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世にも奇妙な物語を見た。今回も4話のオムニバス。それに加えてちょいちょい間に挟んでくる小芝居というかショートムービーみたいなのも今回もあった。
感想だけどどれもよかったというのは当然としてその中でも最後の「妻の記憶」が一番よかった。遠藤憲一がいい味を出してた。ところで今番組のホームページを見て「マジか~!!!」と思った。なんと2015年の秋の特別篇は2週連続で放送があったのだ。うわぁ~1週目しか見てなかったよ。そんな告知あったか???いやあったんだろうなぁ。何で見逃したんだろ???一生の不覚だ。
今日もいい天気。皇居ランナーものびのび走る。
毎度ながら開放感がある。
走る人、歩く人。殺伐とした大井ふ頭よりも気持ちがいい。
さて目標は8周回としたけど1周するのに約8分かかる。ということは7周でタイムアップだ。今の体では30分ほどでペースが落ち始める。う~む、やっぱもっと早くからスタートしたかった・・・。
朝10時から走ったら4時間走っても14時。皇居前の芝生のところでゴロンとしたり飯食って再び走りだすというのもありだ。
ここの信号、毎回のように引っかかる。
気象庁。この横っちょの信号にもよく引っかかる。
7周回目。情けないことにだいぶへたってきた。大井ふ頭で換算したらまだ2周目。う~む、こりゃ100kmとか絶対無理だな。
結局7周回を終えるころには16時にさしかかる。もうお片付けモード全開で道路の封鎖が解除寸前。ということでここでドロップアウト。なんか軽く1時間走ったって感じで家へと戻って行く。う~む、なんかお気楽サイクリングって感じだな。まぁ走らないよりマシだけど正直去年までと比べても全然運動量が少ない。これじゃ痩せないな。これから本格的に山やロードのシーズンに突入する。増え続ける体重を抑制するためにももう少し運動量を増やそう。
本日の記録 走行距離・・・35.58km 平均速度・・・23.3km/h 最高速度・・・63.9km/h・・・ってこりゃまた混線しとるな。カヴェンディッシュじゃねーんだから。記憶にあるうちでは40km/hくらいだ。 獲得標高・・・76m 消費カロリー・・・1069kcal
これじゃたらんな。最低でも2時間は走りたい。つーか今週もバイクの整備をせずに出陣。チェーンオイルは切れたまま、タイヤもこないだ帰省した時に持って帰るのを忘れたので接地面が避けてる状態で走った。荒川とか遠出は危ないかな。
ところでこの映画に高畑充希も出てたんだが女子ーズに出てた桐谷美玲、有村架純、高畑充希の3人はすげーな。いろんなところに出まくってる。ちなみに来週の日曜邦画劇場はストロボエッジ。有村架純が主演である。
やっぱ映画は邦画に限りますな。青春物も大好きだ。
今週末は下のチビの小学校入学式のために帰省した。行きは18きっぷ。2時間ほどの睡眠時間で眠い目をこすりながら田町の駅へと向かう。券売機でGWの帰省の新幹線の指定を押さえ18きっぷで改札をくぐる。先日広島に帰った時と同じ列車で大阪まで向かう。
品川で東海道線に乗り換え。前回と同様、小田原、熱海、浜松、豊橋、大垣、米原で乗り換えたけど今回は大垣ー米原間も含め全部座れた。その間ほとんど寝てたので今回は富士山も浜名湖もみなかった。
大阪で降りて昼飯を食い阪急で帰宅。この日は下のチビのプールの初日に運よく遭遇。よかった。
翌日は自転車をこいだり下のチビといろいろ遊ぶ。
自転車で川西池田の駅へ。菜の花全開。春だ。
阪急の能勢口とは違いJRの方はこんなのどかな風景が広がる。
自転車で周囲を走る。桜が満開。
いいときに帰ってきたな。
帰宅後はNゲージで遊ぶ。今回は経費節減のためにレイアウトにはいかず自宅でレールを敷いた。久々に高架にしたんだが高架はやっぱりめんどくさい。次はレイアウトか平面だな。
そして月曜日。入学式に参加。上のチビ以来だから4年振りだ。幼稚園も終わってとうとう小学生だ。下のチビの幼稚園時代は単身赴任で離ればなれだったのでほとんど見ないうちに終わってしまった。そうこうしてるうちに今度は上のチビが5年生になった。このまま卒業とかいうのはあまりに寂しいのでそれまでには関西に戻りたい。式が終わって教室に移動。園児から児童となり気持ちも新たに6年間勉強に遊びに楽しんで通ってもらいたい。いい友達ができればいいと思う。
すべてが終わって会社に電話。すると運よく今日は休みでいいとの返事をもらったので昼からは子供らを連れて少しだけ公園で野球をした。もっとがっつりやりたいんだけどな。次は広島に帰った時に思いっきりやろう。その後はつかしんでバイキング。食後はゲームコーナーで遊んで帰宅。時刻は20時を周っており急いで荷物をまとめ川西池田の駅へ。平日の夜の新幹線はスカスカというのはこないだ学習したんだが最近は川西池田の券売機でも新幹線の指定席がとれるようになったので念のため指定席を確保して新大阪に向かう。3列シートの窓側。結局隣に人が来ることはなく品川に到着。運よく手にした3連休が幕を閉じた。
