忍者ブログ
兵庫から単身赴任で東京に暮らす39歳。趣味は登山とロードバイクとか言いつつも激務にやられロードバイクは部屋のオブジェと化してる今日この頃。もう一度輝きを取り戻したい!!!
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


とうとう三江線が廃止されることが決定した。ショックである。もう日本のローカル線に明るい未来は待ってない。広島でいえば可部線の可部ー三段峡間が廃止されて以来の路線廃止である。正直三江線の現状を見ればその危険性は常々あったんだがこれまで生き残れたのは三江線が盲腸線でなく山陰線の江津とつながってたことかなとも思う。運行形態からしても陰陽連絡線という役目は全く果たしていなかったけどそれでも盲腸線よりはまだ希望はあるかもとは思っていた。しかしそんなものは屁のツッパリにもならずあっさり(いや頑張った方かな?)廃止ということになってしまった。これで三次駅は芸備線と福塩線(正確には塩町からだけど)だけの駅となる。3つも路線が集まってたら見た目だけなら貫禄のある駅に見えるんだがこれで時刻表上でもなんでもない駅って感じになっちゃうな。つーか三江線がこの扱いなら木次線だって危ないわ。いくらトロッコ走らせたところで路線の収支的には焼け石に水だろう。そんなことを考えたら芸備線だって末端はやばい。
ところで僕はこの三江線には3回乗った。しかし全線を乗り通したのは1回だけだ。あとの2回は江津から因原まで。因原からは僕の地元を通るバスが出ていた。
三江線の思い出と言えば2000年の4月1日のことを思い出す。この年、僕は大学を卒業し社会人になる。その直前の話だ。「社会人になったら休みがないからもう鉄道の旅はできなくなるだろう。」と僕がこれまで18きっぷで旅したところをもう一度まわろうと北海道から鹿児島まで、宗谷岬から佐多岬までを周ろうと途中で卒業式や引っ越しをはさみながらひと月がかりで日本縦断の旅をしていた。その帰り、博多からムーンライト九州で岡山に向かい伯備線、山陰線経由で因原までやってきた。バスの時間まで何時間か時間があったので駅近くの河原でこれからのことをボーっと考えていた。すごく天気が良くて空がとても青かったのを覚えている。三江線は僕が通っていた自動車学校の教習でもその線路沿いを走ったこともありこの辺りはちょっと思い出もあった。そういう路線が姿を消す。道路が整備され、一人に一台自動車がある現代の田舎では鉄道の使命はもう終わっているのかもしれない。
PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック