駅横のトイレで朝の生理現象解消タイムを済ませいざ改札の向こうへ。
列車にに乗り込み座席を確保してから撮影タイム。
キハ120形。Nゲージで売ってたな。高山線、関西線、木次線、三江線、津山線の120形シリーズ。
向かいのホームのタラコ。
三次。次はいつ来るんだろうか。中高時代には三次出身の友達はいっぱいいた。大親友のナオトも三次の出身だ。
跨線橋を渡り
改札に戻ってみどりの窓口で本日のサンライズのキャンセルを確認。今の寝台は喫煙室なので禁煙室の空きを確認したがやはり満席のままだった。
構内を散歩。留置線には単行の列車たちがお休み中。
こういうのを見るとこの町は交通の要衝、列車の運行上の基地という感じがする。
昔、三江線を乗り通したときは三次を発車した後芸備線と並走した記憶がある。でも今の配線では不可能だ。左側の途中で途切れている線路、あれが昔は本線とつながっていたんだろうか?つーかつながってたんだな。そうじゃないと無理だもん。
しかし悲しいかな手ぶれである。手ぶれ防止がオフになってたのか???
ほぉ~快速でしたか・・・と思ったらこれは折り返しが快速広島行きとなる。つーか芸備線に快速か。
もうみよしもちどりもたいしゃくもなくなったからね。急行は全滅だ。
今となっては快速が芸備線の唯一の速達便。でも三次からだと高速バスの方が分があるな。なんてったって本数が多い。あちらは毎時2本はあるけどこちらは毎時1本という感じ。所要時間も広島駅ならば芸備線の快速の方が多少早いが紙屋町に行くなら高速バスの方が早い。こりゃ急行は勝てんわな。これに急行料金出すとは思えん。各駅停車なら広島まで高速バスよりも確実に遅い・・・。
広島方面からの乗り換え客が乗り込んでくる前に急いで三江線の列車に戻る。すると「な、なに~!!!」
同じホームの向かい側に列車が入ってきた。芸備線の下り列車である・・・と思ったら福塩線の下り列車であった。府中発の三次行き。三次着9時58分の列車である。くそぉ~こんなのもあったのか。だったらさっきの塩町方面のアングルで撮影できたではないか!!!しくじったなぁ~。正直三江線の発車時刻しか調べてないからなぁ。僕が乗ってるこの江津からの折り返し列車も三次着の時間を把握していれば撮影できたのに。こんなんトイレなんか行ってる場合じゃなかったな。つーかよく考えたら三次という駅は三江線、芸備線、福塩線という3つの路線が乗り入れる立派なターミナル駅である。まぁどれもこれも一級品のローカル路線だがそれでもこんな中国山地のど真ん中の町によくもまぁ集まったもんだと思う。ただもうすぐ三江線は無くなってしまうけど・・・。
しかし三江線と福塩線は撮っときたかったなぁ~。2度しくじったという気分にうちひしがれながら列車は石見川本へと出発した。
17時38分、列車は留置線へと引き上げていった。
今東京に住んでるけど東京と比べたら大阪だって随分と田舎だ。ぶっちゃけ東京以外は全部田舎。でもそれを言ったらおしまいなので広島くらいの街は都会の部類に入れないと日本全国全部田舎になってしまう。
でも街の活気は広島にはかなわない。
でもこれは一度広島から都会に出てみないとわからないと思う。
ハンズもパルコもビックカメラもあるしね。
一つ目の トンネルを抜けたところでパチリ。
トンネルの中の列車を撮ることってあんまりないな。なかなか新鮮。
でてきた!!!
