道で瑞兆園を目指す。こんな明るい道じゃなかったと思うんだけどな。いろいろ刈り払ったんだろうな。
この池、農業用なのか防火用水なのかわからんが昔でっかい亀をつかまえたことがある。
瑞兆園。懐かしいなぁ。
この住宅地にもたくさん友達がいた。K本にK笠にF田。みんな元気かねぇ。
K本の家に行ってみた。表札は出ていなかった。ちなみにこのK本君、中学に入ってグレにグレまくり立派なヤンキーに成長。卒業アルバムもなんか金髪モヒカンみたいな感じだったような気がする・・・。ん???どこでその卒アル見たんだっけ???僕はこの学区の中学には行っていない。誰かに見せてもらったんだろうな。さらに言うとこのK本君の兄ちゃんもドヤンキーだった。
寿屋。すっかり古びてしまってるけどまだあったんだな。
例の池の横を行く。
おぉ~!!!亀だ!!!
ミドリガメことミシシッピアカミミガメ。大きさはあれくらいだったと思うけど僕が捕まえたのはクサガメだった。ちなみにこの辺の地名は亀山南。
昔の道はあっという間に途切れアスファルト道へと出る。バス停の時刻を見ていたら「祝JR可部線延伸」ののぼりを発見。あき亀山はここからだって近いからな。めでたい!!!
ここからはるか遠くに見える
あの茶色い建物群。安佐市民病院があき亀山駅の近くに移転してくる模様。この辺の人からしたら便利になるな。ちなみに市民病院の左に見えるのは文教女子大。そろばんの検定試験でよく行った。
再びニジケンに戻る。今車が停まってるところも昔は県営住宅(県住)が建ってた・・・ような気がする。昔は虹山県営住宅のバス停のところで納涼大会とかいう名前で夏祭りや盆踊りをしていた 。で、地元民はこのバス停のところを「ロータリー」と呼んでいた。全盛期はこの県住だけで千人単位の住民がいたと思う。
この階段を上ったところにある
46号館にK島君という友達がいた。それ以外にもこの県営住宅には大勢同級生や友達がいた。
でもあれから約30年。壁を塗り替えたりはしてるけどやっぱり古めかしさは隠せない。僕が住んでた時だって決して新しくはなかったからな。ぽつぽつ空き家もあったし。
ここの県住の前に来ると思い出す。小4か5年のことだったと思う。僕はこの前でシカを見たのだ。
シカはこの向こうから走ってきた。最初は「え?ウマ?でっかい犬?」がこちらに向かって突進してくるように見え 大いにビビった。
そして立ちすくむ僕には目もくれずシカはこの山へと走り去っていった。急いで家へと戻り同じブロックの県住の友達たちに「シカじゃ!シカがおった!!!9号館の方から走ってきて7号館とこの山ん中に走って行った!!!」と興奮して話したんだが「ウソじゃろ」「シカなんかおるわけないじゃろ」と信じてもらえなかった。でも確かに僕はシカを見たのだ。
6号館。ここにも友達がいた。てっちゃん、N藤君・・・あの頃は楽しかったなぁ。
今はフェンスが張られてるけど(前もあったか?あっても破れてたな)昔あの向こうの斜面に秘密基地を作っていた。洋酒の瓶とか持ち込んで並べてた。すぐ横には山からの水が流れていて小さな沢みたいになってた気がする。
そしてここが僕が住んでいたブロック。建物が取り壊されて駐車場になっている。
「兵どもが夢のあと」って感じだ。
ちなみにこのどん付きのガードレールを越えて
この斜面を登ると6号館にワープできる・・・まぁまともに歩いても2,3分で着くんだが。
この駐車場になっているところが昔1号館と2号館があったところ。奥の戸建てが建ってる辺りが僕が住んでいた3号館があった場所だ。その奥に4号館と5号館があったんだがそこにも戸建ての住宅が建っている。昔はここのブロックには子供が多くて学年を越えて中学生とも一緒になって遊んでいた。みんなで野球をやったり花火をやったり缶けりをしたり。近所付き合いも非常に密で非常に人と人のつながりが濃い地域だった。ここへ来る前はここから徒歩5,6分のところの戸建ての借家に1年半ほど住んでいたんだが、引っ越してきてすぐに仲間に入れてもらってとても楽しい小学生時代を過ごすことができた。ちなみに今となってはこんなに狭く見える道路でみんなで野球をやっていた。電信柱があるところが1塁ベース。ボールがすぐに右側の斜面に上がっちゃったけどこの壁をよじ登ってボールをとりに行った。中学生なんかは勢いをつけてこの壁に向かって走って行きその勢いで壁を登っていた。
ここでやる野球は「大きい野球」といって一番面白かった。ちなみにもっと狭い場所でや「小さい野球」というのもあった。
そのころの人達は今はみんなバラバラのところで暮らしている。実家のおかんからたまに誰々がどうしたみたいな話を聞くくらいで僕自身はもう誰ともつながっていない。なんともせつない気持ちになりながらも思い出探しを続けた。
国道261号線を離れ一路宇津井駅へ。
7時46分、走り始めて30分余りで前方に宇津井駅が現れた。
おぉ~ホームには人の姿が。三次行きに乗るのかな???