しかし金曜日の会社は「こりゃ全然だめだ・・・」ってくらいのどピークが到来。実際どうにもならんかった・・・。日曜は18きっぷでどこかに行くか諦めてパレスサイクリングに行くかと思っていた。結局18きっぷはやめて危うくパレスサイクリングも諦めかけた。パレスサイクリングは行ったもののその後行こうと考えていたNゲージのレイアウトはあきらめた。その時間を使って部屋の掃除と熱帯魚の水替えを行った。う~む、とりあえず18きっぷが1枚余ってしまう。まぁ仕方がないな。
今日は高校野球はなかったけどプロの方を見た。ラッキーなことに今日はJスポーツがただで見れたのだ。途中でパレスサイクリングに出かけたのでその間は録画にしたけど阪神に大勝して開幕カードは2勝1敗で勝ち越した。今年こそカープの日本一を見たい。
沿道には桜の花が咲き始めてたりしていた。そういや今朝は天皇陛下も皇居の周りを散歩されたんだよなぁ。8時間ほど前に陛下がここを歩いたのかもと考えると「おぉ~」となった。やっぱ東京ってすごいわ。
結局パレスサイクリングの方は3周半で平川門まで来たところでタイムアップ。う~む、もっと早く出ればよかったな・・・と思いながらも今の僕にはこれでちょうどいいくらいの疲労感であった。大井ふ頭なら1周にも満たない距離である。う~む情けない。でも楽しかった。気軽に来れるしみんなと走るのは楽しい。また来よう。
本日の記録 走行距離・・・24.64km 平均速度・・・23.0km/h 最高速度・・・62.9km/hってこれは何かばぐったな。平地でそんなに出せない。記憶にある中では38.5km/hが今日の最高。 獲得高度・・・48m 消費カロリー・・・821kcal
走らんよりはマシだがこれではなぁ。前回走った時にバイクが誇りまみれ&チェーンオイルがからっからという状態を解消しようと思ったんだが何もせぬまま今日も走ってしまった。次は車体をキレイキレイにして100km走ろう。
本来なら今日は18きっぷで名古屋に行くつもりだったんだが仕事になってしまい諦めた。13時に帰宅し寝ながらセンバツの決勝戦を見てその後、レイアウトに出陣。初めに目をつけていたのは蔵前のレイルガーデンというところだったんだが予約が埋まっていたのでもうひとつ目をつけていた夢空間を予約した。夢空間は総武線の平井から徒歩15分ほど。総武線・・・用事ねぇなぁ~。前に乗ったのは一昨年のこの頃。余った18きっぷの消化試合で内房線と外房線に乗ったんだがその時千葉まで乗って以来である。
秋葉原で総武線に乗り換え。ホームに向かう途中のそば屋さんに「本日お客様感謝デー ステーキカレー¥1100→¥690」の写真に心そそられたがそこはぐっとこらえて電車に乗り込む。ちょうど野球の試合が終わったからなのかいつもそうなのかは知らないが車内はぎゅうぎゅう詰め。そして列車は平井を目指す。最初の停車駅は浅草橋。おぉ浅草橋って総武線と連絡してんだな~と地下鉄の浅草線を時々使う僕はこの駅を再認識。お次の停車駅は両国。おぉ~ここで相撲するわけね。前乗った時は東京駅からの総武線快速だったのでこの辺の駅は新鮮である。その後錦糸町、亀戸と停車し平井に到着。下車後、件の夢空間へと向かう。商店街を抜け車の走る道路を道なりに進む。江戸川区平井・・・初上陸である。街の雰囲気はと言うとなんか東京らしくないというか郊外の臭いがするというか。関西とか名古屋のその辺の街と変わらんような雰囲気である。しばし歩くと京葉道路という名前だけは聞いたことのある国道14号線を左折し少し歩いて夢空間の入っているビルに到着。そのビルの4階にお店はあった。中に入るとめっちゃ愛想のいい店員さんが対応してくれ、今後のために会員カードも作った。
実はこのお店に対して少々不安もあった。サイトを見て知ったんだがここは高校生未満はお断りのお店だ。大井町のIMONも8歳未満お断りなんだがやはり中学生ですらシャットアウトしてしまうお店というのはどういうところなんだろうかと少々ビビっていた。店主はめっちゃこだわりのある怖い人でお客も列車を室内灯からカプラーから完全に作りこんでいるその道の達人みたいな人ばかりなのではなかろうかと。しかし電話で予約した時にはその物腰の柔らかさに拍子抜けするとともに大いに安心した。
店内は商品の販売はなく完全にレイアウト一本。BGMもなく列車のモーター音と走行音のみが響くという渋い雰囲気。しかしこういう方が僕は好きである。予約時には在来線を予約してたんだが複々線も2線使えて同じ料金とのことだったので複々線に変えてもらった。19時からの予約だったんだが空いていたので18時20分からにしてもらった。ラッキーラッキー。