一つ目のトンネルを抜けた。しかしここはいいお立ち台だ。
みんなでマナーを守って
今後もフェンスとか張られないように
これからもずっとずっとここで撮影できことを
本当に切に願う。
玖村発16時45分の三次行きを撮影してふと可部線方面を眺めると
つ ーか105系はどこ行った???それは置いといて右上に見えるの南原ダムだな。ここからでも見えるんだ。
列車がやって来た。
木々の影が正面に映る。
しかしまぁこんな短いトンネルが連続する区間なんて他にないよな。
3連続でしかも入口から三つ向こうのトンネルの出口が見えてるんだもんね。
広島はいいわ。可部線もあるし芸備線もある。足を延ばせば木次線も。なくなっちゃうけど三江線もある。
40歳を迎えるにあたり仕事のきつさとかなんかもろもろ嫌なことが多くなってくるとなんか昔の楽しかった頃の思い出に浸りたくなる。昔は広島は田舎だから都会に出たいと思ってた。でも名古屋にも関西にも東京にも住んだし正直もう田舎とか都会とかどうでもよくなった。故郷の広島がよくなってきた。
駅に向かいがてら最後の最後の列車を撮影すべくカメラを構える。このまま駅に向かっても三次方面の列車の後に広島行きの列車が来る。道路をアンダークロスするあのポイントが行くか行くまいか迷っていたポイントだ。でもあっちじゃなくてこっちに専念してよかった。あっちに行ってたら1本トンネル側の列車を撮り損ねていたかもしれん。
そして列車がやって来た。
あらためていいなぁ。キハ40系。
次はいつ来れるのか。
枯れ草がちょっと邪魔だけどこの場所はホントいいところだ。
駅の入口の前に陣取りこれからの予定を考える。やりたいことは色々ある。しかし時刻は14時半をまわった。全部やるには時間的に無理だ。ひとつづつ検証する。まずは三江線の宇都井駅で撮影。これをやるには今すぐここで引き返さねばならん。よって却下。続いて芸備線での撮影。中山隧道とネットでよく出ている戸坂の踏切。これも時間がないので却下。しかし玖村ー下深川間の3連のトンネルの写真は撮りたい。安芸矢口方面の道路をアンダークロスするポイントは現場に着いてから行くか行かんか考えよう。お次は玖村にどうアクセスするか。気持ち的には梅林で降りて高瀬堰を渡って向いたい。あのあたりには色々思い出があって今回行かなければ次にいつ歩けるかわからない。しかしそうするとまだ見たことのない新白島の駅に行けなくなる。時間が許せばこの時間からでも三次まで芸備線を乗ってみたいという気持ちがあるのでそうなれば玖村から乗ることになり新白島には行けなくなる。まぁこれは電車に乗ってからどうするか決めよう。
可部を出発した列車は中島を過ぎ太田川にさしかかる。
これまでの疲労が出てきてうつらうつらしながら目が覚めると
列車は横川に到着。僕の中では横川は都会だった。この駅は可部線と山陽線が乗り入れていて横には新幹線も走り、さらに駅前には広電の路面電車も乗り入れておりバスのターミナルもあり商店街もある。小学生の頃はほんとに都会に見えた。中学生の頃は広大の大学病院で手術をしてその絡みでこの駅から大学病院行きのバスに何度も乗ったもんだった。ここの駅前も可部みたいにきれいに整備され昔とは雰囲気が変わってきれいになった。広電の電停が若干鹿児島駅前に似ていると思うのは僕だけか???
その横側を出発すると・・・
昔より幅が広がったしお店とかできてる。以前はただの通路だった。
そして列車は狩留家に向け出発。発車間際だけど芸備線だから大丈夫かなと思ったけどどうしてどうして。なかなかの乗車率である。ボックス席を独占できるかと思ったらとんでもなかった。今じゃ芸備線も20分ヘッドの運行である。僕からしたら「あの芸備線が!?」って感じである。札沼線が電化された現在、日田彦山線と並びキハ40系が走る貴重な大都市区間である。
けっこう混み合っているのでのんびり車窓が眺められない。ちなみに僕が座れたのはボックス席の通路側だ。
普通の道を歩くよりも断然早い。5,6分は変わると思う。
そして
「ん???」
ここの空き地でご夫婦がよくキャッチボールをしていたのを思い出した。
フェンス越しにこれまた懐かしいものが見えた。
思いがけず門が開いている。中に入ってみたい、校内を歩きたい・・・という衝動がむくむくと湧き上がってきたが何とか思いとどまった。正直ちょっとくらい入ったってかまわんだろうとも思ったんだが最近はいろいろうるさいからのぉ。「変なおっさんが校舎に侵入であえなく御用」とかは勘弁だ。
荒下の風景。ここに安佐市民病院が移転する。周囲はまだ農地が残っている。なんかホッとするねぇ。ちなみに幼稚園のころこの近所の牛を飼ってるところへ絵を描きに来た。なんかいろんなことを思い出すわ。
それでも表札で名前が確認できたりすると「あぁまだここにいるんだ」とうれしいようなホッとするような何とも言えない気持ちになる。まぁ本人がいるかはわからんけどね。みんな世帯とか持ってるだろうから親しか住んでないかもしれん。
歩いていたら前方から亀山中の生徒たちがやってきた。すれ違いざまに「こんにちわ~」と挨拶してきたのでこちらも「ちわ~」と挨拶。いや~気持ちがいいね。そういや僕も小学生の頃は学校帰りに出会った人には「ただいま帰りました~」って挨拶してたな。自分がされる側になって「あぁこんな感じなんだな」って初めてわかった。
両延神社の階段を下ったところにある公園。ここも懐かしい。昔から変わらずここにあってくれてなんかうれしい。
う~む、なんかえらいすっきりしたように感じる。昔、ここは砂利道で草とかも生えてたように記憶が・・・。
それになんか笹薮みたいなところから川に降りたような記憶があるんだが・・・
しばし歩いて振り返ってみてもしっくりこない。そもそも笹薮がない・・・。伐採されちゃったのかな???