なんかすごいとこに建ってるな。ちょっと違うけど山陰線の余部鉄橋を思い出した。
ところで近辺に駐車している車はない。あの人たちはここまでどうやって来たのだ???5時38分発の三次からの列車でやってきたんだろうか???それなら約1時間の待ち時間で江津からの三次行きがやってくる。駅のをのんびり楽しむにはちょうどいい時間だ。
裏側から。ひとまず駅を通過しお立ち台へと急ぐ。
7時52分、お立ち台に到着。今度こそは撮り鉄軍団がぎっしりかと思いきやここもだーれもいない。連休中だし廃止まであと1年あるとはいえもうちょっと盛り上がってもいいんじゃないかと思ったけど好きなところから好きなだけアングルを考えられるのはいい。
こういうのもいいかねぇ。あれこれ考えた結果・・・
こうなった。あえて川の部分を全部切り取ってもよかったな。
こんな感じで。(トリミングしてみた。)
結局ここもあとから小学生の子を連れた親子が来ただけでほぼ独り占め状態だった。
そして宇都井駅に戻る。
こういう駅があるというのは高校生の時から何となく知っていた。しかし当時は三江線というものにはまったく縁がなく、どこら辺を走っているのかというのもよく知らなかった。
三江線が意外と実家の近くを走っていたと知ったのは自動車学校に通うようになってから。僕は島根の自動車学校に通ったんだが教習で何度かこの線路沿いを走った。その時は「へぇ~こんなところを走ってるんだ」とちょっと感動したもんだ。その後、一度三次から江津まで乗り通した。多分大学2年に上がる春だったと思う。その時は乗り換えなしで三次から江津まで行けたからそういうダイヤだったんだなぁ。今は朝5時38分発の列車以外に三次から直通する列車はない。ちなみにその時は江津から山陰線をえっちらおっちら乗り継いで鳥取まで行き、そこから今は亡き夜行の急行だいせんで大阪まで行ったような気がする・・・けど記憶がおぼろげだ。当時の写真を引っ張り出せばはっきりするだろうけど今は手元にない・・・。
空きスペースに車を停め駅へと入る。う~むこの入口、昔住んでた近所の県営住宅を彷彿とさせる。
ほぉ~三江線の説明ですか。ここにも鉄道むすめ的な萌え萌えキャラがいるんですな。
というわけで天空の駅へと登り始める。
登山で鍛えたこの足でぇ~
えっちらおっちら登るのさぁ~
だけど近頃お山にはぁ~
とんとご無沙汰行ってなぃ~
おっと「あと56段」を飛ばしてしまった・・・
気を取り直してあと36段
つーか過保護なまでにバリアフリー化が進んだ現代において
ここの駅は稀有な存在だ。
足腰が立たなくなったら
もう乗れなくなっちゃうな。ってことで待合室までやってきた。
駅ノートもちゃんとある。
へぇ~。かつてはここを7連の列車が走ったこともあったのか。
そしてホームに出る。
ホームからの眺め。高い建物がないのでいい眺め。
ホームの端、トンネルの手前まで行ってみる。
各駅にこういうのがあるみたい。
先ほどの場所から横位置で。眼下の家々から見たらここはほんとに天空の駅だな。
農作業中のトラクターを見下ろす。けっこう高度感もある。
反対側のトンネル。こちらから出てきたところをパチリとやりたい。
ひとしきり満足して宇津井駅をあとにする。ここで列車を迎えてみたいんだがこれから予定がある。その予定を途中で切りあげないともうここへは来れないな。次の列車は11時09分発の江津行き。これを待っていてはこれからの予定が潰れてしまうし・・・。
実家に向けて帰る途中、行きにも見たけどまだこの辺りには雪がある。もう3月も下旬なんだが恐るべし中国山地。途中でガソリンを注ぎ今日開幕のセンバツ高校野球を聞きながら家へと帰った。
もう四月は目前だというのにめちゃくちゃ寒い。弟君の愛車カローラフィールダーに乗り込みエンジンをかけると「な、なにぃ~!!!」
なんともう春に片足を突っ込んだ時期というにもかかわらずなんとフロントガラスもリアガラスも凍り付いているのである。車内の温度計では外気は氷点下1度と表示されていた。恐るべし中国山地である。
爪でガラスをがりがりしても全然追いつかないのでエアコンで曇り除去モード(正式名称がわからん)でじっくり溶かす。で、ナビに行き先を登録しようとするも使い方がよくわからんので寝ている弟をたたき起こし使い方を教えてもらう。ロケハンをしたいので5時30分には出発したかったんだが結局5時40分をまわってからの出発となってしまった。
懐かしの通学路を一路因原を目指し走って行く。今回の撮影は弟君が帰省しなければ実現できなかったことだ。実家の車は僕が運転すると保険がきかないのだ。いかに田舎道とはいえ保険なしの状態(自賠責は当然入っているんだが)では怖くてとても運転できない。その点、弟君の車はだれが運転しても保険がきくので非常に助かる。走りながら道端の気温計の表示を見るとなんと氷点下4度。地面が濡れてないからいいものの濡れてたら凍結してるだろう。40~50分くらいかかるかと思ったら30分足らずであっけなく目的地の八重山神社に到着。ロケハンのためそのまま川沿いの細い道を進む。対向するのにも苦労しそうな細い道だ。あらかじめ三次行きはここで撮ろうという目星をつけておいた場所を実際に確認し、今度はメインの撮影となる浜田行きの撮影地、八重山神社へと向かう。車を停め、踏切横の道から丘の上へと登って行く。すぐ横の民家のワンちゃんにえらい剣幕で吠えられまくる。周囲はまだ薄暗くまったくひと気もないので少々気味が悪い。しかしそんなことは言ってられないので我慢して上へ上へと登って行った。
そしてポイントに到着。
とりあえずこのアングルで決まりだな。(木の枝入ってるけど・・・)
ネットとかでもよく見るアングルだ。しかし・・・「ん???」
なんか赤い看板があるぞ。
「なにぃ~!!!」
ドラッグストアのウェルネスではないか!!!ネットの画像にはあんなもんなかったぞ。うぉ~なんというところに看板を立ててるんだ。ついでに店舗も。邪魔だ。向こうからすりゃ知ったこっちゃないかもしれんが邪魔過ぎる!!!つーかなんだこの破壊力!!!雰囲気がぶち壊しではないか!!!
う~む、これができちゃったせいでこのお立ち台、終わっちゃったなぁ~。
下りの階段の途中でもパチリ。これだと赤い看板は残るけど店舗は見えなくなる。しかし今度は電線が・・・。
ちなみにこれが階段を降りてきたところ。八重山神社というよりも因原児童公園なのかもしれん。
気を取り直して三次行きの撮影ポイントに向かう。
まずはここで正面を押さえた後、
これでケツ撃ちを狙う。
最後は望遠でこれ。ヘッドライトに幻惑されてオートフォーカスでシャッターがおりないと困るのでマニュアルで。特に一発勝負だからそんな凡ミスは許されない。
春休みの3連休だしそれなりに有名なお立ち台だと思っていたので同志が大勢詰めかけてるかもと思っていたんだが人の姿は皆無。正式に廃止の発表もされたからちょっとビビりながら来たんだがまったくもって自由に撮りまくれそうだ。
列車の通過までまだ15分ほどあるので車に戻る。この様子じゃ僕以外にはここへはこないだろ。来たって場所取りに困るようなことはない。カーナビでこの後の宇津井駅までのルートを検索。こういう時にナビは便利だ。
いいころ合いで車外に出てカメラを構える。今回は手持ちだ。う~む、やっぱり三脚持ってくりゃよかったな。
そして6時52分、列車がやってきた。
ぱちり!!!