僕を含め10線あるうちの4線しか使われていなかったのでのびのび楽しめた。レイアウト自体はこれまで行った中で一番手が込んでて素晴らしい。僕の選んだ複々線はこの中では一番単純な路線だったけどそれでも大満足。次は鉄橋とかある路線にしよう。ちなみに今回持ち込んだ車両は8両編成の223系の新快速と5両編成の227系のレッドウィング。ともにJR西日本である。他のお客には九州出身なのかJR九州の車両ばかり走らせる人もいた。813系に787系のつばめ、415系の九州色なんかも走っていた。しかしまぁとっても楽しくてあっという間に1時間が経ってしまった。うちからは一番遠いけどポポンデッタ、IMONと比べて一番よかった。駅からも遠いけどぜひまた来たいと思った。
たしかに「伏せろ!」という指示にはなんとも言えん。「逃げろ!」が正解かもしれんがけどそれでも「どこに!?」って思ってる間にのまれてしまうだろう。雪崩なんて土砂崩れと同じようなもんである。それが目の前で起こった時にはすでに遅しでほとんど何もできんと思う。
あとビーコンを携帯してなかったことにもテレビの人は言ってた。でも ラッセル訓練するのに全員がビーコン持つかな?ベテランの引率者も「ここでは雪崩は起きない」と判断して練習をしてたわけだからビーコンなんかつけなかったんだろう。これまでここでは雪崩なんか起きてなかったんだろうし。ただ実際こういう事故が起こってしまっているので何を言っても非難されてしまうけど・・・。。
つーかそもそも今回の茶臼岳登山でビーコンなんか持ってたんだろうか???別に舐めてるわけではないが茶臼岳に登る人のどれくらいがビーコンをもって登ってるんだろう???どこの雪山に入るのにもビーコンを持ってなかったら「雪山舐めてる」「認識不足」って非難されたら正直たまったもんじゃない。山を知ってる人たちがそういう風に言うなら「じゃぁ・・・」って気にもなるが今回のことで初めて「ラッセル」とか「ビーコン」とか知った人たちにそんな風にわめかれても「いや、そうじゃなくて・・・」と一言も二言も物申したくなってしまう。ビーコンだけあっても助け出せんぞ。埋もれた人を探すのにはゾンデもいるし掘り出すにはショベルもいるぞ。大体僕なんかソロで登ってるわけでそんな状況でビーコンもってたって・・・なんか言うと「単独で雪山とか山をなめてる。無責任にもほどがある」とか言われるかもしれん。ソロだって周りにビーコン持ってる人がいたら助かることもあるかもしれんとか言われるかもしれん。しかしみんながみんなパーティー組んで山に登ってるわけではないし、ビーコン携帯が義務でもない。そもそもこういうものは義務とかではなくて自分が自身の身を守るために自主的に携帯するもんじゃなかろうかと。雪山がビーコン必須と言うなら夏山はストライクアラートは必須なんだろうか?そりゃあればいいんだろうけど何でもかんでもルール化して締めつけるのはどうかなぁ。登山というのは色々やり玉にあがりやすい。遭難すれば四方八方から完膚なきまでに非難される。確かに捜索してくれる方々をはじめいろんな方に迷惑をかけることは確かだ。今は亡きうちのじいちゃんなんかも、正月に帰省した時に毎年のように報道される年末年始の遭難に「なんでわざわざこんな時にあんなところへ行くのだ」と言っていた。まぁ確かに山をやらん人からすればその通りなのかもしれん。しかし年末年始の休みの時にしか山に行けない人も多くいるし、そうでなくても年末年始は山で過ごしたい人も多くいる。しかし事故を起こせばいろんな方々に迷惑をかける。それは事実。だけど山が好きな人間からしたら「それはそうなんですがもう少しだけ寛大な心で見てはもらえんだろうか」と思ってしまう。山をやらん人からしたらただの無責任なわがままにしか聞こえんだろうが。
今回の件で高校山岳部の冬山登山は禁止するという声も聞こえてきている。でもそれはちょっと・・・と思ってしまう。今回の事故を今後の装備の検討や訓練時の判断の教訓にするわけにはいかんのだろうか。夏場の部活で熱中症で亡くなる事故とかも起こってるけど、じゃあそれが原因で「夏場の野球禁止」や「夏場の陸上禁止」になるんだろうか。
今は周囲からの非難が湧き上がってるかもしれんけどなんとか冬山禁止は踏みとどまってほしい。たしかに登山自体、リスクが大きいかもしれしれん。冬山なら言わずもがな。でも何をするにもリスクというのはあると思う。水泳部だって柔道部だってボクシング部だってリスクはあると思う。事故が起こったら即全部禁止というはどうだろうか。なんか違う気がするなぁ。