つーかよくこんな川で遊んどったな。水量も少ないし決してきれいじゃない。昔と変わっちゃったのかな???昔は確かにここで釣りとか魚とりとかしてたんだが。
そんなことを思ってたんだがそれでも橋の下で遊んでる2人の男の子がいた。
ヌートリアが泳いでいた。ここにもいるんだな。
ところでこんなの前からいたんだろうか???子供のころは全く見たことがない。初めて見たのは確か13年前。伊丹の小屋池公園にて。鳥の写真を撮りに行っててふと池の中に目をやるとそこにヌーが泳いでいた。こんなのが日本にいるなんて知らなかったしその姿から「おぉぉぉぉぉ~!!!!!ビーバーじゃ!!!!ビーバーが泳いどる!!!」と興奮しながら銀塩カメラで写真を撮りまくっていた。今思えば銀塩カメラとはなんと金のかかるカメラかと思う。フィルム代に現像代にプリント代。しかも現像するまでどう映ってるのかわからんなど何ともリスキーなカメラだったな。「デジカメなんかおもちゃじゃわい!」とけっこう銀塩で粘ったけど今となっては「そんな時代もあったな」って感じである。
前方に笹薮が見えてきた。
結局行きたかったポイントがどこだったのか判然としないまま大毛寺川をあとにした。
おぉ~ここ舗装されたのか。しかもガードレールまでついている。昔は未舗装の土の道だった。
おぉ~懐かしい景色だ。
ここの道を通ってちびっ子広場とか向こう側に続く道に行ってたんだが今見たら完全に個人のお宅の私道みたいな感じだ。通ろうかなと思ったけどそこのお宅の方が外に出られていたのでやめた。
でもここの溝がオレンジなのは変わらない。何が流れたらこんな色になるんだろうな。
ん???
お次のポイント向かおうと今来た道を引き返そうとすると・・・
ここの坂道を登ると
ちゃんとフルネームで表札が出ていた。よかった~。ホッとした。
続く。
電話があるから電話公園。昔は電話の位置はここではなく先ほどの入り口付近にあった。
この公園での思い出はI田君という1学年上の子と軟式ボールで野球をしてた時の事。今思えばこんな狭い公園でよくそんなことやってたなと思うんだがそれは今は置いておく。僕はピッチャーで「そりゃ~!!!」と本気で
投げたボールがI田君の頭に「ぽこ~ん!!!」と当たってしまったのだ。「あいたぁ~!!!」とのたうち回るI田君を見て腹を抱えて爆笑したのを覚えている。軟球なので怪我もなく小学生の投げるボールなので大して速くもないんだが痛がるI田君の姿が面白すぎて大笑いしてしまった。30年近く経ってしまったけど今更ながら謝ります。I田君、ごめんなさい。
そしてまた歩き始める。昔文房具屋があった場所に行ってみると普通の戸建てになっていた。ここの文房具屋には店先にゲーム機とかが置いてあって1回20円とかそこらで遊べた。その数軒隣のH兼君の家にも行ってみたが表札は別の名前に変わっていた。
山を切り開いてこの住宅団地を造ったんだがその際にネーミングを「にしやま」をもじって「虹山」にしたものと思われる。ちなみに小学生の時は校歌の「螺山」のことをずっと「西山」だと思っていた。虹山に関しては螺山とまったくリンクしていなかった。
この公園には非常に多くの思い出がある。生えている木を揺すればカナブンとかがぼとぼと落ちてきた。僕は捕まえたことはなかったがクワガタもいた。ニジケンに行くまではここで夏休みのラジオ体操もやった。
思い出探しの旅はまだまだ続く。
今日は三江線を撮るまでは時間的なスケジュールを考えていたけどここからは正直言ってノープランだ。行きたいところはたくさんあるけどどこをどうまわってというのは時間では決めていない。とりあえず考えていることは①昔住んでた場所を歩く②延伸開業した可部線に乗る③新白島駅を見る④芸備線を撮影する⑤芸備線を三次まで乗る⑥宇津井駅で三次方面から来た列車を撮影する
まぁ時間的に考えて全部はできない。どれを選択しどれを切るか。それはこの後考えよう。
久々に路線バスに乗りたくなってバスで向かおうとすると弟君が乗せていってやると言ってくれ、おかんも買い物ついでに一緒に行くことになった。
虹山県営住宅こと虹山県住。略して「ニジケン」
いや~変わった。めちゃくちゃ開けたなぁ。昔は車が見える奥は山だった。
ということは26年振りか。
K本の家に行ってみた。表札は出ていなかった。ちなみにこのK本君、中学に入ってグレにグレまくり立派なヤンキーに成長。卒業アルバムもなんか金髪モヒカンみたいな感じだったような気がする・・・。ん???どこでその卒アル見たんだっけ???僕はこの学区の中学には行っていない。誰かに見せてもらったんだろうな。さらに言うとこのK本君の兄ちゃんもドヤンキーだった。
寿屋。すっかり古びてしまってるけどまだあったんだな。
シカはこの向こうから走ってきた。最初は「え?ウマ?でっかい犬?」がこちらに向かって突進してくるように見え 大いにビビった。
国道261号線を離れ一路宇津井駅へ。
おぉ~ホームには人の姿が。三次行きに乗るのかな???