ん???この状況はもしや・・・
運転席の横にかぶりついてる鉄ちゃんの姿が。少し予想はしたけどそのもしやが当たっている模様。来年3月での廃止が発表されたこの三江線。廃止までのカウントダウンが始まったこの路線を乗りたいと思っている鉄ちゃんは大勢いるだろう。しかも春休みの学生は関係ないのかもしれんが18きっぷの使える時期での3連休。社会人の鉄ちゃん的には絶好のチャンスである。僕だってその一人だ。
その列車が目の前を通過。2連の車内には大勢の鉄分たっぷりの人達が・・・
逆かぶりつきもこの通り。
この列車の江津発は5時53分。この人たちが全員江津や浜田の人達なはずがない。とすればこの列車に乗ろうとすれば江津や浜田で前泊となる。昨日も休みなので芸備線や木次線なんかを周って江津入りした人達もいるだろう。前日も三次方面から三江線でやってきた人もいるかもしれん。三江線を全線走破するには途中駅での乗り換え便も含めて上下で各々3本しかない。さらに江津から三次を目指す場合、明るい時間帯を走るのはこの江津からの一番列車しかないのである。
その列車に乗るために集まってきたこの人たちの熱き鉄ちゃん魂に、僕は敬意を表して見送った。
車に戻り次のお立ち台、八重山神社こと因原児童公園に戻る。
先ほどよりもだいぶ明るくなったがだーれもいない。ここがあまりに山深すぎて誰も来れないのかはたまた例の赤い看板のせいで見切られたのかはわからんが自由に動き回れて気が楽だ。
あれこれアングルを考えていると・・・「ん???」
おぉ~あんなところに人がいる!!!線路内をウロウロしたりあそこへ上がったりあちらもいろいろアングルを考えてるようだがいや~そこからいくか・・・。今日は僕しかいないがもしここに大勢の鉄ちゃんがいれば確実に「邪魔!!!」の声が出ただろう。まぁこういうのは譲り合いの心をもってやらねばならんので一方的には言えんのだがまさかの同志の出現にちょっと「う~む」な気分である。おっちゃん、とりあえず線路内での撮影だけはやめてくれよ。撮影うんぬんの問題ではなくなっちゃうから。
7時10分、列車が因原駅を出発。木の陰で見えにくいが・・・
ここでお顔が見えた。
まずは望遠でぱちり!!!昨日の東海道線の中ではこの赤い看板&店舗がまだ建っていない頃の素朴な石州瓦の家々をバックに走る写真を見ていただけに「残念!!!」の一言。完全にこちらサイドの自己中な恨み言になってしまうが言わせてもらおう!!!ウェルネスさん、何てことしてくれたんだ!!!ついでに見切れてるおっちゃん、あんたもだ。
画面からウェルネスもおっちゃんも排除するとこういう画になる。上の画と比べると窮屈な感じは否めない・・・。無念・・・。
気を取り直して今回のメインの画を撮影。ここまで引くとおっちゃんの姿は無いに等しいがやはりウェルネスさんは気になる。元々こうなんだと思えば気にならんかもしれんがあの看板と建物がない画をみてここへ来ることに決めたのでどうにもこうにもちょっとショックだ。まぁウェルネスさんは悪くないんだけどね。仕方がない・・・仕方がない・・・。
若干残念な気持ちを引きずりながらお立ち台をあとにする。ここまで30分くらいだから明日も来ようかな。その後の行程が忙しくなりそうだけど。そんなことを考えながら車へと戻って行った。
品川では5時10分発の小田原行きに乗り換え。
こんな時間だけどそれなりの人々がすでに動き出している。車内もそれなりに乗車率は高い。
6時21分、小田原到着。1分乗り換えで熱海行きに乗り移る。何とか席は確保できた。
根府川付近。太陽がまぶしい。
6時45分、熱海に到着。向かいのホームの浜松行きに乗り換えるべくエスカレーターを下り
地下通路を走り
ホームに上がって列車に乗り込む。またもやなんとか席を確保できた。
6時49分 、列車は浜松に向け列車は出発。眠いので基本的には目を閉じている。ふと目を開けると・・・
おぉ~富士山だ。
先日の入笠山以来のご対面だ。
富士山も見えなくなりうつらうつらしていると県都静岡に到着。東海道線と新幹線だけのシンプルな駅。よく考えたら県庁所在地の駅で在来線が1本だけってあんまりないよな~・・・って思ったら山口、松江、松山と意外とすらすら出てきた。神戸、大津・・・けっこうあるな。
9時19分、浜松に到着。9時23分発の豊橋行きに向かって階段ダッシュ。なんとか席に座れた。ここまでは一応座席を確保できている。
9時56分、豊橋に到着。10時03分発の大垣行きの新快速に乗り込む。
寝たりネットをしたりしているうちに金山を通過。名古屋の手前で新幹線と並走した。
11時31分、列車は終点の大垣に到着。大勢の人が列車から吐き出され跨線橋を渡る。
乗り継ぐ米原行きの列車は11時42分発。おそらく4両編成。座るの厳しそうだなぁ。
エスカレーターを下るとホームはこの状態。
ダメだこりゃ。完全に諦めた。
諦めて周囲を撮影。おっ、樽見鉄道が入線。
EF65形の貨物列車が通過。このカラーリング、ブルトレを思い出すなぁ。
米原行きの列車が入線。大垣ダッシュをしようにもあんだけ詰まってたらダッシュできんがな。そういや本家本元のムーンライトながらからの大垣ダッシュは米原行きの車両の数が4両から8両になったため座席の確保の面では多少マシになった。その代わりと言うべきかそれまでの5分乗り換えを2分乗り換えに変更したJR東海の鬼軍曹ぶりには苦笑いだ。
12時17分、米原に到着。12両編成の姫路行きに乗り換える。先頭車両まで移動してやっとこさ窓側の席を確保。
12時20分。列車は姫路に向け出発。12時19分発の近江鉄道を左に分け軽快に走る。列車は一駅ごとに人々が乗りこんできて程なくして僕の座るボックス席もすべての席が埋まった。
そして14時06分、三ノ宮に到着。
久しぶりの三ノ宮駅。ルミナリエも車で来たからほんとに久しぶり。去年の全縦以来である。