実は僕はこの茶臼岳には2回チャレンジしている。近所の山でなければ2回も同じ百名山にチャレンジすることはない。1回目は山頂に立てなかったのだ。それは2011年の3月11日。黒磯駅から宿である休暇村那須に向かう途中で東日本大震災に遭遇した。宿に着き、従業員の方や嫁からも翌日の登山は強く反対された。僕としては置かれている状況も周りが言うことも理解はできるが、会社の休みをとり時間もお金もかけてここまで来た以上何もせず帰るというのは非常に複雑な気持ちだった。結局翌日は山頂を目指すのはやめた。テレビから次々飛び込んでくる自分の理解を越えた映像や「これからどうなるんだろう?」という得体のしれん不安。しかしそれでも茶臼岳には登りたかったという気持ちが不謹慎かもしれんけど湧き上がってきた。宿の人には「散歩してくる」といって峠の茶屋まで上がった。時折足元はグラグラ揺れるけど下界でとんでもないことが起こっているのが信じられないくらい真っ青な快晴の青空だった。週末で、快晴で、しかも百名山。こんな条件なのに登山者の姿は皆無。こんないい天気なのに僕以外誰もいない。いつもは雨や吹雪ばかりの登山人生だったのでこの状況で登れないことには非常に無念の思いだった。そんな経験をした茶臼岳だったので、今回の事故に関しても悪天で講習中止で何もせず帰るというよりは「せっかく来たんだからせめてラッセル訓練を」という気持ちはわかる気がした。しかし結果としてこういうことになってしまった以上、亡くなった方や残された遺族の方の気持ちもあるから部外者の僕がどうこう言う資格はない。とりとめのない長文、すみませんでした。
不条理な運命に翻弄される前半のジェットコースターのような展開が確かに後半の方は「う~ん」。とはいえ別に非難してるわけではない。
本編が終わって軽部さんと岩井監督と黒木華とCOCCOでトークを繰り広げていたんだが7日に行われたファンの集いの模様も放送された。そこにはコスプレと化してるファンも結構いてそれには「うむむぅ~」となってしまった。ねこみみをかぶるくらいなら全然ありなんだが登場人物のコスプレはねぇ。ちょっとついていけんわ。でもまぁ面白かった。最近は「これが見たい!!!」って映画がないからね。次の作品にも期待しよう。
で、この第3試合は点の取り合いのシーソーゲーム。見てて思ったのが健大高崎の機動力が凄まじいということ。機動力の凄まじさは伝統のようになっていて熱闘甲子園なんかでは「機動破壊」とか言われてた。その機動力がこの試合でも存分に発揮されて前半は主導権を握っていた。しかし福井が盛り返し一進一退の攻防戦。延長戦に入ってからはお互い得点を許さずなんと第2試合から2試合連続の延長15回引き分け再試合となった。途中から「これも再試合になったらどうなるの???まさか明日の第5試合とか???それとも明後日の第4試合???」
そして発表されたのは再試合は明後日。これを受けて明日の第4試合に組み込まれていた福岡大大濠対滋賀学園ともどもこの4校の戦いは明後日にこの2試合だけ行われることになった。いやいやよかったよ。これで福岡大の子も少しは休養できるだろ。ただしこの影響で決勝戦前の休養日がなくなった。まぁ仕方ないわな。とにかくみんな少しでもベストな状態で戦ってほしいと思う。
天才岩井俊二監督の名作である。とても楽しみ。本編が3時間を超える長編だ。憂鬱な日曜の夜だけどちびちびやりながら岩井ワールドを堪能しよう。
呉のピッチャーの子はとても素晴らしく、負けはしたけどその表情は晴れやかでとてもさわやかな印象を受けた。僕自身、我が母校が中国大会まで進みながらも甲子園に手が届かず正直悶々としていた。「市立呉???どこそこ???」と思いつつもネットで調べたら2015年の夏の大会で県予選の決勝戦で我が母校とあたったことを知り「そういやそうだったな」と思い出した。
今大会の1回戦では愛知の至学館と当たって見事勝利。そして今日も週末で観戦できることに幸せを感じていたんだが今日は残念ながら負けてしまった。でも履正社相手にこの見事な戦い。ほんとによくやった。ナイスピッチングと言いたい。ただ夏は今年も我が母校に期待しているので応援するのはここまでだ。
で、自分の部屋へ。パンツ写ってますな。すんません。
今日は人が多いので早くシャワーを浴びねばということでシャワーに向かう。
その道すがら。これ、下段の部屋への階段。
のびのび座席。家族連れでにぎわってる。
先客がいたのでラウンジで待機。
そうしている間に宍道に到着。木次線の分岐駅である。
シャワーを浴びる。寝台列車でのシャワーは5年前の北斗星以来だ。
シャワーを浴びたあと清掃ボタンみたいなのを押さねばならんのだがそれを押したら「ブシャオォォォォ~」と文字で表現しにくい音とともにものすごい勢いで空気が噴き出してきた。マジでびっくりした。
シャワーから出ると列車は松江に到着していた。
鳥取とか松江とか福井とかなんか新幹線の駅みたいだ。
部屋に戻ってビールで乾杯。
背後へと流れていく駅の明かりを眺めながら飲むビールはとってもうまい。
安来節の安来に停車しそのあとはこの辺りで一番でかい駅である
米子に到着!!!