こうなった。あえて川の部分を全部切り取ってもよかったな。
こんな感じで。(トリミングしてみた。)
結局ここもあとから小学生の子を連れた親子が来ただけでほぼ独り占め状態だった。
三江線が意外と実家の近くを走っていたと知ったのは自動車学校に通うようになってから。僕は島根の自動車学校に通ったんだが教習で何度かこの線路沿いを走った。その時は「へぇ~こんなところを走ってるんだ」とちょっと感動したもんだ。その後、一度三次から江津まで乗り通した。多分大学2年に上がる春だったと思う。その時は乗り換えなしで三次から江津まで行けたからそういうダイヤだったんだなぁ。今は朝5時38分発の列車以外に三次から直通する列車はない。ちなみにその時は江津から山陰線をえっちらおっちら乗り継いで鳥取まで行き、そこから今は亡き夜行の急行だいせんで大阪まで行ったような気がする・・・けど記憶がおぼろげだ。当時の写真を引っ張り出せばはっきりするだろうけど今は手元にない・・・。
登山で鍛えたこの足でぇ~
へぇ~。かつてはここを7連の列車が走ったこともあったのか。
ひとしきり満足して宇津井駅をあとにする。ここで列車を迎えてみたいんだがこれから予定がある。その予定を途中で切りあげないともうここへは来れないな。次の列車は11時09分発の江津行き。これを待っていてはこれからの予定が潰れてしまうし・・・。
もう四月は目前だというのにめちゃくちゃ寒い。弟君の愛車カローラフィールダーに乗り込みエンジンをかけると「な、なにぃ~!!!」
なんともう春に片足を突っ込んだ時期というにもかかわらずなんとフロントガラスもリアガラスも凍り付いているのである。車内の温度計では外気は氷点下1度と表示されていた。恐るべし中国山地である。
爪でガラスをがりがりしても全然追いつかないのでエアコンで曇り除去モード(正式名称がわからん)でじっくり溶かす。で、ナビに行き先を登録しようとするも使い方がよくわからんので寝ている弟をたたき起こし使い方を教えてもらう。ロケハンをしたいので5時30分には出発したかったんだが結局5時40分をまわってからの出発となってしまった。
懐かしの通学路を一路因原を目指し走って行く。今回の撮影は弟君が帰省しなければ実現できなかったことだ。実家の車は僕が運転すると保険がきかないのだ。いかに田舎道とはいえ保険なしの状態(自賠責は当然入っているんだが)では怖くてとても運転できない。その点、弟君の車はだれが運転しても保険がきくので非常に助かる。走りながら道端の気温計の表示を見るとなんと氷点下4度。地面が濡れてないからいいものの濡れてたら凍結してるだろう。40~50分くらいかかるかと思ったら30分足らずであっけなく目的地の八重山神社に到着。ロケハンのためそのまま川沿いの細い道を進む。対向するのにも苦労しそうな細い道だ。あらかじめ三次行きはここで撮ろうという目星をつけておいた場所を実際に確認し、今度はメインの撮影となる浜田行きの撮影地、八重山神社へと向かう。車を停め、踏切横の道から丘の上へと登って行く。すぐ横の民家のワンちゃんにえらい剣幕で吠えられまくる。周囲はまだ薄暗くまったくひと気もないので少々気味が悪い。しかしそんなことは言ってられないので我慢して上へ上へと登って行った。
そしてポイントに到着。
ネットとかでもよく見るアングルだ。しかし・・・「ん???」
なんか赤い看板があるぞ。
ドラッグストアのウェルネスではないか!!!ネットの画像にはあんなもんなかったぞ。うぉ~なんというところに看板を立ててるんだ。ついでに店舗も。邪魔だ。向こうからすりゃ知ったこっちゃないかもしれんが邪魔過ぎる!!!つーかなんだこの破壊力!!!雰囲気がぶち壊しではないか!!!
う~む、これができちゃったせいでこのお立ち台、終わっちゃったなぁ~。
気を取り直して三次行きの撮影ポイントに向かう。
春休みの3連休だしそれなりに有名なお立ち台だと思っていたので同志が大勢詰めかけてるかもと思っていたんだが人の姿は皆無。正式に廃止の発表もされたからちょっとビビりながら来たんだがまったくもって自由に撮りまくれそうだ。
列車の通過までまだ15分ほどあるので車に戻る。この様子じゃ僕以外にはここへはこないだろ。来たって場所取りに困るようなことはない。カーナビでこの後の宇津井駅までのルートを検索。こういう時にナビは便利だ。
いいころ合いで車外に出てカメラを構える。今回は手持ちだ。う~む、やっぱり三脚持ってくりゃよかったな。
ぱちり!!!