駅前で弟君の車に乗り込みいざ広島を目指す。阪神高速から第2神明、加古川バイパス、姫路バイパスと走り姫路西ICから山陽道へ。18時半には着くかなと話していたところ岡山JCと倉敷JCの間で事故が発生しこの区間が通行止めとの情報が。そこに行くまでに通行止めが解除されることを祈っていたんだが結局解除される前に到着してしまった。仕方がないので吉備のスマートICで高速を降り倉敷ICまで迂回することにしたんだがこれがまた渋滞でなかなか前に進まない。そうこうするうちに山側を走る高速道路を見ると車が行き来しているではないか。う~む、あのまま待っとけばもうすいすい走れてたわけだな。まぁこれは結果論だから仕方がない。大幅に時間をロスして倉敷ICに突入。その後は休憩をとりつつ広島道、中国道と乗り継いで実家には20時過ぎに到着。その夜はたらふく飯を食い少し酒を飲み、そして語らい長い一日が終わった。
この3連休で広島に帰った。ほんとは子供らも連れて家族ともども帰りたいんだがいろいろあってなかなか帰れない。というわけで帰ったのは僕だけだ。
計画段階では色々あった。当初は成田からLCCの飛行機で帰るつもりだった。土曜の朝に広島空港に着いて芸備線に乗ったり撮ったりして翌日は可部線。最終日は三江線に乗って東京に戻ろうと思っていた。乗ろうとしてた飛行機は朝7時過ぎのフライト。田町から始発の電車に乗っても成田に着くのは6時半。これはぎりぎりだ。というわけで金曜日の夜にバスで成田に向かうことにした。大崎を1時くらいに出て成田に2時半ごろ着く便があるのである。ほぼ徹夜だがまぁ仕事をするわけではないので大丈夫だろ・・・って思ってたんだが困ったことが起きた。ネットで飛行機を押さえたと思ったら代理店から電話しろというメールが来た。電話してみると予約した座席はすでに無くなっており他の席だと1万7千円ほどになるというのである。これなら新幹線と大して変わらん。というわけで飛行機の線は断線した。しかし新幹線→芸備線→三江線→山陰線からの最後はサンライズで帰京という線は思いのほか金がかかるので一時は帰省すること自体を断念した。しかしせっかくの3連休。延伸・復活した可部線にも乗りたいし芸備線にも乗りたい。三江線にもお別れ乗車したいしサンライズにも乗りたい。それよりも何よりも親に顔を見せたい。うちの親も67歳と64歳。離れて暮らしているのでなかなか会えない。生きてるうちに会えるだけ会っておきたい。というわけでやっぱり帰ることにした。しかし節約のため18きっぷでの帰省である。田町から東海道・山陽線をひたすら西へと進む旅である。東海道線は正直つまらんが久々の山陽線はちょっと楽しみだ。ゴールの可部線あき亀山には20時半ごろ到着する。片道16時間、移動距離900キロ余りのロングランである。
しかしまたまた予定が変わった。神戸に住む弟君が、僕が帰るなら車で自分も帰るから神戸から乗せてやると言ってくれた。久々の鉄道の旅を楽しみたい気持ちもあるが車ならうちに着く時間が3時間くらい早くなる。あき亀山駅の夜の様子を撮影しようと思ったが親孝行のためにも神戸で列車を降りることにした。
※トワイライトに乗った時の模様はこちら→ http://ponpokosmile.blog.shinobi.jp/%E6%97%85/%E5%B9%B4%E6%9C%AB%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%80%802012%E3%80%80%E5%85%B6%E3%81%AE4
東京に来てから3年たつけどロードに関しては大井ふ頭ばかり走ってきた。しかしあそこは正直走っていると気が滅入る。殺風景な港湾エリアに加えて風が強いともう最悪だ。トレーニングにはいいかもしれんが日曜の昼下がりに一人で走ってたりするとなんとも言えん気分になる。しかし今日は都心でみんなと走る。ど平坦のお気軽コースである。
出発から10分ほど、三田の駅から日比谷通りに入り芝公園を通過。このルートをロードで走るのは初めてだ。なんか新鮮。
西新橋の交差点。だいぶ都心に入ってきた。
日比谷通りを離れ西幸門前の交差点で信号待ちをしていると「おぉ!!!」
あれは国会議事堂ではないか!!!ここまでの所要時間は15分ほど。国会議事堂って結構近いところにあったんだな。次は前まで行ってみよう。
出発から20分ほどで祝田橋に到着。いや~近いもんだ。大井ふ頭までも似たような時間で行けるけどやはりこちらの方がなにか走ってて楽しい。
で、ここからパレスサイクリングに乱入である。
おぉ~なんという開放感!!!大井ふ頭ではいくら車がいないとはいえ車道の真ん中を走るわけにはいかない。ここでは大手を振って車道の真ん中を走れるのである。
皇居ランナーをぶち抜きながら走る。気分がいい。
いや~初めて走るけど都心の道路を封鎖して自転車天国にするとはすばらしい。関西にはないな。つーか大阪でこんなことをしようとするなら大阪城の周りくらいか???道路サイドに店舗とかかないからこそなせる業だ。東京でも皇居の周りじゃなければこんなことはできんと思う。
自転車天国とはいえ信号はある。皇居へ行き来する観光客がいるので信号は守らねばならん。
しかしまぁ爽快だ。
トレーニングとかどうでもよくなってくる。とにかく爽快。
大井ふ頭を走るよりも全然楽しい。
丸の内のビル群を眺めながら傍らには皇居を散歩する人々。
ただただ楽しい。
多分これ、大手門。
信号待ちの対向車線の人々。大勢で走るのは楽しいわ。
消防庁の前。ロード軍団に追い抜かれる。
このパレスサイクリング、コースは1周3kmほどのところを周回魚のごとくグルグル回る。平川門のところでUターンして再び祝田橋を目指す。途中左手に東京駅の丸の内口を眺めたり「東京を走ってるなぁ~」と実感できるコースである。
ロードからママチャリから小さい子供たちまでいろんな人々と一緒に走る。大井ふ頭のようなストイックさも無縁なので余計な頑張りも不要で楽しい。
春うららの陽気で気持ちがいい。いい気候になってきたな。昨日は入笠山で雪山だったのに今日は春の東京でほのぼのサイクリング。今週は充実してるわ。
1時間ほど走り情けないことに少々疲れが出てきた。ストイック軍団に全然ついていけない。まぁ全然運動してないからな。体もどんどんぶくぶくしてくる。冬場にため込んだ脂肪を春から秋の間に燃やし尽くせない。毎年体重が増加していくわ。
のほほんと走っていると皇居ランナー軍団の中に異彩を放っている人が。
なんとローラーブレードである。楽しそうだけど人混みに突入した時なんか思うように止まったりできるんだろうか???
