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兵庫から単身赴任で東京に暮らす39歳。趣味は登山とロードバイクとか言いつつも激務にやられロードバイクは部屋のオブジェと化してる今日この頃。もう一度輝きを取り戻したい!!!
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改札を抜けまずは駅のスタンプ。そして初詣のために遠軽神社に向かう。
いつもならこの先の陸橋の上から迎え撃つ札幌行きのオホーツク6号。今日はチビ連れで全然前に進まずここでのご対面となった。







さらにそうこうしてるうちにスイッチバックで札幌へ出発。その間の僕らの移動距離は100m程か。


こいつらが雪遊びばっかで歩かんので前に進まない。初詣の後はセブンイレブンで食料を調達しようと思っているんだがこのままじゃ無理だぞ。

西日を受けてオホーツクはサッポロに向け走り去って行った。







やっとこさ踏切まで来た。旭川行きが出発を待つ。










そして遠軽神社に到着。上のチビとは2回目、下のチビとは初めての正月。初詣に行くのも初めてだ。まずはお参りを済ませ、おみくじを引かせる。下のチビが吉で上のチビが末吉だった。






初詣を済ませるもどうにもこうにも雪遊びばかりで先へと進めない。時間ばかり過ぎ去ってどうにもならない。とりあえず行けるとこまでセブンイレブンへと向かう。しかしコープにもたどり着けずにタイムアップ。これ以上進むと列車の発車までに間に合わないと判断し駅へと引き返すことにした。
遠軽のバスターミナル。2000年の3月、日本縦断の旅の際には夜行のオホーツクでここまでやってきて朝一の紋別行きのバスに乗り流氷を見に行った。





駅まで戻る。改札はまだ始まっていない。食料の方はまだ残りがあるのでそれで上川までしのぐ。ビールが調達できなかったのでノンアルで旅を続ける。








出発までは恒例の撮影タイム。










遠軽の駅に来ると昭和の北海道の残り香を感じることができる。










わざとレトロっぽくしてるんじゃなくてガチで昔のままの姿で頑張っている。跨線橋も木造のままだし。









昔はここから名寄本線が分岐していた。そのころはこちら側にも側線なんかがたくさん並んでいたんだろう。放置されたターンテーブルだけがそのことを想像させる生き証人みたいになっている。
 






ずっと残ってほしいよね。この駅にも色々思い出がある。最近知ったことだが駅弁のかにめしがなくなったらしい。オホーツクの車内販売がなくなることに伴ってお店ごと閉店してしまったようだ。つくづく寂しい話である。
列車は旭川に向け出発。時刻は16時25分。夜の帳が下りてきている。
 






16時34分、丸瀬布着。完全に夜である。白滝シリーズが駆逐され次の駅は唯一の生き残り、白滝である。丸瀬布ー白滝間の駅間距離は19.7km。その次の白滝ー上川間は37.3km。これからもこういう区間が増えていくのだろう。








ここで2人下車していった。ちなみに僕らはうしろの車両に乗っている。ここは人の乗り降りがないので静かでいい。我が家のようにリラックスして過ごすことができる。
 
 
 
 

列車は白滝に向けて出発。
  
 
途中、旧「下白滝」で列車の行き違い。金華同様、駅は無くなっても行き違いの施設としては存続している模様。   
こちらは唯一の生き残り白滝駅。昔は5人兄弟だったんだがもう残るのはここのみだ。








そして列車は隣の上川に向け出発。しかしまっすぐ上川には向かわない。









そう、上越信号場での停車である。今回は建物の中に明かりはついていなかった。ここも元々は駅である。昭和50年に廃駅となったので僕は現役のころの姿は知らない。しかし毎年思うんだが石北線のこの区間というのはほんとに自然環境の厳しい区間だと思う。人もほとんど住んでいない。それでも鉄道を維持するためには日々の保線や冬季の除雪など収益が高い低いに関係なく膨大な経費がかかる。北海道で鉄道を走らせようと思えば大変な苦労がある。こういうことを鑑みてもJR北海道が置かれている環境というものは厳しいと思う。
特急の行き違いを終え列車は上川に向け出発。今年も上越信号場での時間を過ごすことができた。
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