山陰線、境線、戸籍上は伯耆大山が終点だけど伯備線の全列車がここまで乗り入れる。実質3路線が乗り入れるターミナルである。
米子を出発し伯耆大山から伯備線に入る。どこの駅だか忘れたけどやくもとの行き違いで運転停車。その後先行の列車がシカとぶつかった影響で遅れているとの車内アナウンスが。
まぁ少々遅れるくらい僕的には全く問題がないので部屋でのんびり過ごす。気がつけば外は雨が降っていた。
新見、高梁、倉敷と停車し22時56分、列車は岡山に到着。
20分以上遅れての到着だ。最終新幹線への乗り継ぎ客のための車内アナウンスが流れる。新幹線を待たせているらしい。
岡山を出ると目を閉じた。今日は一日長かった。三江線を乗り通し、山陰線を江津から出雲市まで。正確に言えばサンライズに乗ってから伯耆大山まで乗ってるから江津から伯耆大山まで。サンライズを始発から終点まで乗り通すという夢のような乗り鉄旅。明日の仕事は気が重いが夢のような三連休だった。可部線の復活部分の訪問、子供のころ住んでた場所の訪問、三江線、芸備線の撮影。久々に歩いた広島の街。いい旅だった。
翌朝。遅れを取り戻した列車は定刻通りに東京駅に到着。
おっ、あのおじさんもサンライズに乗ってたのか。お姿を見たのは石見川本からだったけど、おそらく三次からずっと同じ列車で旅してきたわけだ。
奥さんの方は写真を撮るのに忙しそう。
僕はというとここから会社に直行。いつもより早い時間の出社となった。
いや~今回もいい旅だった。楽しかったわ。
おしまい
出雲市に到着。ひとまず改札を抜けこれから乗るサンライズの乗車券を購入。ここでも禁煙の寝台の空きを確認したけどダメだった。
駅舎。今日、これまでに通ってきた中で一番立派な駅舎である。
全国的にも有名な場所だしね。出雲と聞いてたら大体の人が「あの出雲大社の?」ってことにあると思う。
こちらは一畑電鉄の電鉄出雲市駅。
映画「RAILWAYS」の一畑電車である。
おととし富山の地鉄の駅を訪ねたけど今回は初代のRAILWAYSの舞台にやってきた。
と言ってもここは映画に出てこないけど・・・。
駅前を散策し飯を食えるところを探してみるも適当なところがない。で、駅に戻ってきた。
しかしまぁさすがに出雲の国の出雲市駅。風格があるというか重厚というか。とにかく立派。
駅のコンビニで飯、酒、つまみを買い込み
改札へ。
ちょうど列車が到着したところなのか改札は人でいっぱい。岡山からのやくもが到着したのかな???
改札をくぐりホームに上がる。
サンライズの発車までまだ30分ほどある。
やくもに乗って東京に帰るという手もなきにしもあらずなんだがここまで来たらやっぱサンライズでしょ。なかなか始発から終点まで乗りとおす機会なんてないもの。
こちらは遅れている浜田からの米子行き普通列車。
発車を待つやくも。
向かいのホームには岡山からのやくもが到着。ということは先ほどの改札の混雑は八雲じゃなかったんだな。
終点出雲市にとうちゃこ。
やくもが出た後には各駅停車が到着。キハ40は見ないな。だいぶ入れ替えが進んでいるのか???今日は乗れてラッキーだったな。
そして東京行き、サンライズ出雲が入線。去年の六甲全縦以来の乗車である。
今回は始発から終点まで乗り通すことができる。前回は大阪から東京までの乗車。はっきり言って寝ただけである。前回の模様はこれ
これから12時間余りの旅である。とはいえゆったりできるのは大阪くらいまでかな。
そしてこの旅最後の列車、サンライズ出雲に乗り込んだ。
三江線からも 見えた橋。
10年以上ぶりにここに来たけどあの煙突、記憶にあるわ。
きれいな砂浜。これで天気がよかったらね。
こういうのが延々と続く。
おぉ~風車だ。
最近いたるところで見るよな。
いいねぇ。日本海側っぽい景色。富山あたりのかつての北陸線とかでもありそうな景色だ。
漁村と入江。
温泉津。温泉津温泉の温泉津である。
ここで列車行き違いのためしばらく停車。定時運行であれば21分停車だ。
いいねぇ。各駅停車ののんびり旅だ。
キハ40系のタラコ。列車種別のところに行き先入ってるけどこれが「普通」とかの方がよかった。でも山陰線では結構前からこれ。
ここで対向列車が接近。
スーパーおきである。
キハ187系。
キハ181系時代からしたらかなりスタイリッシュになった。
新旧・・・と言っても登場から10年くらいは経ってるか。
ドアが閉まって発車の準備。
お気をつけて~。
駅舎。
件のおっちゃん。絵になるねぇ。
2本目の行き違いの列車。
温泉津を出発し再び海を眺めながらの移動。
こういう景色が好きだ。
マジすか~!?