時刻は15時45分。パレスサイクリングも終了の時間が近づきコース上にはママチャリや子供たちなど一般人はいなくなった。この時間に残っているのはストイックなロードの人々だけである。僕も全くストイックではないがロード乗りの端くれとして最後まで残って走ることにした。
そしてルート上の撤収が始まった16時前。ここらが潮時と信号待ちで停まったところで終了。距離的にはちょっとしか走ってないんだがなんだか疲れた。やっぱトレーニングしなきゃだめだな。来週は広島に帰るから無理だけど再来週はまたここに来よう。
本日の記録 走行距離・・・43.32km 平均速度・・・21.5km/h 最高速度・・・37.3km/h 獲得標高・・・98m
たかだかこの程度の距離で疲れてしまった。情けない・・・。でも楽しかった。つーか獲得標高が98mって・・・。こんな感じだから今の僕には箕面の山すら登れないかもしれんな・・・。
運転手氏に声を掛けると乗ってもいいということだったので席取りのために乗り込み荷物を座席におく。そして登山バッチと会社用のお土産を買いに売店へ。正直会社用の土産なんて買いたくないのだがみんなが週末ごとにどこどこへ行ったとか言っていろいろ買ってくるのでたまには買わねばということで今回はお菓子を買った。そしてマナスル山荘では買えなかった登山バッチも無事購入。コレクションがまた一つ増えた。
15時、バスは富士見駅に向け出発した。行く時はそれなりに満員になったので帰りの便も混み合うのかと思いきやそれほどでもなかった。
そしてバスは富士見駅に到着。15時36分に塩山行きがあるのでこれに乗ることにする。駅に置いてある時刻表でその後の時刻表を調べると途中の小渕沢から臨時の新宿行きの快速が出ていることを発見。しかも今日からの運行だ。先週来ていたらこれには乗れなかった。これに乗れば新宿まで乗り換えなし。しかも19時前に新宿に着ける。ラッキー!!!しかしここで違う方にも食指が動く。「いけるかな?」と甲府から身延線への乗り継ぎを見ると17時21分発の富士行きというのがあった。これに乗って身延線を経由して東京まで戻るという手もある。非常に魅力的ではあるんだがこれだと家に着くのが23時くらいになってしまう。それに甲府発が17時過ぎということは程なくして暗くなって景色を楽しむことはできない。そして考えた結果今回は小渕沢からの新宿行きの臨時快速で素直に帰ることにした。おそらく車両はダブルデッカーの215系電車だと思われる。一度相模湖から高尾まで乗ったことがあるのだが非常にグレイトな車両で特別料金なしでこんなのに乗れるなんてと感動したもんだ。それを今日は始発から終点まで乗り通せる。乗車時間は2時間半ほど。こんなチャンスはなかなかない。なんといっても快適だし早いしでなんかワクワクする。ということで小淵沢で下車することにした。
富士見駅の改札を通るとそこには貨物列車が停車中であった。
たまに関西線でDD51のこういう景色を見ることはあったけど久々にまじまじと貨物列車を見た。
僕的にはなかなかこういう機会はない。
連結部分。こんだけ無防備に停まっていたら魔が差して思わず乗ってしまいそうだ。
しばらく停車していた貨物列車を見送るりその後やってきた塩山行きの列車に乗り込む。車内は暖かいし今日は朝も早かったのでうつらうつらして気がつけば小渕沢に到着。ここで多くの乗客が下車。周りも僕と同じく新宿行きの快速に乗る人々が多い模様。みんなよく調べてんなぁ。
列車は塩山に向け走り去っていった。
しばしホームで待たされ小海線の列車と並走しながら215系の新宿行きホリデー快速がやってきた。
オール2階建て。グリーン車ではなく普通車もこれ。素晴らしい!!!
2階のボックス席を独占し列車は新宿に向け出発。甲斐の山々を眺めながらの旅である。
甲斐駒???
いいねぇ。中央線。いい眺めだ。気持ち的には登山モードから完全に乗り鉄旅モードに切り替わった。
2階建て車両の こういう眺めはふつうグリーン車からでないと望めない。いや~楽しいわ。
陽だまりが心地よくて気がつくと寝てた。列車は甲府に到着。ここまで思ったほど人は乗ってこずボックス席独占が続く。
いや~お山の眺めがとっても雄大。こんなにゆったりした気持ちで昼さがりの中央線に乗れてとっても嬉しい。
いい眺めだ・・・・
その後勝沼ぶどう郷で登山客がわさっと乗ってきてボックス席の独占は幕を閉じた。同席となった登山のおばちゃんたちはとても元気がよく大きな声で話したり笑ったりする。まぁ不快ではないのでいいんだけど久々におばさんパワーを見せつけられた。その後は大体眠ってた。大月で目が覚め次に起きたのは高尾。その後は八王子、立川と停まったけど皆さんなぜか乗ってこない。見慣れないグレイトな列車なので皆さん敬遠したのかな。ちなみにおばさんたちは立川で下車し車内に静寂が訪れた。その後は新宿まで再びボックス席を独占し列車は終点の新宿に到着。早朝からスタートしたドタバタ登山の旅が幕を閉じた。 おしまい
最高の天気で人も多い。
八ヶ岳方面を望む。
中央アルプス???