車に戻り次のお立ち台、八重山神社こと因原児童公園に戻る。
あれこれアングルを考えていると・・・「ん???」
まずは望遠でぱちり!!!昨日の東海道線の中ではこの赤い看板&店舗がまだ建っていない頃の素朴な石州瓦の家々をバックに走る写真を見ていただけに「残念!!!」の一言。完全にこちらサイドの自己中な恨み言になってしまうが言わせてもらおう!!!ウェルネスさん、何てことしてくれたんだ!!!ついでに見切れてるおっちゃん、あんたもだ。
若干残念な気持ちを引きずりながらお立ち台をあとにする。ここまで30分くらいだから明日も来ようかな。その後の行程が忙しくなりそうだけど。そんなことを考えながら車へと戻って行った。
品川では5時10分発の小田原行きに乗り換え。
6時49分 、列車は浜松に向け列車は出発。眠いので基本的には目を閉じている。ふと目を開けると・・・
駅前で弟君の車に乗り込みいざ広島を目指す。阪神高速から第2神明、加古川バイパス、姫路バイパスと走り姫路西ICから山陽道へ。18時半には着くかなと話していたところ岡山JCと倉敷JCの間で事故が発生しこの区間が通行止めとの情報が。そこに行くまでに通行止めが解除されることを祈っていたんだが結局解除される前に到着してしまった。仕方がないので吉備のスマートICで高速を降り倉敷ICまで迂回することにしたんだがこれがまた渋滞でなかなか前に進まない。そうこうするうちに山側を走る高速道路を見ると車が行き来しているではないか。う~む、あのまま待っとけばもうすいすい走れてたわけだな。まぁこれは結果論だから仕方がない。大幅に時間をロスして倉敷ICに突入。その後は休憩をとりつつ広島道、中国道と乗り継いで実家には20時過ぎに到着。その夜はたらふく飯を食い少し酒を飲み、そして語らい長い一日が終わった。
この3連休で広島に帰った。ほんとは子供らも連れて家族ともども帰りたいんだがいろいろあってなかなか帰れない。というわけで帰ったのは僕だけだ。
計画段階では色々あった。当初は成田からLCCの飛行機で帰るつもりだった。土曜の朝に広島空港に着いて芸備線に乗ったり撮ったりして翌日は可部線。最終日は三江線に乗って東京に戻ろうと思っていた。乗ろうとしてた飛行機は朝7時過ぎのフライト。田町から始発の電車に乗っても成田に着くのは6時半。これはぎりぎりだ。というわけで金曜日の夜にバスで成田に向かうことにした。大崎を1時くらいに出て成田に2時半ごろ着く便があるのである。ほぼ徹夜だがまぁ仕事をするわけではないので大丈夫だろ・・・って思ってたんだが困ったことが起きた。ネットで飛行機を押さえたと思ったら代理店から電話しろというメールが来た。電話してみると予約した座席はすでに無くなっており他の席だと1万7千円ほどになるというのである。これなら新幹線と大して変わらん。というわけで飛行機の線は断線した。しかし新幹線→芸備線→三江線→山陰線からの最後はサンライズで帰京という線は思いのほか金がかかるので一時は帰省すること自体を断念した。しかしせっかくの3連休。延伸・復活した可部線にも乗りたいし芸備線にも乗りたい。三江線にもお別れ乗車したいしサンライズにも乗りたい。それよりも何よりも親に顔を見せたい。うちの親も67歳と64歳。離れて暮らしているのでなかなか会えない。生きてるうちに会えるだけ会っておきたい。というわけでやっぱり帰ることにした。しかし節約のため18きっぷでの帰省である。田町から東海道・山陽線をひたすら西へと進む旅である。東海道線は正直つまらんが久々の山陽線はちょっと楽しみだ。ゴールの可部線あき亀山には20時半ごろ到着する。片道16時間、移動距離900キロ余りのロングランである。
しかしまたまた予定が変わった。神戸に住む弟君が、僕が帰るなら車で自分も帰るから神戸から乗せてやると言ってくれた。久々の鉄道の旅を楽しみたい気持ちもあるが車ならうちに着く時間が3時間くらい早くなる。あき亀山駅の夜の様子を撮影しようと思ったが親孝行のためにも神戸で列車を降りることにした。
※トワイライトに乗った時の模様はこちら→ http://ponpokosmile.blog.shinobi.jp/%E6%97%85/%E5%B9%B4%E6%9C%AB%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%80%802012%E3%80%80%E5%85%B6%E3%81%AE4
東京に来てから3年たつけどロードに関しては大井ふ頭ばかり走ってきた。しかしあそこは正直走っていると気が滅入る。殺風景な港湾エリアに加えて風が強いともう最悪だ。トレーニングにはいいかもしれんが日曜の昼下がりに一人で走ってたりするとなんとも言えん気分になる。しかし今日は都心でみんなと走る。ど平坦のお気軽コースである。