ここでも列車交換。下りのスーパーおきが入線。
黄色好き的にはかっこよく見える。いいねぇ187系
そして一駅進んで
仁万に到着。ここでも定時運行なら9分停車と長く停まる。
いいねぇ。
旅してるって感じがするわ。
キハ40系をバシバシ撮影。
ここでは列車の交換なしで出発。再びきれいな海岸を眺めながら移動。
日本海側だなぁと思う景色。
五十猛。ここでも4分停車。なんか一駅ごとに停車時間が長い。
こんな感じの駅。周囲は広々してる。
五十猛で普通列車と行き違いをして列車は進む。そして・・・
進行方向右手に特徴的な山が!!!あれは名峰三瓶山ではないか!!!ん???おぉ~狙ったわけじゃないのに手前に三瓶山の文字が!!!今気づいて自分でもびっくりしてる。走る列車の中から撮った奇跡の一枚だ。
この辺りの人からしたらふるさとの山って感じなんだろうな。
二百名山。あの田中陽希も登っている。僕も登ってみたい。
そして列車は大田市に到着。ここでも7分停車。さっきまでは「旅してるなぁ~」とか言ってたけどまぁ~一駅ごとによく停まるものよ。距離の割にめっちゃ時間がかかる。
今はどうだか知らんが昔は実家の前をJRの特急バスが通っていた。
世界遺産、石見銀山の駅だ。
対向列車が到着。
大田市を出発。再び列車は海沿いを走る。
いいねぇ。
なんか寂しげな感じがいい
太平洋とは感じが違う。
けっこう高いところを走る。海岸を見下ろす。
天気はこんなんだし夕暮れが迫ってるし日本海側ってなんとも渋いねぇって感じる。
こういう鄙びた海沿いの町っていいなぁ。
さっきも言ったけど富山の元北陸線っぽい雰囲気が漂う。一昨年の撮り鉄の旅を思い出した。こちら
いいねぇ。
船泊。
江南で4分停車。スーパーおきの通過待ち。
出雲神西をでてしばらくすると前方の景色に「おぉぉぉぉ~!!!」
サンライズだ!!!
こんなところに車両基地があるんだな。
何にもないところに突如として姿を現した。
線路を少ないけどだだっ広い。
急ににこんなのが出てきたもんだから
不意を突かれた感じだ。
今夜はあれに乗るのだ。
また後で~。
西出雲。次は終点の出雲市だ。
西出雲を出るとこんなだだっ広い空き地が広がり
その向こうに街並みが見える。
その街の中に入ると
17時33分、終点の出雲市に到着。
なかなか楽しかったよ、キハ40系の山陰本線。
というわけで短いような長いような山陰線の旅がひとまずは終わった。
上りのホームはこんな感じ。15時06分発の出雲行きを待つ。
いやいやあのおっちゃん、ほんと画になるな。
改札を出たところ。なんかえらい低いところに電光掲示板があるな。山陰線の上下と三江線。近い時間に各々が旅立って行く。
もうすぐこれも無くなってしまうんだろう。
あと1年でこの風景も過去のものとなる。
しかし久々にきた江津駅。なんか昭和っぽいというか国鉄のにおいがプンプンする駅だ。いいねぇ。こういうのは大好きだ。
出雲市方面を望む。
こちらは浜田方面。
発車を待つ三江線。
4分ほど遅れて益田行きのアクアライナーがやって来た。
山陰線にもJR型の気動車が投入されている。
つい20年前までDD51が引くブルートレイン出雲が浜田まで走っていたというのに・・・。
まぁ20年だもんね。その間に新幹線は北海道から鹿児島までつながった。大学生だった僕も今年40歳になる。
そして出雲行きの列車も5分遅れて入線。
対照的にこちらはキハ40系の国鉄色だ。僕はこっちの方がいい。
そして列車は5分遅れて出雲市へ向け出発した。
道の駅も隣接しておりわりかし町の中にあるというようなイメージの因原。2000年の大学卒業時に宗谷岬から佐多岬まで日本縦断の旅をしたんだが九州をからの帰りに最後に降りた駅がこの因原駅だ。ムーンライト九州で岡山まで戻って伯備線で米子へ。そこから山陰線で江津へ行き三江線でこの駅まで。バスの時間まで近くの川でこれからのことを考えながら過ごした記憶がある。2000年の4月1日の土曜日の事だった。
これが物思いにふけっていた川。
そしてあそこが昨日の朝、列車を撮影した八重山神社こと因原児童公園。そう、今僕は昨日の撮影地の鉄橋を渡っている。
おっ、車が停まってる。
そして撮る人。
鹿賀。
例のおっちゃん、いい味出してんな~。ほんと明治の旅人みたいだ。これがSLだったら最高だったのに。
石見川越。
なんか気に入って撮った民家。
田津。
桜かなんかわからんけど咲いていた。
川戸。
とにかく江の川と寄り添って走る。
川平。
本当にのんびりした、心が癒される車窓の風景。ポカポカした昼下がりにはこの列車で昼寝しながら旅したら最高だろうな。ただいまは最後の車窓を目に焼き付ける・・・とまでは行かんけどゆったりした気持ちで眺める。
千金。
車窓には河口に近づくにつれ川幅が広がる江の川・・・ん???
うわぁぁぁしくじったー!!!この景色、僕の座ってる進行方向左側から見えるものだと思い込んでいたけど完全に勘違いだったー!!!