春近しって感じ。雪は山の上部付近にしかない。見た目的には麓は完全に春。まだ寒いけど。
しかしまぁいい眺めだ。天気もいいし気持ちがいい。いつもなら山頂を踏んだらあんまりゆっくりせずにすたこらさっさと下り始めるんだが今日はのんびり過ごすことにした。時間的にもすぐに下山できるし降りたところで富士見駅へのシャトルバスは15時発だ。
写真では見えにくいけど富士山も見える。
蓼科。山頂からの景色を眺めながら行動食のおにぎりを食べる。この前の三ツ峠といいこの入笠山といいこのところ景色の素晴らしい山に登ってる。いやいや百名山だけがお山じゃないですな。
なぬ!?首切り清水???なんとも恐ろしいネーミングである。
12時33分、山頂からの景色を満喫して下山にとりかかる。
快適な雪歩き。
さっき尻セードしていたところ。僕は地道に歩いて下る。
登りの時はスルーしたマナスル山荘へ立ち寄る。登山バッチを買おうとしたら売り切れだった。代わりにと言ってはおかしいけどなんか食べようと思いメニューを見るとビーフシチューの仕込みが遅れてるため本日はカツカレーがフルもハーフも¥1100とある。通常価格はフルは¥1300である。そういやここのビーフシチューは有名らしい。ヤマレコでも書かれてた。しかしなんでビーフシチューの仕込みが遅れるとカツカレーが安くなるのだ???ビーフシチューはないからそのお詫びってことか???
しかしカレーが¥1100円かぁ~。でも今日はご褒美だ(なんの???)。ということでカツカレーのフルを注文した。
お通しで野沢菜が出てきた。いや~長野の野沢菜、うまいよね。大好きである。これさえあればご飯が何杯でもいける。隣のお茶がこれまたうまい。
そしてカツカレー(フル)が登場!!!いや~これはすごいボリュームだ!!!ただのカツカレーと思っていたけどこれなら通常価格が¥1300でも納得だ。つーかしくったな~。これなら山頂でおにぎりなんか食べるんじゃなかった。
食べきれるかな~・・・なんて思っていたけど「うまいうまい!!!」と千と千尋のお父さんのようにがっついてあっという間に食べきってしまった。いや~うまかった。
心もお腹も大満足でマナスル山荘をあとにし下山を再開する。というわけで湿原まで戻ってきた。
地図無しなのでトイレの前にある看板というかルート図をみる。するとあの雪の斜面を登ってもゴンドラ乗り場に戻れる模様。あそこに見える鉄塔を目指すような感じなのか???せっかくなんで帰りは違うルートにしてみよう。
写真じゃ伝わらないけど実際にはそれなりの急登だ。
ひと登りして山彦荘方面を振り返る。みんな僕が来た時の道を戻って行く。
急登を終えると件の鉄塔が現れた。
なんか見覚えのある看板が。おぉ~ここに出るのか。てことはこの鉄塔も行きに通ってたんだな。全然記憶にないわ。
でもってここにつながるのか。この先はスタート地点である。
スタート地点に戻りスノーシューを脱いでゴンドラ乗り場へ。
乗り場からはここから見える山々の紹介が。富士山、鳳凰三山、甲斐駒は登った。
ゴンドラに乗り込みほんとの下山である。八ヶ岳を正面にみながら標高を下げる。いや~入笠山、景色の素晴らしいとてもいい山だった。
ゲレンデをクロス。
ゴンドラは下界に到着。出発前にも使った休憩所で荷物をまとめバス乗り場へと向かった。
これで天候が悪ければ緊張感も増すだろうけどドカッ晴れの最高の天気である。まずはスノーシューを履く。いや~5年振りだ。5年前の3月12日に那須岳で履いて以来だ。ちなみにちょうどその1年前にも那須岳に行っている。2011年の3月11日。東日本大震災の日である。なんか3月の11日とか12日とかの週末に雪山に行ってることが多いな。
八ヶ岳もきれい。しかし写真は汚い。これがガラケーのカメラ且つデジタルズームの仕事である。
ここが入り口。これ、ヤマレコで見たわ。
まっすぐ行っても左に行っても入笠山に行ける。僕はGPSに落としたルートでまっすぐ行く。
今シーズン初の雪山。久々の雪の感触を楽しむ。
久々のスノーシューの感触だ。東京に持ってきたけどこの3年間、一度も使わなかった。しかしぶっちゃけスノーシューじゃなくても普通に歩ける。季節は3月。雪は十分締まっている。でもいいのだ。スノーシューを履きたいだけなのだ。
分岐が現れたけどGPSに落としたルート通りに進む。
しばらく行くとシカよけの扉が。しかし冬季は開放の模様。
木道に従って下って行くと雪原に出た。お~ここが入笠湿原か。
前方には山彦荘がみえる。
えこっらほいと登っていたら
入笠湿原!!!しっかり主張してくれてます。
山彦荘。現在は閉鎖中。
トイレもあるしここで皆さん休憩中。
雪の積もった道路をしばし歩くとマナスル山荘に到着。とりあえず山頂を踏むのが先ということでここはスルー。
ここからいよいよ本格的な(?)登山道となる。
後ろを振り返る。
4か月ぶりの登山。情けないことにこれしきの登りで息が上がる。しかし歩みは止めない。
ヒップそりで尻セードする人々。結構なスピードで滑り降りていく。
しかしまぁ今の僕にはなかなかの登りだ。4ヶ月もさぼってたからなぁ。メタボにもさらに磨きが(?)かかっている。
ぶひぃ~。息が上がる。とうとう歩みを止めてしまった。情けねぇ・・・。先を行く人々の背中が遠くなる。1分ほど休んで再び進む。
この辺になると色々ルートが割れる。好きな方を登ればいいんだがこの人が向かう方は斜度がきついので僕はゆる~い方へと進む。そしてふと顔を見上げると「ん???」
あれは山頂では???GPSを見るとまさしく山頂。