西新橋の交差点。だいぶ都心に入ってきた。
このパレスサイクリング、コースは1周3kmほどのところを周回魚のごとくグルグル回る。平川門のところでUターンして再び祝田橋を目指す。途中左手に東京駅の丸の内口を眺めたり「東京を走ってるなぁ~」と実感できるコースである。
本日の記録 走行距離・・・43.32km 平均速度・・・21.5km/h 最高速度・・・37.3km/h 獲得標高・・・98m
たかだかこの程度の距離で疲れてしまった。情けない・・・。でも楽しかった。つーか獲得標高が98mって・・・。こんな感じだから今の僕には箕面の山すら登れないかもしれんな・・・。
15時、バスは富士見駅に向け出発した。行く時はそれなりに満員になったので帰りの便も混み合うのかと思いきやそれほどでもなかった。
そしてバスは富士見駅に到着。15時36分に塩山行きがあるのでこれに乗ることにする。駅に置いてある時刻表でその後の時刻表を調べると途中の小渕沢から臨時の新宿行きの快速が出ていることを発見。しかも今日からの運行だ。先週来ていたらこれには乗れなかった。これに乗れば新宿まで乗り換えなし。しかも19時前に新宿に着ける。ラッキー!!!しかしここで違う方にも食指が動く。「いけるかな?」と甲府から身延線への乗り継ぎを見ると17時21分発の富士行きというのがあった。これに乗って身延線を経由して東京まで戻るという手もある。非常に魅力的ではあるんだがこれだと家に着くのが23時くらいになってしまう。それに甲府発が17時過ぎということは程なくして暗くなって景色を楽しむことはできない。そして考えた結果今回は小渕沢からの新宿行きの臨時快速で素直に帰ることにした。おそらく車両はダブルデッカーの215系電車だと思われる。一度相模湖から高尾まで乗ったことがあるのだが非常にグレイトな車両で特別料金なしでこんなのに乗れるなんてと感動したもんだ。それを今日は始発から終点まで乗り通せる。乗車時間は2時間半ほど。こんなチャンスはなかなかない。なんといっても快適だし早いしでなんかワクワクする。ということで小淵沢で下車することにした。
たまに関西線でDD51のこういう景色を見ることはあったけど久々にまじまじと貨物列車を見た。
しばらく停車していた貨物列車を見送るりその後やってきた塩山行きの列車に乗り込む。車内は暖かいし今日は朝も早かったのでうつらうつらして気がつけば小渕沢に到着。ここで多くの乗客が下車。周りも僕と同じく新宿行きの快速に乗る人々が多い模様。みんなよく調べてんなぁ。
いい眺めだ・・・・
その後勝沼ぶどう郷で登山客がわさっと乗ってきてボックス席の独占は幕を閉じた。同席となった登山のおばちゃんたちはとても元気がよく大きな声で話したり笑ったりする。まぁ不快ではないのでいいんだけど久々におばさんパワーを見せつけられた。その後は大体眠ってた。大月で目が覚め次に起きたのは高尾。その後は八王子、立川と停まったけど皆さんなぜか乗ってこない。見慣れないグレイトな列車なので皆さん敬遠したのかな。ちなみにおばさんたちは立川で下車し車内に静寂が訪れた。その後は新宿まで再びボックス席を独占し列車は終点の新宿に到着。早朝からスタートしたドタバタ登山の旅が幕を閉じた。 おしまい
中央アルプス???
快適な雪歩き。
さっき尻セードしていたところ。僕は地道に歩いて下る。
しかしカレーが¥1100円かぁ~。でも今日はご褒美だ(なんの???)。ということでカツカレーのフルを注文した。
食べきれるかな~・・・なんて思っていたけど「うまいうまい!!!」と千と千尋のお父さんのようにがっついてあっという間に食べきってしまった。いや~うまかった。
心もお腹も大満足でマナスル山荘をあとにし下山を再開する。というわけで湿原まで戻ってきた。
地図無しなのでトイレの前にある看板というかルート図をみる。するとあの雪の斜面を登ってもゴンドラ乗り場に戻れる模様。あそこに見える鉄塔を目指すような感じなのか???せっかくなんで帰りは違うルートにしてみよう。
でもってここにつながるのか。この先はスタート地点である。
スタート地点に戻りスノーシューを脱いでゴンドラ乗り場へ。
ゴンドラに乗り込みほんとの下山である。八ヶ岳を正面にみながら標高を下げる。いや~入笠山、景色の素晴らしいとてもいい山だった。
ゴンドラは下界に到着。出発前にも使った休憩所で荷物をまとめバス乗り場へと向かった。