船とか停まってて海みたいな川。この風景を自分の座ってる側から見たかったのに。
満を持して間違えてしまった。
この川幅とこの水量。川幅だけ広い川ならほかにもあるけどこの豊かな水量。雄大なんだが如何せん通路を挟んで向こう側の景色。うまく写真に撮れん。
入り江のようなこの景色。ぜひとも僕も窓側から見たかった。
そして江津本町に到着。この駅の横の雄大な流れの江の川が脳裏に焼き付いていたんだが・・・。一生の不覚だ。
そして川にかかる橋の横を通過する。
こんなでっかい橋が線路沿いの細い道路とTの字になっててなんか珍しい。
そしてとうとう列車はここまでやって来た。
終点の江津である。これまで山の中の小駅ばかり続いていたのでここはなんだか本線の威厳あふれる駅に見える。
停車時間も含めて三次から4時間52分の旅。楽しかったよ、三江線。
ありがとう。そしてさようなら。
次の列車は13時45分発・・・といいつつも列車番号が変わるだけでこれまで乗ってきた列車がそのまま江津行きになる。
実質1時間27分停車みたいなもんだ。最近の列車ではなかなかこういうのはない。ここまで乗ってきた人たちも各々思い思いに過ごす。
駅前の観光案内所に行く人も多数。
駅舎の軒下で売られている鴨だしそばを買い求める人も多数。
で、僕も買った。うちを出るときにおにぎりの弁当を作ってもらったんだがそれプラス鴨だしそば。うまし!!!
停車中の列車のドアも開く様子がないしぷらぷらするか。
廃線が決まってなかったら「乗ろう乗ろう!!!」となるんだが今となってはむなしいばかり・・・。
そして駅前の観光案内所へ。
三江線の風景が写真がずらり。
これ、八重山神社のところから撮ったやつか???多分そうだ。
観光案内所をあとにしぷらぷらする。いいねぇ。なんかゆっくり時間が流れる感じ。昔の夜行快速なんかではこういう時間が結構あったな。ミッドナイトの長万部とかムーンライト九州の岡山とか。ムーンライトながらの浜松も時間は短かったけどこういう時間はあった。
駅周辺をぶらっとして改札に戻る。まだ列車に並ぶ姿は無い。
待合室でのんびりと。室内でくつろぐ人とホームの人々。
残された時間を惜しみつつ最後に駅前をもう一回り。すると・・・
「げげっ!!!」
なんかえらい行列になっとるやないかい!!!早よ戻らねば!!!
というわけで駅に戻る。荷物で順番とっといて撮影。
自分の列に戻る。最前線の人、いい感じの恰好しとんな。なんか明治のおしゃれな紳士みたいだ 。
列車のドアが開き自分の席を確保。江津本町あたりの大きく河口に開けた江の川を見るべく、ここまでとは反対の進行方向左側の座席に陣取る。
そして発車までは撮影タイム。跨線橋の上から。
向かい側のホームから。ん???ホームに人がいるな。対向列車が来るのかな???
まぁそれは置いといて江津行きをパシャ。いいねぇ。これ、前にトミックスからNゲージでてたけどその時は全然興味がわかなかった。でも今こうしてみると「欲しいな」って思う。
さらば!石見川本駅。もう来ることは・・・というより次に来るときにはもうこの駅はない・・・。
時刻表を見ると反対方向の列車は14時発。この先のどこかですれ違うんだろう。
石見川本→江津。こういうのを見るとこの線も立派な山陰本線への連絡線なんだなと思う。
おぉ~窓の向こうにはこの景色。このトンネルと列車の写真が駅前の案内所にあった。いいなぁ、これと思ったけどこんな近くにあったのか。
と思ってたらなんと前方から列車が来るではないか!!!14時まで時間があるけどここで列車交換をするのだ。
まさかの展開に必死でシャッターを切る。
いや~ラッキーラッキー。
しかし悲しいかなこの写真、ブログ用に画質を落としていたのだ。う~む、しくったなー・・・。
そして列車は無事に行き違いを終え我が列車は江津へと出発した。
三次のシンボル巴橋を臨む。
馬洗川を渡り対岸の三次町の駅、尾関山に到着。友人ナオトの家はこの近所らしい。
くそ寒いエリアなんだが駅は若干南国ムード。日南線にもありそうな雰囲気だ。
粟屋。次は秘境駅のあの駅だ。
のんびりと江の川に寄り添って走る。
いや~広い。中国太郎の名もだてじゃない。
お、前方に見えてきたぞ。
うわぁぁぁしくじったー!!!この秘境駅、長谷は普通列車も通過する駅。もう2度と来ることはないだろうからと逃すまいと連写したものの一番大事な駅名表の手前で息切れを起こしてこの有様。結局駅名表をとれないまま列車は長谷を通過していった。
何かわからんけど何かの施設。川をせき止めている。
川幅が広いからなんかスケールがでかい。
延々と江の川と寄り添って走る。
今は亡き可部線の非電化区間の太田川みたい。でもこちらの方がさらに山深い。
船佐。ホームには撮り鉄さんも。
自転車置き場かな。一台も停まってないけど。
駅舎・・・つーか待合室か?横はトイレかね?車は撮り鉄さんのものと思われる。
信木。ここも駅名表を撮れなかった。ちなみに所木はぼーっとしてて写真自体撮れなかった。で、車内はこんな感じ。立ってる人はいないけど座席はほぼ100%埋まっている。みんな荷物がでかい。僕の前には鉄ちゃんらしきおじさん、そして僕たちの隣には広島市内からやって来たおばさんが2人が向かい合って座っている。このおばさん達、鉄ちゃんではないが三江線がなくなるからと乗りに来た模様。こういう人たちが数多くこの列車に乗っている。