11時58分。なんか呆気なく山頂に到着。苦しかったのは山頂直下の一瞬だけだった。出発したのは11時02分なのでここまで56分。ま、こんなもんだろ。スノーシューが役立ったのはマナスル荘からここまで。まぁ別になくてもどうってことはない。でも入笠山と言えばスノーシューだからね。とりあえずスノーシュー持って来てよかった。
再びうつらうつらし目が覚めると目の前に座っていたサイクリストのおじさんが弁当を食べていた。それを見て「よぉ~し」と僕もペロッと平らげた。その後爆睡。
8時38分、終点の甲府に到着。乗り継ぐ8時53分発の松本行きの座席を押さえて朝の生理現象解消タイムでトイレに向かう。これがまたなかなか個室が空かなくて再び列車に戻ったのは発車間際の8時50分だった。
列車は松本に向け出発。そこでもうつらうつらしながら過ごす。目が覚めると雪山が見える。宮脇俊三先生の本の中で何度か読んだことのある中央線の風景だ。
日野春にて特急の通過待ち。10分ほど停まるので車外に出る。目の前には中央アルプスの山々が。
3月に入ってだいぶ雪も解けてきてるんだろうな。持ってきた双眼鏡で山々を覗く。フィールドスコープを持ってこようかと思ったけどスノーシューがかさばったのでコンパクトな双眼鏡にしといた。
ちなみに甲斐駒は雲がかかって頂上が見えない・・・。
一駅隣の長坂駅にて。
かろうじて甲斐駒の山頂が見えるかな。ケータイのカメラだとアップにするとめちゃくちゃ画が荒くなるのでズームできない。デジタルズームって使えないわ。
そんな感じで富士見駅に到着。富士見パノラマスキー場行きのシャトルバス乗り場へと向かう。
富士見駅。1年ぶりの再訪だ。前回は岐阜でのお葬式の帰りに下車した。明るいときに下車するのは初めてだ。
バスが到着。無料でスキー場まで運んでくれるとは有り難いことだ。
スキー場に到着。休憩所で出発の準備をする。雨具のズボンをはきスパッツを着け眼鏡からコンタクトに替えいざゴンドラ乗り場へ。雨具のズボンは当初家に忘れてきたと思っていた。電車の中で持ち物をチェックしていた際に着替えとか入れてるスタッフバックに入っていなかったからだ。「これはまずいなぁ~」と思っていたけど運よくザックの雨ぶたの中に入っていた。これが無かったら正直寒くてどうにもならなかったかもしれない。
スキー場のゲレンデ。久々の雪の感触だ。年末年始の北海道を除くと10カ月ぶりの雪山だ。
というわけでゴンドラ乗り場に向かう。
ゴンドラに乗り込みいざスノートレッキングへ。去年のGWの会津駒ケ岳以来の雪山、11月の全縦以来の山だ。
グオ~んと山の上へと運び上げてくれる。
リフトを眼下に見下ろす。(支柱とかぶってしまった)
八ヶ岳。下の方にはもう雪はない。そしてゴンドラは山頂駅に到着。久々の雪山登山が始まる。
先週は用意まではしたけど結局行かず。そして今週、天候は晴れ。昨日は21時半まで残業。そこからミニピアゴで半額の弁当やおにぎりを買い込んで帰宅。そして23時過ぎに就寝。今日は4時20分に起床。5時24分発の山手線に乗り込み18きっぷで富士見まで向かう。
iPadに音楽やら動画やらを同期しようとするもなかなかうまくいかずそうこうしているうちに時間が無くなってしまい慌てて出発。エレベーターに乗り込みさっそく「あっ!財布忘れた!!!」
そっこー部屋に戻り財布をポッケにしまうと今度は床に転がってるストックが目に入る。「おぉ~ストックも忘れとるやんけ!!!」 寝ぼけてんのかどうにもこうにもいかん。さらに田町の駅に向かっていると「うわぁぁぁぁ~!!!」
なんと地図を忘れた。さらにiPadとかいれたサブバックも忘れた。さらにデジカメも忘れた。さらにゴンドラの割引クーポンやゴンドラの駅から山頂までのルートを記したものをプリントアウトしたものも忘れた。とりに帰ってたら18きっぷで富士見へ向かうのは不可能だ。富士見発10時のシャトルバスに乗らねばならんのである。そうすると田町発5時24分の電車に乗らねばならんのである。これ以降の列車だとあずさに乗らねばならない。そうなると18きっぷを買った意味がなくなってしまうのである。長い道中でネットが使えないことは不便だ。正直乗り継ぎの情報とかおぼろげにしか覚えてない。記憶をさかのぼると5時24分発の電車で神田で中央線に乗り換えろと書いてあったような気がする。なんで東京でなく神田なんだ???乗り換え時間が短いのか???それよりも何よりも地図無しで登山に臨むというのが普通の登山じゃありえない。しかも一応雪山である。これで遭難でもしようものなら四方八方のメディアから「素人登山」「山を甘く見ている」とたたかれまくるだろう。しかしヤマレコで見る限り道標はしっかりしてるし踏み跡もある模様。さらに週末ともなれば多くの登山者が集まるようで最悪それについていけばいいだろ。ゴンドラの終点から山頂までは1時間程度のようだし一応GPSにルートを落としている。余程のトラブルがない限り道迷い遭難はないだろう。
田町から件の電車に乗り込む。この時間でもスーツ姿のサラリーマン風の人がいっぱい乗ってる。朝帰り軍団か???とりあえず満席で座れない。毎回思うが東京ってすげーな。この時間でも座れないんだもんな。
家で時間がなかったので電車の中で乗り継ぎを詳しく調べようと思っていたんだがiPadを忘れたのでそれもできなくなってしまった。気持ちの上では1本早い列車に乗って東京発の中央線で座って高尾まで行こうと思ったんだが、それもできなくてこの列車で東京駅で降りていいのかどうかもわからんので安全策をとって神田まで行った。神田に着いて電光掲示板を見ると乗りこむ列車は5時43分発。これなら東京駅で十分に乗り換えできたではないか。なんで神田乗り換えだったんだ???