八ヶ岳もきれい。しかし写真は汚い。これがガラケーのカメラ且つデジタルズームの仕事である。
久々のスノーシューの感触だ。東京に持ってきたけどこの3年間、一度も使わなかった。しかしぶっちゃけスノーシューじゃなくても普通に歩ける。季節は3月。雪は十分締まっている。でもいいのだ。スノーシューを履きたいだけなのだ。
前方には山彦荘がみえる。
山彦荘。現在は閉鎖中。
この辺になると色々ルートが割れる。好きな方を登ればいいんだがこの人が向かう方は斜度がきついので僕はゆる~い方へと進む。そしてふと顔を見上げると「ん???」
再びうつらうつらし目が覚めると目の前に座っていたサイクリストのおじさんが弁当を食べていた。それを見て「よぉ~し」と僕もペロッと平らげた。その後爆睡。
8時38分、終点の甲府に到着。乗り継ぐ8時53分発の松本行きの座席を押さえて朝の生理現象解消タイムでトイレに向かう。これがまたなかなか個室が空かなくて再び列車に戻ったのは発車間際の8時50分だった。
列車は松本に向け出発。そこでもうつらうつらしながら過ごす。目が覚めると雪山が見える。宮脇俊三先生の本の中で何度か読んだことのある中央線の風景だ。
ちなみに甲斐駒は雲がかかって頂上が見えない・・・。
一駅隣の長坂駅にて。
スキー場に到着。休憩所で出発の準備をする。雨具のズボンをはきスパッツを着け眼鏡からコンタクトに替えいざゴンドラ乗り場へ。雨具のズボンは当初家に忘れてきたと思っていた。電車の中で持ち物をチェックしていた際に着替えとか入れてるスタッフバックに入っていなかったからだ。「これはまずいなぁ~」と思っていたけど運よくザックの雨ぶたの中に入っていた。これが無かったら正直寒くてどうにもならなかったかもしれない。
先週は用意まではしたけど結局行かず。そして今週、天候は晴れ。昨日は21時半まで残業。そこからミニピアゴで半額の弁当やおにぎりを買い込んで帰宅。そして23時過ぎに就寝。今日は4時20分に起床。5時24分発の山手線に乗り込み18きっぷで富士見まで向かう。
iPadに音楽やら動画やらを同期しようとするもなかなかうまくいかずそうこうしているうちに時間が無くなってしまい慌てて出発。エレベーターに乗り込みさっそく「あっ!財布忘れた!!!」
そっこー部屋に戻り財布をポッケにしまうと今度は床に転がってるストックが目に入る。「おぉ~ストックも忘れとるやんけ!!!」 寝ぼけてんのかどうにもこうにもいかん。さらに田町の駅に向かっていると「うわぁぁぁぁ~!!!」
なんと地図を忘れた。さらにiPadとかいれたサブバックも忘れた。さらにデジカメも忘れた。さらにゴンドラの割引クーポンやゴンドラの駅から山頂までのルートを記したものをプリントアウトしたものも忘れた。とりに帰ってたら18きっぷで富士見へ向かうのは不可能だ。富士見発10時のシャトルバスに乗らねばならんのである。そうすると田町発5時24分の電車に乗らねばならんのである。これ以降の列車だとあずさに乗らねばならない。そうなると18きっぷを買った意味がなくなってしまうのである。長い道中でネットが使えないことは不便だ。正直乗り継ぎの情報とかおぼろげにしか覚えてない。記憶をさかのぼると5時24分発の電車で神田で中央線に乗り換えろと書いてあったような気がする。なんで東京でなく神田なんだ???乗り換え時間が短いのか???それよりも何よりも地図無しで登山に臨むというのが普通の登山じゃありえない。しかも一応雪山である。これで遭難でもしようものなら四方八方のメディアから「素人登山」「山を甘く見ている」とたたかれまくるだろう。しかしヤマレコで見る限り道標はしっかりしてるし踏み跡もある模様。さらに週末ともなれば多くの登山者が集まるようで最悪それについていけばいいだろ。ゴンドラの終点から山頂までは1時間程度のようだし一応GPSにルートを落としている。余程のトラブルがない限り道迷い遭難はないだろう。
田町から件の電車に乗り込む。この時間でもスーツ姿のサラリーマン風の人がいっぱい乗ってる。朝帰り軍団か???とりあえず満席で座れない。毎回思うが東京ってすげーな。この時間でも座れないんだもんな。
家で時間がなかったので電車の中で乗り継ぎを詳しく調べようと思っていたんだがiPadを忘れたのでそれもできなくなってしまった。気持ちの上では1本早い列車に乗って東京発の中央線で座って高尾まで行こうと思ったんだが、それもできなくてこの列車で東京駅で降りていいのかどうかもわからんので安全策をとって神田まで行った。神田に着いて電光掲示板を見ると乗りこむ列車は5時43分発。これなら東京駅で十分に乗り換えできたではないか。なんで神田乗り換えだったんだ???