式敷。なんかおなじ読みが続くのって面白いね。「なはなは」みたいな。
ホーム上の時刻表。まぁ何とも寂しいことよ。100キロを超える長大路線をこれだけの本数のしか列車が走らんとは。保線の費用とか考えたらやはり廃止という運命を辿ってしまうんだろうか。
おぉ~傍らには列車を待つ人々が。
どうやら写真を撮り来ただけらしい。
香淀。
お、なんか新しげな建物が。
楽しんでますよ、三江線。
雄大だねぇ。
ほんと雄大。
川幅だけだったら宗谷線の天塩川とか肥薩線の球磨川とかあるけどここまでとことん川の流れに沿って走る路線って他にはないと思う。
人家も無いようなところを悠々と走る。しかしこんなところによく鉄道を敷いたもんだよな。国鉄時代のおおらかな時代ならではの路線だ。道路が整備されて民営化で収益にもシビアな現代では絶対にこんなところに鉄道は敷かれないだろう。同じようなことを大糸線の非電化区間を乗ってる時にも思ったな。あちらは地形的にももっと厳しい。こんな感じ
作木口。昔は作木村で今は三次市・・・って言おうとしたらここは島根県は邑南町。川の向こうが作木だってさ。まぁそれは置いといて三次市、合併しまくりで広すぎだろ。さらに庄原は合併で三次よりもさらに広くなったらしい。やりすぎだ。
そして列車は江の川に沿って走る。集落が現れた。
川の駅か。何か聞いたことあるな。つーかあそこもまだ三次か。ほんとやりすぎだな。
そういやあそこかどうか知らんけどカヌーステーションができたって聞いたな。つーかカヌー欲しいな~。社会人になったら買おうと決めていたもの。車、一眼レフカメラ、そしてカヌー。カヌーだけまだ買えてない。
座席越しに江平。
いいなぁ、三江線。これが来年の今頃には無くなってるなんて本当にショックだ。
北海道は廃線、廃駅の嵐が吹き荒れてるけど中国地方にも吹き始めたな。三江線は盲腸線ではなく山陰本線と芸備線をつなぐ路線。陰陽連絡線なんて言うと鼻で笑われるけど一応山陽と山陰を結ぶ路線だ。実態を見れば「よくぞこれまで生き延びたものよ」と思えるけど一応連絡路線だ。そこにとうとうメスが入った。ここが廃止なら木次線だってやばいぞ。もっといえば芸備線の末端だって危ないぞ。現在陰陽連絡線とまともに呼べるのは伯備線くらいのもんだ。山口線、因美線あたりもまだマシか。美祢線とかってどうなんだろうか。乗りつぶしで1度しか乗ったことないけど石灰石の輸送とかまでやってんのかね???美祢から出てた支線は随分前に廃線となってしまったが・・・。
口羽。
ん???
「応援してるよ!!!」といいたいけど廃止が決まってしまった今となってはむなしくて涙がこぼれそうだ。
この景色も見れなくなってしまうんだな。鉄道があるからここへ来る。鉄道が無くなったら100%来ないわ。江差線が無くなった。バスに乗ってでも行くかって言われたら100%いかん。18きっぷがあってそこに鉄道があるから行くのだ。
伊賀和志。字だけ見たら人の名前みたいだ。
そして列車はあの駅へ。昨日の朝はあそこでカメラを構えてた。
昨日はトラクターで耕してたな。そうここは
宇都井駅。今日は列車に乗ってやって来た。ホームには手を振る人達。
駅名表は・・・しくじった。
いつも乗っているわけではなく無くなるから乗りに来た僕が偉そうな事は言えんが、無くなってほしくない。いつも変わらずここにあってほしい。そこにあるだけで安心。そういう路線が全国各地にある。
石見都賀はこの有様。
石見松原。
潮。ここは桜で有名なところだ。
沢谷。
浜原。
もういっちょ。
粕淵。
粕淵駅の先の人も渡れる鉄橋。昨日の撮影地はここも候補に挙がってた。赤川鉄橋なき今、非常に惹かれたポイントではあったけど結局宇都井駅に行ってしまった。
桜?梅?
撮る人。
明塚。
良いの撮れました???
春はもうすぐそこだねぇ。
橋が見えてきた。
昔、中学校の時かなぁ。車でこの江の川沿いをはしたときのことを思い出した。人家の無さ加減になんともいえん不気味さっちゅうかそういうのを感じたとともに橋の無さ加減にも「なんで?」って思ってた。対岸が見えてるのに何キロも先に行かないと向こうに行けないというこれまで見たことのなかった光景に「こんなとこがあるのか」とビビったもんだ。
石見簗瀬。
のどかだ。
なんかいいなぁ。
まぁうちの実家も似たようなもんだが。
乙原。
こんな感じで江の川は流れていくんだが江津本町あたりで「おぉすげぇぇぇ~!!!」ってくらい川幅が広くなった記憶がある。まさしく河口って感じでその迫力にびっくりした。その時は確か進行方向左手だったと思う。だから石見川本から先は反対側に座ろうと思う。
竹。
撮る人。
木路原。
ここにも撮る人。
そして12時18分、列車は一応の終点石見川本に到着。
運転士氏に「これが江津行きになる?」と確認すると「はい」との返事が来たんだが「一度降りて」とのことだったので荷物もろともいったん下車。
江津行きの発車時刻は13時45分。1時間半ほど時間が空くので駅を出ることにした。