これで座れなかったら最悪だと思っていたがひとまず席には座れた。その後は睡眠時間5時間というのを補充するためにうつらうつらしながら移動。
6時56分、高尾に到着。甲府行きの211系に乗り換える。中央線も115系は完全に駆逐された模様。しかしこの電車寒いんだよなぁ。乗客は登山客多し。それ以外にお一人輪行のサイクリストがおられる。そんな感じで列車は甲府に向け出発した。
なんか懐かしいなぁと思うと同時に時代の流れも感じた。あれから20年以上だもんな。僕も年をとったもんだ。
ヤフーの地図で見ると新駅のあき亀山駅は河戸筋、我が母校亀山南小学校の坂道を下りきったところにある。もう何年もあそこには行ってないけど場所ははっきりとわかる。しかし可部からの距離がたった1.6kmしかないんだな。その途中に河戸帆待川という中間駅もある。以前の河戸駅よりもずいぶんと可部寄りに駅を造ったもんだ。
ところで今回の延伸区間、列車の一部がこの区間まで乗り入れるのかと思っていたらすべての列車があき亀山まで乗り入れるのだという。僕が住んでたのは虹山というところだったけど、今回の延伸区間である荒下や河戸というのは僕の感覚では公共交通では不便なところだった。バスの便も少ないし鉄道があったとはいえ旧の可部線の非電化区間は列車の本数はめちゃくちゃ少なかった。そこへ可部線の全列車上下99本が乗り入れてくる。これは荒下・河戸地区の住民的には一大エポックである。将来的には市民病院がここへ移ってくるようなのでこの辺りの景色は大きく変わるのだろう。この辺りは小学校時代の思い出もたくさんあるところなので乗りつぶしも兼ねて一度訪ねてみたいと思った。しかしこれって乗りつぶしになるのかな?昔乗った区間ではあるんだが。まぁ一度廃止されて新駅ができての復活だから新線とみなして乗りつぶしの対象としよう。
その蕨岱の駅を訪れた時のくだりでは「制服の駅員が一人いた」「山小屋のような駅だった」との記載がある。そこを読んで驚いた。あの秘境駅に駅員がいた時代があったとは。駅舎があった時代があったとは。
これが去年の年末に撮影した蕨岱駅。これしか知らないのでここの記載には驚いた。でも北海道の駅の中にはこの手のものがたくさんあるんだろうなぁ。「カレチ」に出てきた 上尾幌駅(尾幌駅だったか?)にも駅員氏がいたしなぁ。
話以外で印象に残ったのは旅の途中で出会う人々。その中に大阪から来た高校生が出てくるんだがその大阪弁がめっちゃコテコテ過ぎるのだ。「やぁ、あんたはんも自転車でっか?」「ぼく、長田いいますねン」(原文のまま)
いくら30年前とはいえこんな話し方の高校生はおらんやろと突っ込みたくなった。その子とは枝幸で再会するんだがその時も「久しぶりでンなぁ、水木はん。」とか言っているのでなんか苦笑してしまった。
あと時代を感じたのがやたらと飲酒に関する描写が出てくるところだ。まぁ内々の世間話程度なら「高校生くらいともなれば酒くらい飲むわい」で終わるだろうが一応これは公の出版物である。話の中でやたらとビールで乾杯するし斜里のユースホステルでは盛大に飲み会とかやってるし池田ではワイン城でワインも飲んでいる。札幌のビアガーデンでのくだりでは「伸太郎(主人公)とアルコールのつき合いは、15歳からである。高専の新入生歓迎キャンプで云々~」とお酒とのなれそめまでご丁寧に記載されていた。まぁ時代だな。おおらかな時代だったということだ。今なんか日本全国総監視カメラ時代と言っても過言ではない。誰とは言わんが往年のアイドル2人が山陰線の線路に入った云々で炎上した挙句に書類送検までされてしまう時代である。そりゃまぁ違反は違反なんだがここまで大騒動になるような話かと正直思ってしまう。なんか息苦しいわ。
最近は図書館で本を借りてきても読んでる途中でやめてしまうことが多いけどこの本は最後までしっかり読み切った。とても面白くて読んでてワクワクした。もう僕にはこういう旅はできないな。まずは休みがない。そして毎日が日曜日になるころには気力と体力がなくなっているだろう。僕らの定年は何歳なんだろう。70歳か?75歳か???第2の人生なんてありゃしない。働けるだけ働いてあとは闘病して終わりって感じである。文字通り死ぬまで働かされる。国は生涯現役とか都合のいいことばっかり言って実際には年金が払えんからそうやって年金の受給開始をどんどん後ろへ持って行く。今の仕事を70歳になってできるかと言えばできるわけがない。耳も聞こえん目も見えん。できるかよそんなんで。
昔は定年は55歳とかいう時代だってあったのだ。平均寿命が延びたとかいうけど要するに年金の仕組みが崩壊しているのだ。このままじゃ年金を1円ももらえないまま死んでいく人達だって続出するに違いない。ひーひー言いながらも健康で定年まで働き抜ければまだいい。それまでに病気とかになって働けなくなったらどうなるんだ???
まぁ最後は世の中への不満が爆発してしまったけどこの本は面白かった。こんな旅はできないけど学生時代には自転車で名古屋から広島まで東海道・山陽本線沿いに帰ったり、大阪南港から高知に渡って四国山地をぶち抜いてしまなみ海道を渡って福山まで行ってみたり、社会人になっても旭川から宗谷岬までロードで走ってみたりできる限りのことはやってはきた。あとはこのような本を読んで人の旅でワクワクしよう。
さらに東北は厳しい。気仙沼線と大船渡線は鉄道での復興を断念。BRTで本復旧と言っても結局はバス転換だ。赤字で廃止というのも悔しいが自然災害での廃止というのはもっと悔しい。最近はこの手の廃止が多い。岩泉線とか高千穂鉄道とか。ともすれば日高線もこれの仲間入りを果たしてしまうかもしれない。それを考えたら名松線の復活は奇跡みたいなもんだ。
鉄ちゃんがこんな事を言っては元も子もないかもしれんが道路事情もよくなった現代では赤字まみれのローカル路線を存続させる意義というのがないのかもしれん。鉄道でなきゃならん理由が見当たらない。バスで十分。ただその代替バスもそのうち便が少なくなって廃止になるかもしれん。そして公共交通機関のなくなる地域が出来上がるのだろう。上場している会社なら儲からない路線の維持には株主の厳しい追及があるのだろう。少し前なんかは西武線でも廃止の話が出ていたもんだ。鉄道好きには寂しい限りである。