これで座れなかったら最悪だと思っていたがひとまず席には座れた。その後は睡眠時間5時間というのを補充するためにうつらうつらしながら移動。
なんか懐かしいなぁと思うと同時に時代の流れも感じた。あれから20年以上だもんな。僕も年をとったもんだ。
ヤフーの地図で見ると新駅のあき亀山駅は河戸筋、我が母校亀山南小学校の坂道を下りきったところにある。もう何年もあそこには行ってないけど場所ははっきりとわかる。しかし可部からの距離がたった1.6kmしかないんだな。その途中に河戸帆待川という中間駅もある。以前の河戸駅よりもずいぶんと可部寄りに駅を造ったもんだ。
ところで今回の延伸区間、列車の一部がこの区間まで乗り入れるのかと思っていたらすべての列車があき亀山まで乗り入れるのだという。僕が住んでたのは虹山というところだったけど、今回の延伸区間である荒下や河戸というのは僕の感覚では公共交通では不便なところだった。バスの便も少ないし鉄道があったとはいえ旧の可部線の非電化区間は列車の本数はめちゃくちゃ少なかった。そこへ可部線の全列車上下99本が乗り入れてくる。これは荒下・河戸地区の住民的には一大エポックである。将来的には市民病院がここへ移ってくるようなのでこの辺りの景色は大きく変わるのだろう。この辺りは小学校時代の思い出もたくさんあるところなので乗りつぶしも兼ねて一度訪ねてみたいと思った。しかしこれって乗りつぶしになるのかな?昔乗った区間ではあるんだが。まぁ一度廃止されて新駅ができての復活だから新線とみなして乗りつぶしの対象としよう。
その蕨岱の駅を訪れた時のくだりでは「制服の駅員が一人いた」「山小屋のような駅だった」との記載がある。そこを読んで驚いた。あの秘境駅に駅員がいた時代があったとは。駅舎があった時代があったとは。
話以外で印象に残ったのは旅の途中で出会う人々。その中に大阪から来た高校生が出てくるんだがその大阪弁がめっちゃコテコテ過ぎるのだ。「やぁ、あんたはんも自転車でっか?」「ぼく、長田いいますねン」(原文のまま)
いくら30年前とはいえこんな話し方の高校生はおらんやろと突っ込みたくなった。その子とは枝幸で再会するんだがその時も「久しぶりでンなぁ、水木はん。」とか言っているのでなんか苦笑してしまった。
あと時代を感じたのがやたらと飲酒に関する描写が出てくるところだ。まぁ内々の世間話程度なら「高校生くらいともなれば酒くらい飲むわい」で終わるだろうが一応これは公の出版物である。話の中でやたらとビールで乾杯するし斜里のユースホステルでは盛大に飲み会とかやってるし池田ではワイン城でワインも飲んでいる。札幌のビアガーデンでのくだりでは「伸太郎(主人公)とアルコールのつき合いは、15歳からである。高専の新入生歓迎キャンプで云々~」とお酒とのなれそめまでご丁寧に記載されていた。まぁ時代だな。おおらかな時代だったということだ。今なんか日本全国総監視カメラ時代と言っても過言ではない。誰とは言わんが往年のアイドル2人が山陰線の線路に入った云々で炎上した挙句に書類送検までされてしまう時代である。そりゃまぁ違反は違反なんだがここまで大騒動になるような話かと正直思ってしまう。なんか息苦しいわ。
最近は図書館で本を借りてきても読んでる途中でやめてしまうことが多いけどこの本は最後までしっかり読み切った。とても面白くて読んでてワクワクした。もう僕にはこういう旅はできないな。まずは休みがない。そして毎日が日曜日になるころには気力と体力がなくなっているだろう。僕らの定年は何歳なんだろう。70歳か?75歳か???第2の人生なんてありゃしない。働けるだけ働いてあとは闘病して終わりって感じである。文字通り死ぬまで働かされる。国は生涯現役とか都合のいいことばっかり言って実際には年金が払えんからそうやって年金の受給開始をどんどん後ろへ持って行く。今の仕事を70歳になってできるかと言えばできるわけがない。耳も聞こえん目も見えん。できるかよそんなんで。
昔は定年は55歳とかいう時代だってあったのだ。平均寿命が延びたとかいうけど要するに年金の仕組みが崩壊しているのだ。このままじゃ年金を1円ももらえないまま死んでいく人達だって続出するに違いない。ひーひー言いながらも健康で定年まで働き抜ければまだいい。それまでに病気とかになって働けなくなったらどうなるんだ???
まぁ最後は世の中への不満が爆発してしまったけどこの本は面白かった。こんな旅はできないけど学生時代には自転車で名古屋から広島まで東海道・山陽本線沿いに帰ったり、大阪南港から高知に渡って四国山地をぶち抜いてしまなみ海道を渡って福山まで行ってみたり、社会人になっても旭川から宗谷岬までロードで走ってみたりできる限りのことはやってはきた。あとはこのような本を読んで人の旅でワクワクしよう。
さらに東北は厳しい。気仙沼線と大船渡線は鉄道での復興を断念。BRTで本復旧と言っても結局はバス転換だ。赤字で廃止というのも悔しいが自然災害での廃止というのはもっと悔しい。最近はこの手の廃止が多い。岩泉線とか高千穂鉄道とか。ともすれば日高線もこれの仲間入りを果たしてしまうかもしれない。それを考えたら名松線の復活は奇跡みたいなもんだ。
鉄ちゃんがこんな事を言っては元も子もないかもしれんが道路事情もよくなった現代では赤字まみれのローカル路線を存続させる意義というのがないのかもしれん。鉄道でなきゃならん理由が見当たらない。バスで十分。ただその代替バスもそのうち便が少なくなって廃止になるかもしれん。そして公共交通機関のなくなる地域が出来上がるのだろう。上場している会社なら儲からない路線の維持には株主の厳しい追及があるのだろう。少し前なんかは西武線でも廃止の話が出ていたもんだ。鉄道好きには寂しい限りである。
